某大学で、永代静雄の著書 『終篇不如帰 (しゅうへん ほととぎす)』 (明治出版協会、大正 4年刊) を複写させてもらった。
これまでにも断片的には読んでいたが、さすがに 「永代静雄研究者」 を名乗る小生が、これを全篇 読んでないというのは問題だろう。
横田順彌先生が、垂直離着陸機の登場する “古典SF” として紹介し、永代静雄の名前を一躍、有名にした本だが、今回ようやく、隅から隅まで読むことができた。
ただ、この垂直離着陸機 というのは、横田先生が当初、考えていた SFチックなものでなく、すでに試作機が作られていた初期のヘリコプターであるということは、横田先生も少し触れているし、拙著 『復刻版 「愛国小説 満朝の花」』 の解説でも論じたとおり。
ともあれ、実用に耐えうる垂直離着陸機 は現実に存在しなかったし、それが 口絵写真で飛んでいるような複葉機では ありえないことだけは、確かだ。
問題が もう 1点、ある。横田先生は、永代の 『終篇不如帰』 が “押川春浪の 『空中大飛行艇(正・続)』 の贋作” と 『古書ワンダーランド』 ほかで何度か断じていて、
私も 『満朝の花』 の解説を書いた頃にはそれを信じていたのだが、両書は実は、ほとんど関係がない。
『終篇不如帰』 の冒頭、新聞社主催の飛行大会で始まるあたり、似ていると思えば似ているが、当時そういうイヴェントは、たいてい新聞社や雑誌社が担っていたことを考えると、特別なアイデアとは言えない。
実際に読み較べてみると、贋作どころか、まるで似てないのである。
おそらく、横田先生は押川春浪という作家に惚れこみ過ぎたために、シチュエーションに共通項があれば、春浪の影響と感じてしまうのだろう。
『空中大飛行艇』 は、タイトルどおり、飛行艇が主役といっても過言ではないような活劇エンターテイメントで、ラストで悪漢が破滅するところでも飛行艇が活躍するのだが、
『終篇不如帰』 という小説は、徳冨蘆花の 『不如帰』 の続篇を名乗っているだけのことはあり、あくまでも恋愛小説である。
悪漢が逮捕されるくだりは探偵の活躍によるもので、それはそれで面白くないこともないが、せっかく超最新鋭機が登場しながら、物語の後半では活かし切れてない。
物語の中盤、高度700メートルの上空で、主人公・川島武男が、英国の女性から告白されるシーンが、この本、最大の見せ場である。
いかに外人女性の設定とはいえ、当時女性の側からプロポーズするというのは破格のことで、その雰囲気づくりのために、こういう非・現実的な道具立てが必要だったのではないかと解釈することもできる。
なにしろ、川島武男の搭乗する機体の名は、最初 「女浪号(めなみごう)」 というのが、中盤で 「男浪号(おなみごう)」 というのにヴァージョン・アップするのだが、
「女浪号」 は物語冒頭、国際競技大会で素晴らしい性能を見せるのに引き換え、「男浪号」 のほうは、この告白シーン以外に活躍する場が全然、無いのだ。
それにしても、この本の大正元年版、もしくは大正 2年版というのは、本当に存在するのだろうか?
いや、大正元年末に発行された 『アリス物語』 の巻末には 『家庭小説 終篇不如帰』 が、すでに “四版” という広告が載っているから、
過去に存在していたには決っているが、横田順彌先生が大屋幸世教授を通じて入手した本も、現在の古典SF研会長・北原尚彦先生が持っているものも、
辛口書誌学者・谷沢永一(大屋教授のことも 「書誌学者ではない」 と思い切り罵倒 している) の旧蔵書も、全てが大正 4年初版のものである。
実は、もう 2冊、公共図書館に存在が確認されていて、これから調査をしなければならないのだが、これも残念ながら大正 4年のものだ 〔この本は、のちに調査した。画像のポップアップ参照〕。
ちなみに、かなり以前の話だが横田順彌先生は大正 2年刊行の 『終篇不如帰』 を古書販売目録で見たものの、入手には失敗したそうだ。 こういう奇書を狙う古書好きは、多い。
コレクターでない私には、くわばら、くわばらという世界だが、『終篇不如帰』 が大正元年に書かれたままの内容であるか、大正 4年版で加筆されたのか、というのは、無視できない問題だ。
こういう研究に縁の無い読者からすれば、何が問題なの、というところだろうが、大正元年と大正 4年では、小説の評価が、かなり違って来るのである。
まず、大正元年の時点で飛行機を リアリスティックに描いた小説は、ほとんど無いが、大正 4年ともなれば、さして早いものではない (こういう飛行機小説 は大正6,7年くらいが、数からすると最大のピークだろうと思う)。
この小説に出て来る悪役はドイツ人だが、第一次大戦中の大正 4年であれば、珍しくも何ともない。
大正 3年に日本はドイツに宣戦布告し、パラオ島・トラック島・サイパン島などドイツの支配していた南洋諸島を占領、青島(チンタオ)では日独空中戦すら演じているからだ。
大正元年に書かれたならば、なぜドイツ人を悪役に設定したか、という問題が生じて来る。永代静雄には 『独逸工業の発達』 という訳書もあり、特にドイツに悪感情を持っていたと思えないだけに、気になる。
さらに、これまでの研究では、永代静雄が外遊したという話は、昭和 5年の満鮮旅行以外に知られてなかったが、最近の (私の) 調査で、永代が大正元年にアメリカへ渡っていたことは確実となった。
すると、外国の地を実際に見ていたことになるわけで、イギリスが舞台の 『終篇不如帰』 執筆との前後関係も、新たに問題となって来るのである。
〔2007年7月15日。最終更新2018年6月22日〕
後注。 その後、大正元年版の『小説 終篇不如帰』(11月25日発行)は国会図書館のデジタルライブラリーに収められ、敵役が最初からドイツ人なのは確かめられた。
以前は、やはり蘆花の『不如帰』の続編である『逗子物語』にしろ、キングズリーの『水の子』の翻案である『黒姫物語』にしろ、『女皇クレオパトラ』や『大ナポレオンの妻』にしろ、永代の著書は図書館でコピーするのが ひと苦労だったが、今はデジタルライブラリーで簡単に参照できるので、非常に便利になった。
横田順彌『近代日本奇想小説史 明治篇』(PILAR PRESS、平成23(2011)年)でも、“『小説〔ツノガキ〕 終篇不如帰』(大正元年十一月・紅葉堂書店、著者所蔵本は大正四年四月・明治出版協会)”(678頁)と記しており、大正元年版の存在を横田先生は、いち早く確認されたようだ
(初出の《SFマガジン》2005年10月号(四六巻一〇号)では“大正二年に他社から刊行されているが不詳”としていたが)。 〔2015年 6月14日〕
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