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以下は、木下信一氏のキャロル大会におけるレポート「パラマウント映画『不思議の國のアリス』」を読んで思ったことなど。

まず大戸喜一郎 編『不思議國めぐり』のタイトルが『不思議の國のアリス』に変更されたのは、パラマウント映画に便乗したものという点については議論の余地がなさそうである。ただそうなると『日本におけるルイス・キャロル書誌』(1975.)で『不思議の国のアリス』の発行年を“昭和8〜10年”のように記載しているのが改めて気になる。単に調べが不十分で昭和9年発行と特定できなかっただけのことならいいのだが、同書誌は『不思議国めぐり』も“昭和2年”刊行としている。 何らかの情報ソースがあったのだろうが、仮に昭和8年にも出版されていたとすれば、映画の公開に当てこんだものだったにしても先行出版だ。 が、これは不確実すぎて検証しようがない情報かも知れない。
しかし、映画からの影響の大きさという指摘の重要性を認めたうえで、映画「不思議の國のアリス」の邦題が清水俊二の“オリジナル”という説には、細かい疑問を差しはさんで置きたい。まず一般的に言って、映画の字幕翻訳者が映画のタイトルを決めるのか、という問題。戦前のことだから、清水俊二が映画の宣伝広報や翻訳を、一人で何役もこなした可能性は高いが、現在では考えられないことだ。 木下氏の報告を私なりに整理すれば、「不思議の國のアリス」の邦題の初出は、確認できた限りでは《キネマ旬報》昭和9(1934)年1月1日号の映画広告。それを受ける形で、《新映画》昭和9年3月号から、清水がその題名を使い始める。それ以前は「お伽の國のアリス」と仮に呼称していた(こちらは「Alice in Wonderland」から清水が独自に訳したものとしか考えられない)。
一方で昭和7(1932)年12月刊行の楠山正雄訳『不思議の國 アリス物語』は、1933年の映画とは元来無縁の出版だが、映画関係者のほうでは直前に出版された この廉価文庫版を、読んだかどうかはともかく当然意識したろう(清水俊二自身は1920版か1930版の楠山訳を読んでいたのだろうが、想像力を働かせれば、清水から楠山の既訳があると情報を得たパラマウントの日本社員が手にするとすれば、それは〈春陽堂少年文庫〉だったはずである)。 『不思議の國 アリス物語』から「不思議の國のアリス」へは、ひとまたぎで、このちょっとの違いが大きいとは言えるのだが、誰が邦題を決定したにしろ、〈春陽堂文庫〉版から1本の映画らしいタイトルを発想するとしたら「不思議の國のアリス」にしかならないのではないか(訳注書『不思議國のアリス』の存在は仮に知らなかったとしても)。逆に清水俊二がオリジナル色を出して訳せば、映画のタイトルは「お伽の國のアリス」になりかねなかった。 だから“不思議の国のアリス”が『Alice's Adventures in Wonderland』ではなく「Alice in Wonderland」の翻訳だという、木下氏の以前からの説が間違いとは思わない(木下氏ひとりの説でもない)が、それのみでは説明できない。やはり翻訳というのは先行例に引きずられるものだと思う。
戦後、1946年出版の西条八十訳について、内容は『鏡國めぐり』でありながら『不思議の國』のタイトルなのが、パラマウント映画の影響だという説は面白い。 実際ありうる話とも思うが、昭和9年から昭和21年にかけての変動はあまりに大きい。ナンセンス流行の昭和初期には話題になっても(フロイト説も昭和初期に一種の流行を見ていた)、戦後どれだけの人が覚えていたか。いや、出版人がうろ覚えだったからこそ、そういうタイトルの混乱に結びついたというのが木下説なのかも知れない。
しかし、楠山正雄は映画の題を覚えていたろう。楠山には自身の本のタイトルをちょっと変えて映画に使われた、というくらいの意識があって当然だから、忘れることもないはずだ。 しかも楠山の場合、かつて『アリス物語』の題を芥川龍之介・菊池寛共訳からいただいているように、謙虚かつ計算高い編集者という面を持っていた。 戦前の映画の記憶が、1948版のタイトルを『ふしぎの国のアリス』に決定させたと考えて、まず間違いあるまい。 しかし一般読者が映画を覚えていたとも考えにくいから、楠山が戦後このタイトルを選択したことが後進に与えた影響も大きいだろう。 ともあれ、私流にまとめれば映画タイトルと出版物は相互に影響し合ったのだという、まずは穏当な結論になる。