b と c が入れ替わるだけで意味が逆転する面白さに加え、e-at とも綴りの上での遊びがある。
この「視覚韻」について、訳者(大西小生)は 別宮貞則 『「不思議の国のアリス」を英語で読む』で知ったのだが(現行の〈ちくま学芸文庫〉版では53-6頁 参照)、そのことで初めて、この箇所を「訳せる」と思った。
谷川俊太郎的な味をねらってみたが、もっとも、こういうタイプの訳には拒否反応を示す読者もあるだろう。
生野幸吉訳“「子ネコ、コウモリをたべるかしら? 子ネコ、コウモリをたべるかしら?」ときどき「コウモリ、子ネコをたべるかしら?」と言いまちがえたりしながら。”
cats と bats の脚韻を、「子ネコ」と「コウモリ」の頭韻で代用したものと考えられる。
芹生 一訳
“「ネコはコウモリを食べるかしら、――ネコはコウモリを食べるかしら――」
とひとりごとをつづけ、ときには、「ネコをコウモリは食べるかしら」といってしまったりしましたが、” 〔下略。原文では太字の部分が傍点〕
芹生は日本語では、助詞の「を」と「は」を入れ替えるだけで意味が逆転するという性質を活用した。
脇明子訳も、これを意識的に継承し、久美里美訳(2006.)も、この方式を真似ている。
山形浩生訳(Web版)
“こうつぶやきつづけました。
「ねこってコウモリ食べる?ねこ、コウモリ食べる?」そしてだんだん「ねこうもりって食べる?」とも。”