アリスは前にいっぺん、リゾート地にいた経験があって
( Alice had been to the seaside once in her life )
たいてい 「一度だけ海へ行ったことが」 と訳しているが、英国で seaside と言えば 「避暑地」 のこと (解っていても、あえて 「庶民」 になじみやすい訳を選んだ人もあるかも知れないが、直後に出てくる bathing machine を訳すくらいなら、一歩踏みこんで正確さを期したい)。
実在の Alice の父、Liddell 学寮長が一時土地を所有していた保養地ランディドノウ 〔Llandudno 日本語での表記は「スランデュドゥノ」等、多様〕 を指していると考えられるが、不明確な点が多い。
参考までにオックスフォードのペイパーバック 〈OXFORD WORLD'S CLASSICS〉 から、ロジャー・ランスリン・グリーン による注の全体を引用しておくと、
もしこれが、はっきり 〔実在の〕Alice Liddell に言及した文章であるなら、それは彼女が 1861年の夏に Llandudno を訪れたことを指している。Liddell 学寮長は、グレート・オルムズ 〔the Great Orme's〕 岬の西側、街から少し離れた旧ゴガース 〔Gogarth〕 邸の敷地を購入し、この年、そこへペンモーファ 〔Penmorfa〕 荘 (現在のゴガース・アベイ・ホテル〔Gogarth Abbey Hotel〕 の中核) を自らのため建てた。
Liddell 一家が最初に 「ペンモーファ」 に居住〔occupied〕 したのは 1865年である。 正反対の伝説にも関わらず、Dodgson はそこへ一家を訪ねてもいないし、彼らと過ごしてもいない。Liddell 一家がランディドノーにいたあいだに、彼がそこを訪れたのだとしたら、それは 1861年のことだったに違いない……が、これには証拠など全くない。
Dodgson(ドドスン、すなわちキャロル) が完成した別荘を訪ねたことがないというのは日記などからの検証だろう。
正反対の伝説、とは Alice本人が後年、キャロルといっしょに砂山を作って遊んだ、と回想したという話以外に、Llandudno が 『不思議の国』 ゆかりの地として有名になっている状況を言ったものと思われる。
おそらく現在もっとも普及しているペイパーバックである 〈PENGUIN CLASSICS〉 も、注で 1861年の夏期休暇説を紹介しているが、これは要するに、Dodgson と Alice が共に Llandudno で過ごしていたとすれば、という前提での仮説だ。
しかし、『不思議の国』 にはアリスが避暑地にいたと書いてあるだけで、海辺の光景も当時のありふれたものであり、作者と Alice が一度だけ海へ行った、という含意を読み取る必然性はない。
この一節は 『地下の国のアリス』 にない、あとから書き加えられた部分だが、いずれにしろ 『不思議の国』 が出版された 1865年には Dodgson と Liddell 一家の交流は、ほとんど途絶えていた。
「Penmorfa」 荘が完成する以前から Liddell 一家は毎年 Llandudno を訪れていたのだろうか? (Alice の両親がハネムーンを過ごした地ではあるが……)
それに Llandudno を訪れたからといって海水浴をしたとは限らない、という意味では 「一度だけ海へ行ったことがある」 という訳が正解の可能性もないではない。
Alice Liddell の伝記に詳しい方のご教示を請いたい。
参考ブログ→ 『Ammonite 別館』−「アリスのいた場所」。
Llandudno の発音のヴァリエーションについて。llan- というのがウェールズ語というあたりまでは察しがついたが、英国に親しくない訳者(大西)には、実際の発音は まるで判断つかなかった。
専門家でも日本語でどう表記すべきかは迷うようだが、ネイティヴの発音を聴いたところでは 「スランデュドゥノ」 も、そう遠くないと思える (リンク先のブログでは否定的だが)。
定松正ほか編 『イギリス文学地名事典』(1992.) は 「シャンディドゥノー」 と表記。同事典の記事(小島三郎執筆) によれば別荘の名前は “ペン・モルヴァ (Pen Morfa 沼地に近い丘の頂の意)”。
実際の発音→ 『FORVO』−「Llandudnoの発音の仕方」
(最終更新 2015年10月11日)