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「みつがわく井戸だったんだ」
(“It was a treacle well.”)

treacle とは「糖蜜」(サトウキビから砂糖をとる過程でできる黒色のシロップ)の意味だが、 元来は解毒、沈痛などの薬効がある調合剤のことをいった。
キャロルの時代にはすでにもとの意味では使われなくなっていたが、薬効成分がある霊水の湧くというtreacle well(「癒しの井戸」等と訳される)は、各地に存在した。
オックスフォード近郊のビンズィー〔Binsey〕にも treacle well があり、Aliceたちはよく散歩に訪れていたらしい。
ヤマネの“very ill”「重病」だった、という答えは、このtreacleの古い意味から引き出されたもので、その前の台詞“They lived on Treacle.”「蜜を常食としていた」にも「霊薬の薬効で生きていた」という意味が二重写しとなる。
訳文にも、もう少し工夫があっていいかも知れない(元来、内輪ウケ狙いの部分ではあるが)。


the Binsey treacle well には、オックスフォードの守護聖女フライズワイド〔Frideswide〕と結びついたフォークロアがあり、中世には巡礼地としてにぎわっていた。
日本で言えば、薬師如来の霊水に、弘法大師の伝説がからむようなものだろう。
クライスト・チャーチ聖堂内陣の正面左側、ラテン礼拝堂(チャペル)にも「ビンズィーの井戸」のステンドグラスがある。
そもそもフライズワイドはサクソンの姫君で、小舟でテムズ川を下り、たどり着いたオックスフォードに女の修道院をつくった。
Aliceは子どもの頃からその伝説に親しんでいたはずで、ずっとのちに聖フライズワイド教会が建設されたさい(1890年完成)、得意の木彫で、オックスフォードに降臨した聖女の姿をパネルに仕立て寄贈した。 現在では『不思議の国』マニアの「巡礼地」のひとつのようだ。
 これはラファエル前派のバーン=ジョーンズが1859年に制作したもので、Aliceにとっては もの心つく頃から存在し、キャロルにとっては比較的記憶に新しいものであったろう。
大聖堂の正面右側、聖ミカエル礼拝堂(セント・マイケル・チャペル)にもバーン=ジョーンズのステンドグラスがあり、聖カタリーナ(キャサリン)の像が表されているが、これは1876年に夭折した Edith Liddell を悼んで、'78年に制作したものであることが知られている。