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「だからよ。むやみに、にやついてるのを、チェシャ猫のように笑うって、むかしから言うでしょ。このブタ!」
(“and that's why.  Pig!”)

見ての通り、原典には説明的文句は一切ない。
拙訳は、別立ての注釈なしでも一応意味がとれるようにするというのが翻訳方針なので、注を本文の中に織りこむ手法を採ったわけだが、それにしても原文の“It's a Cheshire-Cat,and that's why.”など思わず、ひょんなときに口にしたくなるようなフレーズで、いつもながら見事にシンプルである。
アリス・ファンには周知のごとく、Cheshire-Catは、キャロルの時代にはよく使われた成句“grin like a Cheshire cat”から逆成された生物だ。
キャロルも読んでいたに違いないチャールズ・キングズリーの『水の子たち〔The Water-babies〕』(1863.)第3章には、カワウソがチェシャ猫のように笑う、というくだりがあり、動物が他の動物のしぐさを真似ているかのようなおかしみを出しているが、キャロルはさらにひねって、チェシャ猫をチェシャ猫のように笑わせたわけだ。
現在ではまた関係が逆転し、『不思議の国』が産んだ、この人気キャラクターのため、“grin like a Cheshire cat”という言葉が記憶され、その謎めいた起源を探るべく、学者や好事家が奔走することにもなる。

笠井勝子教授も1989年の夏、チェシャー州を駆け回り、チーズ製造所などを訪れた。
ガードナーの『決定版 注釈アリス』(6章 注3)に、“1989年 日本で刊行されたパンフレット”に載っている笠井論文が引用されているが、このパンフレットとは、文教大学女子短期大学部英語英文学研究室編《英米学研究》の第24集(27-38頁)。 笠井教授の論文は同短大の《研究紀要》や《英米学研究》に多く掲載されているが、この“Lewis Carroll and His World(4) Cheshire Cat”は英語で書かれたものなので、ガードナーにも読めたのだった。
まず教授は、When did the Cheshire Cat start to grin?「いつからチェシャ猫は、にやつきはじめたのか」という問いを立て、サッカリーの『ニューカム家の人々〔Newcomes〕』(1855.)に「その女性はチェシャ猫のように笑った。〔……〕チェシャーにいるネコに、そんな特異な性質があると最初に発見した博物学者は誰だったのか?」という一節があることや、 Captain Grose〔ペイパーバックの『決定版』には、Captain Gosseとあるが、タイプミスというよりはガードナーの勘違いか〕の『A Dictionary of Buckish Slang, University Wit, and Pickpocket Eloquence.』(1811.)に「奴はチェシャ猫のように笑う、とは歯と歯ぐきを見せて笑うことをいう」と説明されていること等を指摘する。
次に、How did the Cheshire Cat come to grin?「なにゆえ チェシャ猫は、にやにやするようになったか」という命題のために文献を渉猟し、例えばかつてチェシャーではチーズを笑う猫の形に作っていたという説に関連して、チェシャーがノルマン・コンクェストのあと500年近くも政治的独立を保っていた、その自由と独立のシンボルが猫の笑いだという説や、cheeseの好きな猫=cheeser catが転じてCheshire catになったという説もあること(教授自身はこの説には否定的)などを紹介している。
また、写真を撮るときの「チーズ」というセリフと、写真家キャロルとを関連づける説も存在するが、キャロルの被写体が にやついているなどという例はない、等々のことも書いている。
ガードナーは1995年に笠井教授から手紙を受け取ったが、そこで教授は“面白い推測”を述べていた。

  この引用は『決定版 注釈アリス』でなく、1991年刊行の『不思議の国の“アリス” ―ルイス・キャロルとふたりのアリス―』からのものだが、われわれ日本人は、いち早く笠井教授の説を知っていたのだった。
チェシャ猫の正体については、最終解答と呼べるものは存在しないだろう。
笠井教授の説も、どちらかと言えばキャロリアン・ジョークに属するものだ。
1992年にJoel Birenbaumという人がクロフトの聖ペテロ教会〔St.Peter's Church, Croft〕で、笑っているような猫のレリーフを発見し、これが今のところ、チェシャ猫のモデルの最有力候補ということになろうか。 なんでも観察者が視点を下げていくと猫が視界から消えはじめ、すっかりひざまずけば、にやにや笑いしか見えなくなるというのだが… 筆者(大西)自身が見たわけではないのでコメントしえない。

その他の説では桑原茂夫『チェシャ猫はどこへ行ったか ルイス・キャロルの写真術』(河出書房新社、1996.)で、チェシャ猫の出現や消滅と、現像や露光の問題を結びつけて捉えた論に説得力がある。
(もっとも、この本での少女写真に関する説明は今では古びている。当時はハッチ 〔Hatch〕 姉妹ほかの写真が日本ではあまり知られず、キャロルの撮った少女ヌードといえばモード・コンスタンス・マルベリー 〔Maud Constance Meulbury〕 の写真が1枚あるだけだったが、現在では逆にマルベリーの写真がキャロル撮影のものかどうかは疑われている。 また、桑原はキャロルが少年でなく少女のみを相手に写真を撮り続けたという前提で所感を述べているが、元英国キャロル協会チェアマン、エドワード・ウェイクリングの研究によればキャロルはほぼ100人の少年の写真を撮っていたことが判明しており、新しい前提で議論し直すことが必要になっている。 なお、ハッチ姉妹らの写真はステファニー・ラヴェット・ストッフル 『「不思議の国のアリス」の誕生』(笠井勝子監修。創元社〈「知の再発見」双書〉73、1998.2.)ほかで、ふつうに見ることができる。)  追記。『図説 不思議の国のアリス』(河出書房新社、2007, 2013.) でも、桑原茂夫の所論は、全く進歩していない。

(最終更新 2014年1月16日)