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『ああ、あれも愛、これも愛、みんなの愛が世界をうごかすの!』
(‘Oh,'tis love,'tis love,that makes the world go round!’)

この「教訓」は、かつての流行歌の引用。

ガードナーは『新注アリス』で当時のフランスの流行歌の一節を引用し、 また、ディケンズの『われらの共通の友』第 4分冊(1864.刊)、4章にも、
  'Tis love that makes the world go round,my baby,
とあって、英文学には ありがちの言い回しであることを指摘している。

その『新注アリス』でも言及されているロジャー・グリーンの説(オックスフォード版注釈)によれば、

ダンテの場合は無論「天動説」なので、回っている世界は地球でなく、宇宙の側である。
宇宙を動かすパワーソースを「愛」とする見解は、アリストテレスあたりに発するらしい。
『ナルニア国物語』のC.S.ルイスは『廃棄された宇宙像 ―中世・ルネッサンスへのプロレゴーメナ』で、 ダンテが「その愛」をアリストテレス的な意味で用いたことを論じている〔 5章 c、山形和美監訳、小野功生・永田康昭訳、八坂書房、2003.〕。
何にせよ、神への愛 ― キリスト教的にはむしろ神からの愛(恩寵) ― が宇宙に円運動をさせると考えられていた。その名残りが、流行歌にも あらわれているのだ。 現代の「愛は地球を…」式のフレーズも、もとをただせば天動説ということかも知れない。

英国国教の信仰があつかったキャロルは、ともすればこのような「教訓」を口にしかねない人物で 実際、後年書いた『シルヴィーとブルーノ』は、そういう物語(愛こそすべて!)であるが、『不思議の国』では公爵夫人がこの説教を口にすることでシニカルな味わいを かもしている。 これを作者の意図的表現、つまりまだ若いキャロルの柔軟性と見るか、自立した文脈もしくはキャラクターが作者の意図を超えてしまった一例と見るべきか?