|HOME|

光吉夏彌(1904-89.)は1955年の『ふしぎな国のアリス』の絵本化に先立ち、羽田書店から『みつばちの国のアリス』(〈こども繪文庫〉2、1949.10.  → 〈国立国会図書館デジタルコレクション〉で全文が読める)を出版している。
これは熊田五郎(千佳慕)にとって初の絵本で(光吉は熊田を“親しい友”と書いている)、昆虫の細密画を得意とする熊田の本領が初めて発揮された作品といってよい。 内容はミツバチの生態を説く科学読み物で、『不思議の国』とは取り立てて関係しないが、著者は「あとがき」に次のように書く。

『ふしぎな国』のすぐあと、光吉はオーケストラの入門書である ラ・プラード作『音楽の国のアリス』(〈岩波少年文庫〉117、1956.4.←La prade,E.“Alice in Orchestralia”1925.)の翻訳も出している。
特に戦後期において気鋭の児童文学者だったといえるが、もともと海外の児童書のコレクター、翻訳家であり、創作よりも編集、サンプリングに才能があった。
光吉の名は〈岩波の子どもの本〉、第1弾『ちびくろ・さんぼ』(1953.12.)や〈ひとまねこざる〉シリーズの訳者として ご記憶の方が多いだろう。
光吉は1973年の時点で、「さんぼ」の語が差別的か否かについて、デ・ラ・メア の『サンボと雪の山』を引き合いに出し「ジャンボ、マンボ、サンボという名まえが黒人蔑視になるとは思えない」と書いている(月刊《絵本》5月号(創刊号)「岩波の子どもの本   その発刊のことども  」)。
The Story of Little Black Samboは、ヘレン・バンナーマンが娘のためにつくった小型の絵本で、もともとのイラストはエドワード・リアや、あるいはルイス・キャロルの絵にも通じるプリミティヴなものだが、戦後間もない時点でその素朴さが日本人に受け入れられたとは考えにくい。
光吉はフランク・ドビアス描くマクミラン版を採用し、そのイラストにも(後半「ふたごのうーふ・むーふ」〔The Story of Sambo and the Twins〕がドビアスをまねた岡部冬彦の絵であることに端的に示されるとおり)大幅な改変を加えた。
その「編集」姿勢は、現在の出版に対する認識からすれば問題だが、戦後、新たな児童出版の試みとして商業的に失敗の許されない立場にあったことを思えば、その選択は理解できる。よくも悪くも〈岩波の子どもの本〉は、戦後児童書出版の基点となったのだ (『サンボ』には戦前・戦後多くの翻訳があるが、光吉版以外ほとんど記憶されてないことも、その意図が「成功」していたことの傍証となろう)。
1988年12月、岩波他、大手出版社の『ちびくろ・さんぼ』が絶版となり、翌年3月光吉は死去。
猫好きでもあった光吉らしく (大日本図書には〈傑作ねこの絵本〉全5巻がある)、最期となった仕事は、世界各地の猫の民話のアンソロジーだったようだ。
のち、2005年4月になって、瑞雲舎より光吉版『ちびくろ・さんぼ』が復刊(この本が出た翌月、岡部冬彦が死去しているが、まさか第2話「ふたごのうーふ・むーふ」が削除されたのを気に病んだためではあるまい。むしろ、肩の荷が下りた気持ちだったのではないか)。
同年9月、やはり瑞雲舎より岡部冬彦の描いた後半部が独立して『ちびくろ・さんぼ2』として発売された。

(最終更新 2014年 4月 4日)

なお、光吉夏弥(本名・積男(つむお))は、戦前から舞踏評論で知られた人物でもある。
主著『ニューヨーク・シティ・バレー 1933-1958』(音楽之友社、1958.)、『ロイヤル・バレエ 1931-1961』(音楽之友社〈音楽写真文庫〉、1961.)。
略歴。慶應義塾経済学部卒。鉄道省国際観光局で《Travel in Japan》主幹(1935.)、〈大阪毎日新聞〉出版部などを経て、戦後は中央公論社で《少年少女》誌の編集長(1948.)、コミックス社で〈スーパーマン〉日本語版を創刊したがあまり売れず(1949.)、平凡社の〈児童百科事典〉(1951-56.)の編集に参加したあと、1953年から岩波書店の嘱託となった (参考文献 澤田精一『光吉夏弥 戦後絵本の源流』岩波書店、2021.)。

(2021年12月 4日 付記)