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倉橋惣三の 「序」 によると、『幼児に聞かせる(聴かせる)お話』(1920.) に集められた小話は、すべて実地に試して、幼児に好評だったものばかりのようだ。  〔原文 縦書き、旧字体(以下同じ)、ルビなし〕

東京女高師 は現在のお茶の水女子大で、その付属幼稚園 は官立では日本最初の幼稚園と言われる (当時から 「お茶の水幼稚園」 と通称されていた)。
東京帝大哲学科で心理学を専修していた倉橋惣三は、学生時代から女高師付属幼稚園に出入りしていたが、1910(明治43)年、女高師の講師となり児童心理学を講じた。
その幼稚園内にあった研究会 「フレーベル会」の機関誌 《婦人と子ども》 の編集主任を任され、いち早く モンテッソリの教育法を日本に紹介するなどしている (1912年4月号。初出は 《心理研究》 3月号。 もっとも倉橋自身はモンテッソリの教育法にはあまり共感しなかった)。
1917(大正6)年11月、女高師の教授に昇格し、同時に付属幼稚園の主事(実質的な園長)となって現場に入ったことは、日本の幼児教育史の中では特筆事項とされている (保育士の試験問題などにも現在よく出題されるようだ)。
フレーベル会は 1918年に日本幼稚園協会と改名。《婦人と子ども》 も 1919年 1月号より倉橋の発案で 《幼児〔兒〕教育》 と改名した (1923年より 《幼児の教育》)。
なお倉橋は、この 『幼児に聞かせるお話』 を出版した内田老鶴圃の三女トク(徳)と 1912(大正元)年 9月に結婚しており、 最初の単著である 『幼稚園雑〔雜〕草』(1926.) も内田老鶴圃から上梓されている。


『幼児に聞かせるお話』 がどのようにして成立したかだが、編者(小高艶子という人かと思われる) の書いた 「はしがき」 によれば、

事実、『ロビンソン・クルーソー』 と 『アリス』 を除き、一目で原作者の特定できる話は無く、大半はフォークロアの再話か 動物寓話。 寓話といっても教訓色の薄い、他愛ないものがほとんど。創作の割合は高いが、オリジナリティや、大人が読んで印象的なストーリーが求められているわけではない。 具体的には、 以上が初版の内容で、「アリス」 が トリの作品である。 増訂版では一部順序が入れ替わっているが、ここまでは内容同じ。
以下、「アリス物語」 のあとに増補されたもの。 「改定の新版に序す」 には増補分の選定は 新庄よし子によるところが多いとあるが、 新庄は、のち倉橋と共著の形で 『日本幼稚園史』 を刊行している (東洋図〔圖〕書、1934.→フレーベル館、1956.→臨川書店、1980 [複刻版] )。
幼稚園史、といっても全国に広まった施設の展開についての記載は従で、主としてお茶の水幼稚園での伝統的教育内容が詳細に解説されている。

『幼児に聞かせるお話』 という本は読み聞かせが主目的で、元来 児童に読ませるために書かれたものではないから、初版ではルビがないが、 増訂版は 「序」 「はしがき」 を除き総ルビ。
新版の序には “五年” の間に “版を重ねること二囘。” とあるが、5年というのは当時風の数え方で、事実としては 1920(大正9)年から 3年半ほどの間に 3版を刷ったということだろう。 それなりの需要のあったことは解るが、よく売れたというほどでもない。
が、1924年の改定後は、半年で 4版に達している。

倉橋惣三は 1919(大正8)年末から 22年3月まで、欧米に留学した。
帰国後は 《コドモノクニ》 の編集に積極的に関わる一方、1923(大正12)年ごろからお茶の水人形座の名で幼児のための人形芝居をはじめ、1924(大正13)年には日比谷公園で、児童遊園を監修。
また、駄菓子屋の調査や紙芝居の研究にと (これらについても、帰国後、特に こだわった。1938(昭和13)年設立の「日本教育紙芝居協会」でも理事を務める) 各方面に奔走した。
『幼児に聞かせるお話』 改訂版の売れ行きも、倉橋が幼児教育全般にたずさわるオピニオン・リーダーとして認められたためと見ていいだろう。

昭和期には 『幼稚園保育法真〔眞〕諦』(東洋図書、1934.)、『玩具教育編』(雄山閣〈玩具叢書〉、1935.)、 『育ての心』(刀江書院、1936.)、『フレーベル』(岩波書店〈世界大思想家文庫〉、1939.) などの主著を発表する一方、昭和天皇と皇后に育児・児童教育について進講。
1937(昭和12)〜39年には皇太子(現 天皇)の “お遊び相手” として東宮仮御所、葉山御用邸に出仕。 39〜40年には弟宮(常陸宮)の、やはり “お遊び相手” として青山御殿、那須御用邸などに出仕した。

敗戦後は教育刷新委員会の委員として幼稚園を学校教育機関に組み入れたのち、「日本保育学会」 を創設して初代会長に就任。死亡の日まで会長の職にあった。