カタツムリ(snail)
石川澄子は、この詩をマザーグースの注釈書の中で取りあげ*、機敏に動けないカタツムリに対し、踊れなどとからかうのは、東西を問わず、わらべ唄に見られるパターンで、『梁塵秘抄』の「舞え舞え蝸牛」と同型であることを指摘する。
* W.S.ベアリングールド〔Baring-Gould〕、C.ベアリングールド註・解説『マザーグース2』(東京図書、1981.)第12章註2。
または『完訳マザーグース』(鳥影社、2003.)第12章註30。
だが、海辺 にカタツムリというのも、やや奇妙な印象は受ける。
基本的には tail との脚韻から snail が引き出されたに過ぎないのだが、キャロルが少年期、カタツムリやヒキガエルで遊んだというエピソードも思い出されるし、
この軟体動物に、キャロルが悪い感情を持ってなかったのは確かである。
キャロルを取り巻く「アリスたち」のひとり、Edith Alice Litton は、キャロルとオックスフォード近郊を散策する機会が多かったらしく、次のように回想している。
こういう牧草地や垣根ぞいの散歩道にあふれた、ありとあらゆるカタツムリといったら特筆すべきもので、晴れた日も じめじめした日も、散歩するたびに出くわすカタツムリは、私にとって、ひどく嫌な、ぞっとするものでした。
ドドスンさん〔Mr.Dodgson キャロルの本名〕は、とても優しく根気づよく、私がいかに愚かで、あわれなカタツムリがいかに害のないものかを気づかせてくれたうえで、その背中にのせている殻についても、いろいろと話して下さり、いかにそれが見事に作られているかを教えてくれたので、
私はすぐ、おぞましさを克服し、抜け殻をたくさんコレクションするようになって その殻が集まって、とうとう小さな深紅の紙箱をいっぱいにしたのでした。〔紙箱はキャロルからもらったもの。モートン・コーエン編『ルイス・キャロルについての聞き取りと回想集〔Lewis Carroll : Interviews and Recollections〕』(1989.未邦訳)所収“Childish Memories”。
モートン・コーエン『ルイス・キャロル伝』邦訳、53頁およびその原注も参照のこと〕
ここでのキャロルのカタツムリへの関心は、数学者らしく「殻の構造」のほうにあるようにも読める。
また、『スナーク狩り』の謎の生物 Snark も、snake「ヘビ」と shark「サメ」を合体した語と説明されがちだが、キャロルのつもりでは snail と shark の合体したものだったらしい。
なお、カタツムリがフランスに近づくと聞いて青ざめるのは、フランス料理のエスカルゴが脳裏に浮かんだためではないか、と言われている。
カタツムリは、シュール派の好んだ題材でもあった。
参考になるかは解らないが、キャロルを読み込んでいた日本のシュルレアリスト・瀧口修造の『妖精の距離』(1937.11.)から、冒頭の詩を掲げよう。
蝸牛の劇場
白と黒の窓がひらく
蝸牛の眼は見た
あるときは青いリボンだけを
あるときはシガレットの灰だけを
そして彼は恋をした
ひつそりしたトリトンの噴水!
夜半 だしぬけに大きな掌が翻つた
トランプのやうに華やかに
太陽が彼の純粋な眼を盗んだ
いろはにほへと
彼は卵形に捩れてゐる
瀧口修造(1903-79.)のキャロル解釈というのは「キャロル=少女愛者」説の萌芽をも含んでおり、今日的にはあまり評価できないが、当時としては斬新な切り口であるし(なにしろ70年代前半には、安部公房でさえ“そんなふうにアリスを読んだことがなかった”だのと言っていた*)、
矢川澄子がアリスに、はまり込むきっかけをつくったのも瀧口であることは記憶されておいてよい**。
* “作者が、アリスにそんな感情を抱いていたなどとは、想像もしていなかったのだ。つまりあの小説は、それなりに一種の恋愛小説だったことになる。現実の女性のかわりに、存在しない少女を愛してしまったのだ。そして、たぶん、存在しない少女のポートレートのために、カメラ好きになってしまったのだろう。”〔〈周辺飛行〉37「アリスのカメラ」《波》1974.11.→『笑う月』新潮社、1976.→『安部公房全集025』1999.所収〕
わりにステロタイプな発想で書かれたエッセイで、キャロル論としては事実に則さない的外れなものとしか言えないが、70年代後半から蔓延した(現在よりも、かなり禁欲的な)耽美派の「少女」解釈は、大体このパターンに当てはまるだろう。
** 1971年、矢川は瀧口から、ヘルムット・ガーンズハイム〔Helmut Gernsheim〕著 Lewis Carroll,Photographer〔1949.→1969.再版。邦訳は『写真家ルイス・キャロル』青弓社、1998.〕を送られる。その写真集には“ALICE・SUMIKO”の文字をアクロスティックにした瀧口による英詩が添えられていた。のちに矢川が『不思議の国』の訳を試みた《少女座》No.5『アリスの本』(1987.)四章が「ALICE SUMIKO」と題されているのも、それに由来する。
瀧口は70年代初頭すでに病床に伏すことが多かったが、ジョアン・ミロと共著の詩画集『手づくり諺』(1970.)や、黒い用紙に黒い文字の小冊子『地球創造説』などを刊行し注目された。73年にはマルセル・デュシャン大回顧展に呼ばれ、病身を押して渡米している。アリス関連では上野紀子画、中江嘉男写真
『紐育の国のアリス』(河出書房新社、1975.)の文章も担当。