でも、たしかにしっぽは口にくわえてる。――そのわけは……
(But they have their tails in their mouths;and the reason is−)
ここはキャロルの勘違いとして知られている箇所。
というのも、コリンウッドの『ルイス・キャロルの生涯と手紙〔The Life and Letters of Lewis Carroll〕』に、魚屋はタラの口じゃなく、眼としっぽを串刺しにするものだと、あとから教わった、というキャロルの言葉が引用されているのだ(と、ガードナーも『詳注アリス』に書いている)。
が、本当にタラがしっぽを口にくわえた料理が存在する、ということをガードナーは、あとから読者に教わった。
『決定版 注釈アリス』(10章 注6)によれば「アリス」とだけサインの入った謎の読者からの手紙に、《The New Yorker》1993年2月15日号の切り抜きが入っていたらしい。
そこに紹介されていたのは、merlan en colere「怒れるメルラン(小ダラ)」というフランス料理で、しっぽをしっかり口の中に入れてカラ揚げにし、パセリやレモンやタルタルソースを添えて、熱々のものを出すという。
《The New Yorker》の記事で調理法について、わざわざ deep-fried ( not boiled ) という書き方をしているのは、タラと言えば欧米では干物のイメージがあり、水につけて戻したり、ゆでたりといった手順が思い浮かぶからだろうが、それはむしろ大型のタラ( cod )について言えることで、
キャロルが想定していたのは、まさに揚げものの小型のタラ( whiting )である。
フランスで言う merlan もたいてい小ぶりで、鮮魚を油で揚げるか、マリネにするといった料理がふつうのようだ(身がもろいので、煮る場合は、ほぐし身をそのままスープに溶かしこんだりする)。
どうやら、whiting=merlan に違いなく、『不思議の国』に登場するタラも、フランス料理「怒れるメルラン」と考えていいのではないか。
たぶん、キャロルはこの料理を食べたことがないか一度食べたくらいで、うろ覚えで作品中に登場させ、あとから別の料理のことを聞いて、間違えたと思ったのだろう。
つまり、キャロルが勘違いだと思ったこと自体が勘違い(もしくはコリンウッドの誤解)だった可能性が高い。
アレクサンドル・デュマの書いた『大料理事典』でも、一般のタラとメルランは別項で扱われている。
邦訳(辻静雄ほか編訳、岩波書店、1993.)によると、
【たら(鱈)@ Cabillaud,Cabiau,Morue】生の鱈をオランダでの呼称そのままにカビオーと呼び、塩鱈をモリュと呼ぶ。
同じ鱈の仲間でもメルランとの違いは下顎の結合部のところに一本の髭があることである。鱈の生殖能力、食欲はともに旺盛である。〔中略〕計算によれば、卵が孵化するのになんの事故もなく、すべての鱈がいまあげたくらいの〔成魚の〕大きさになったとすれば、三年を経ずして海が鱈で満ちあふれ、足をぬらさずに鱈の背伝いに大西洋を渡ることができるはずである。
当時から大衆魚であったようだ。このあと、タラ漁の歴史やレシピが、文豪の手でかなり詳しく説明されるが割愛。
【たら(鱈)A Merlan】この単語の語源は不明だが、前世紀に鬘師がなぜメルランと呼ばれていたかの説明はたやすくつく。揚げものにされるメルランと同じように、いつも粉だらけだったからである。〔下略〕
6章冒頭に登場した、白い髪粉をふりかけている魚と蛙の従僕も想起され、面白い。
日仏料理協会編 『フランス 食の事典』(白水社、2000.)から補足しておくと、“フランスの市場でモリュの名で売っているものは,干だらあるいは塩だらで,生や冷凍のものをカビヨと呼んでいるが,魚類としての名はモリュである.体長50〜90cmで,35cm以下のものの漁は禁止されている.”とされ、
「真だら モリュ・グリーズ morue grise (英 Pacific cod, gray cod )」 「モリュ (モリュ・コミューヌ morue commune 英 Atlantic cod )」 のように、Morue に相当する英語はだいたい cod である。
merlan は英語の whiting で、“主に北東大西洋,イタリア,黒海に生息.体長25〜50cm.〔中略〕 その繊細な味から ラテン語 merula 「つぐみ」が語源の merle から派生したこの名を持つ.消化がよいため 旧体制下では大いに好まれた.”