2007 永代静雄研究余録 (7)

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Amatu-jinja(shrine)

 永代静雄の故郷、神戸市の北に位置する三木市吉川町(みきし よかわちょう) に、永代の父母の墓を訪ねた。
 この墓地は、天津神社 の近くにある。
 永代の父は長谷川順、母は さや(きや子)という名前で、静雄も幼少期は長谷川姓だった。
 もっとも、永代家と長谷川家は、代々親戚 といっていい。
 静雄の生まれた長谷川家について、公刊された資料では神職の家というように説明されていて、これは別 に誤りとまでは言えない。 しかし、長谷川家は神仏習合の神宮寺として存在していた天津社の 「阿闍梨(あじゃり)」 の家であり、元来、僧侶という面が大きかったろう。
 明治維新より前には阿闍梨の称号を継ぐものは妻帯できなかったので、近い親戚から養子を もらって後を継がせた。 永代家と長谷川家は、養子を もらい合う関係だったようだ。
 明治の神仏分離により、寺としての檀家を失った長谷川家は、その地位を維持できない。長谷川順は村を出ることになり、その結果として静雄は神戸市内の小学校で学んだ。
 もっとも夏休みなどに、一家は しばしば天津神社の家に戻っていたようだし、父の没後、静雄は永代姓の伯父の養子となって、郷里の曹洞宗・東林寺に入る。
 その東林寺で活版器具をそろえ、前に書いた 《千代の誉(ちよのほまれ)》 という同人誌を発行した。
 地方の寺にとっては大きな冒険で、永代が神戸教会へ去ったあとには、かなりの負債が残ったらしい。
 これが今や幻の雑誌で、関係者の ご子孫など、八方手を尽くして探しているが、見つからない。
 所在を ご存知の方は、連絡ください。
 『吉川町誌』 に記載のある永代の父母の墓も、もう少しで忘れられてしまうところだった。
 地元の方が、お盆ごとに墓の一画を掃除して守ってくれていたのだが、その方は永代家と つながりがないから、墓の由来までは知らない。
 ただ、祖母の頃から掃除しているから、という理由で掃除していてくれたのである。
 国の重要文化財の天津神社の近くとは言っても、川ひとつ隔てた山の中へ、笹のトンネルをくぐって行かなければならず、その笹原 に通り路を切り開いた当人でないと、到底、たどり着けない場所だった。
 現在の天津神社は無住で、祭りなどには他から宮司が来ている。だから、宮司も、この場所は知らない。
 吉川町では歴史に詳しい商工課の方に案内 してもらったのだが、やはり、この墓地の存在 は初めて知るとのこと。
 一画に並んでいる古い墓石は、神宮寺の頃の歴代の住職のもので、長谷川姓が多い。
 永代は大正13年、里帰りして ここに父母の墓を建てた。
 墓地の由来を知る今や唯一の人と思われる東林寺の前住職は、昨年 代替わりして、加古川市へ転居している。 その前住職から、毎年お盆に草木を払って墓を守ってくれていた故人の名前を聞き、ようやく、この場所を見つけ出すことができた。
 なお、東林寺の現住職からは、この機会に位牌堂に納められた永代の父母の位牌も拝見させていただいた。

 それにしても、地元の人に突っこんで聞いてみないと判らないことというのは多い。
 簡単な例をあげると、吉川町は 2005年 に三木市に合併される以前、美嚢郡といい、町の中心部近くを美嚢川というのが流れている。
 ここで、美嚢郡は “みのうぐん” と読み、美嚢川は “みのがわ” と読まなければならない。地元では、それ以外の読み方は無い、ということは、吉川町で複数の方に確かめ、旧三木市側でも聞いて確かめている。
 しかし、本には “ミノグン” とルビを振ったものもあるし、Wikipedia なんかでは “みのうがわ” になっている。
 Wiki のみならず、『河川大事典』 とか 『河川名 よみかた辞典』 でも、みのうがわ、だ。
 現地に行けば、橋の欄干にも “みのがわ” と書いてあるのだが、おそらく美嚢郡からの類推で済ませてしまったのだろう。 川の名前くらいなら、まぁ実害は無いのだが、一事が万事、そういうものと思ったほうがいい。

 墓石の調査のあと、改めて天津神社を参拝している最中に、突然、にわか雨が降って来た。
 商工課の方の車で、町の中心にある吉川温泉まで送ってもらい、雨がやむまで湯に浸かっていた。 〔2007年 8月 5日〕

     のち、《千代の誉》は神保町の金沢書店で売り出された物を三木市教育委員会が購入、2017年、みき歴史資料館で公開された。 今回発掘されたのは第11(明治34年1月)・14(同年7月)・15(9月)・16(10月)・17(11月)・26(明治35年7月)・31号(明治36年1月)の7冊。

cemetery

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