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「わたしにも、考える権利はあるわ」 アリスが、ぴしゃりと言ったのは、少しうっとうしくなりはじめてたからだ。
「その権利というのは、あたかも」 と公爵夫人。「ブタだって空をとんでいいってのと、いっしょだね。〔……〕」
(“ I 've a right to think,” said Alice sharply,for she was beginning to feel a little worried.
 “Just about as much right,”said the Duchess,“as pigs have to fly;〔……〕)

もちろん、ブタが空を飛ぶことは不可能で、公爵夫人はアリスに権利など無い、と宣告していることになる。
英語圏には Pigs might fly. 「ブタが空を飛ぶかも」 という成句があり、日本風に訳せば「石が浮いて木の葉が沈んだら」というくらいの言い回しになるが、 ふつうに捉えれば「奇跡でも起こらない限り、ありえない」という意味。 しかし、逆に「不思議なことも起こりうる」という含意を読み取れる場合もある。 いずれにせよ、冗談めかして使われる言葉。

“空飛ぶブタ”の図像は古くからあり、キャロルも、このイメージを面白く感じていたようだ。
『鏡の国』 4章の詩にはセイウチが、空飛ぶブタに翼はあるかと考える場面があり、 『スナーク狩り』のヘンリー・ホリデイの挿絵にはブタの群れが飛んでいる 〔Fit THE Fifth・The Beaver's Lesson〕。

ガードナー『新注アリス』では、A・ビアズリー、F・ロップスの描いた、いささか猥雑な“空飛ぶブタ”の絵を紹介している。


“空飛ぶブタ”が、反権力の象徴のように用いられた時代もある。
ジョン・レノンの‘I am the Walrus’にも See how they run like pigs from a gun,see how they fly. という歌詞があり、明らかに『鏡の国』を意識した作品であったが、 ピンク・フロイドにはジョージ・オーウェルの『動物農場』を意識した‘Pigs on the Wing’という曲がある。

1977年の三井アルミ社長宅爆破事件では、犯行声明文を入れた封筒に、 LP 『ANIMALS』からブタの絵を切り抜いて貼り付けてあったという。


“空飛ぶブタ”のイメージは、しかし近年では、もっと明るいナンセンスとして受け取られている。
矢玉四郎原作の『はれときどきぶた』(1980.)は、そうした意味で、先駆的な作品だったと言えよう。
エミリー・ロッダ〔Emily Rodda〕は『ふしぎの国のレイチェル〔Pigs Might Fly〕』で、同様のモチーフを使い(“ブタ嵐”が出現)、1987年度オーストラリア児童文学賞の最優秀賞を受賞した。  この作品中、レイチェルの母親の名前はアリスであり、ラストは「ブタだって空をとぶかもしれないよね!」のセリフで締めくくられる (さくまゆみこ訳、あすなろ書房、2004.)。

ダイアナ・ウィン・ジョーンズの〈ダークホルム二部作〉のひとつ 『ダークホルムの闇の君』(浅羽莢子訳、東京創元社〈創元推理文庫〉2002.、単行本 2006.)でも、モチーフに空飛ぶブタが使われている。