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平田昭吾は1939年、満州生まれ。会津若松で育ち、同地出身であるタツノコプロの笹川ひろしとは親交がある。
手塚治虫に師事したのち、1962〜68年、日活撮影所研究室勤務。
「零戦黒雲一家」(舛田利雄監督、1962.)や「太平洋ひとりぼっち」(市川崑監督、1963. 石原プロ作品だが配給は日活)の特撮にも関わった。
退社後、1年間(69〜70年)手塚治虫のマネージャー。
71年、アニメ絵本『アンデルセンどうわ』(全10巻。ポプラ社)で独立。
73年の虫プロ倒産直前、〈サンダーマスク〉(1972〜73.)などを企画したことでも知られる。
しばしば手塚マンガにもキャラクターとして登場する。

平田氏の手になる幼年向け絵本は300点を超え、最も読まれているアニメ風絵本の作家といって間違いない (“アニメ絵本”自体、平田氏の造語)。
手軽に読める反面、その改竄ぶりが批判されることも、少なくない。
『日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ 手塚治虫と 6人』(ブティック社、2005.)によれば、あるときポプラ社の編集長に “ある大学の教授”から抗議の電話があった。

平田氏は、このエピソードを得意そうに書いている。
この大学教授は、もちろん、そんな適当な解説をした本があっては困ると考えて平田氏に問いただしたのだろうが、平田氏のほうでは教授が勉強不足だとでも思ったようである。
ドイツの言語学者グリムが、フランスの宮廷詩人ペローの童話集を 直接“翻案”したと考えること自体、異様だが、 200篇を超える『グリム童話』を、基本的には 8編しかない『ペロー童話集』(1697.)の“翻訳本と表示しなければいけない”とは、 逆に、平田氏はグリムやペローの まともな完訳本さえ読んだことがないのではないか、と疑わせる。
『グリム童話』に『ペロー童話』と似た物語がある理由には、グリム兄弟が“民話”の聞き取りをした相手の一部が、フランスから移住してきたユグノーの子孫であることなどが指摘されているが、平田氏は こうした研究を中途半端に知っていたと思われる。
“文学者”たちからの抗議が無くなったわけも、だいたい推察できよう。
平田氏は2000年の裁判で、自身の 2次創作の著作権、オリジナリティを主張した。
平田氏の“オリジナリティ”は主に原典の残酷描写を消してしまうところに現れているが(桃太郎なら鬼を退治せず、鬼自身に宝物を配らせる、とか)、 アリスものの場合、もともとそんなに残酷な描写はないので、文章の平凡さが気になる程度である。
トランプの庭師の首を、刀で切るように女王に命じられたアリスが、“かたなに 赤い ペンキを ちのように”塗って、女王をだましたりする点、キャロルのノンセンスからは遠いが、マンガ的な面白みがある。
クロッケー(平田氏の文章では“クリケット”)の試合で、“ほんとうは アリスが かてば しけいに される ところでした。”などと書くあたり、残酷さを完全に排除しているわけでもないが、デス・ジョークにはなっていない(以上の引用は、永岡書店、1986.)。
ラスト・シーン、“アリスは おこって トランプたちを バシッ バシッと 手で はらいのけます。”などと書くのは(ブティック社、1991.)、ある意味、原作より過激である。
このような改竄に“オリジナリティ”があると言えばあるのだが、いずれの発想も凡庸である。

追記。2008年12月、平田氏は中国人女性スタッフを日本人の男と偽装結婚させたとして逮捕された。

(最終更新 2014年 3月25日)