| Home|

カタツムリ(snail)

石川澄子は、この詩をマザーグースの注釈書の中で取りあげ、機敏に動けないカタツムリに対し、踊れなどとからかうのは、東西を問わず、わらべ唄に見られるパターンで、『梁塵秘抄』の「舞え舞え蝸牛」と同型であることを指摘する。

だが、海辺 にカタツムリというのも、やや奇妙な印象は受ける。
基本的には tail との脚韻から snail が引き出されたに過ぎないのだが、キャロルが少年期、カタツムリやヒキガエルで遊んだというエピソードも思い出されるし、 この軟体動物に、キャロルが悪い感情を持ってなかったのは確かである。
キャロルを取り巻く「アリスたち」のひとり、Edith Alice Litton は、キャロルとオックスフォード近郊を散策する機会が多かったらしく、次のように回想している。 ここでのキャロルのカタツムリへの関心は、数学者らしく「殻の構造」のほうにあるようにも読める。

また、『スナーク狩り』の謎の生物 Snark も、snake「ヘビ」と shark「サメ」を合体した語と説明されがちだが、キャロルのつもりでは snail と shark の合体したものだったらしい。


なお、カタツムリがフランスに近づくと聞いて青ざめるのは、フランス料理のエスカルゴが脳裏に浮かんだためではないか、と言われている。
カタツムリは、シュール派の好んだ題材でもあった。

参考になるかは解らないが、キャロルを読み込んでいた日本のシュルレアリスト・瀧口修造の『妖精の距離』(1937.11.)から、冒頭の詩を掲げよう。
瀧口修造(1903-79.)のキャロル解釈というのは「キャロル=少女愛者」説の萌芽をも含んでおり、今日的にはあまり評価できないが、当時としては斬新な切り口であるし(なにしろ70年代前半には、安部公房でさえ“そんなふうにアリスを読んだことがなかった”だのと言っていた)、 矢川澄子がアリスに、はまり込むきっかけをつくったのも瀧口であることは記憶されておいてよい**