年季の入ったキャロリアンならば寺山修司(1935.12.-83.5.)がアリスに言及する機会の多い作家だったことは知っているだろう。しかし、寺山の著作は膨大で(堀江秀史の最新の書誌(『寺山修司の一九六〇年代』白水社、2020.3.)によると再編や増補版を除いた単行本タイトルだけでも197冊に及ぶという)、その全体像を把握するのはかなり困難と言わざるを得ない。寺山とアリスとの関係は誰かが整理しておくべきだと思うが、ここではその端緒として、目についた範囲で具体例を列挙してみたい。 まず、タイトルにアリスを標榜する本としては寺山が選者の読者投稿詩集『恋するアリス』(新書館〈フォアレディース あなたの詩集〉7、1974.6.)が目に付く。 その巻頭には、
不思議な国は大さわぎ! チェシャ猫はやきもき 気狂い帽子屋はやきもち 台所でくすぶるやきもつ まがい海亀はやきもの 著作権の問題があるのでエピグラフの全文は引用しないが、その少女たちの恋の相手は詩人である「ぼく」だと、諧謔味を帯びた自負が語られている。詩の末尾は、
「恋をすれば 誰でも不思議な国へ旅ができるのだ」と 投稿詩集なので寺山自身の作は少ないが、「魔女の時間割り」という章の冒頭には、
ミツバチにはミツバチの時間割りがあります 神父には神父の アリスにはアリスの 時間割りがあります 月曜日 出産 火曜日 入学 水曜日 初恋 〔下略〕 また、巻末には〈あなたの詩集〉6『恋なき子』(1973.8.)でデビューした、のちの劇作家・岸田理生(りお。1946.1.-2003.6.)の幻想短編「不眠症の猫」が収録され、これにもアリスの引用がある。この作では主役の猫がテオナナカトル(いわゆるマジック・マッシュルームのアステカ帝国での呼び名)をかじるのだが、「猫はきのこの幻覚作用を知っていた。」として『不思議の国』5章のキノコでアリスの体が伸び縮みする場面を引用する。つまり、それはキノコによるアリスの幻覚というわけだろうが、サイケデリック・ムーブメント以降、幻覚性キノコ説は一般に普及して信じている人も多い。 例えば、高橋康也・迪共訳の『不思議の国のアリス』新装版(新書館、2005.12.)で、康也教授の没後、迪夫人が独自に付けた注では「青虫のキノコはテオナナカトルという種類。」などと解釈している* が、マジック・マッシュールームはテニエルらの描くイラストとは形状が異なり、また、キャロル自身が聞けば怖気をふるうような話であろう。 寺山は、あるいは岸田のこの短編を収録することが決まったために本全体をアリス・モチーフにしたのかも知れない。 とは言え『恋するアリス』の古書価を高からしめているのは、沢渡朔(さわたり・はじめ。1940.1.生)撮影による西洋少女のカラー写真と見るべきだろう。表・裏表紙の2葉と、口絵の8葉で、モデルは『少女アリス』(河出書房新社、1973.12.)のサマンサである。 『恋するアリス』でのショットは全く危なげないが、『少女アリス』のほうはヌード写真を含み、時に芸術か児童ポルノかの論争の的になる。70年代のアリス・ブームの中でエポックを画した写真集で、何度も再版されているが、『スペシャル・エディション』(同社、2014.10.)が発刊された際の写真展を京都、WRIGHT商會三条店で観覧すると、客層はほとんど20代の女性でやや意外だった。 沢渡と言えば過去に寺山のアヴァンギャルド映画「トマトケチャップ皇帝」(1970.製作)の撮影を担当したこともある。この作品も「児童を出演させていることは教育上ゆるしがたい」(福岡県教職員連盟)などと批判されていたが、私が最初に視聴したのは寺山没後10年ほどを経た広島市現代美術館で(当時、広大生だった)、オフィシャルな場で上映されていることに皮肉を感じたのである。その際は過激と思ったのだが、さらに10年後の2003年に大阪九条のシネ・ヌーヴォで再見した時は、むしろ実験映画としてはオーソドックスに感じた。個人的な経験ではあるが、記憶の中では極彩色になっていたのにモノクロ調色だったので肩すかしを食ったということもある。ちなみに再見時は寺山の義弟・森崎偏陸(へんりっく。1949.生)らのトーク付き上映だった。 寺山編の少女投稿詩集はおそらく16冊刊行されるが、〈あなたの詩集〉10『鏡の国のあなた』(1976.4.)には「アリス地獄 幻想水族館」の章が、11『鉛筆のシンデレラ』(1976.9.)には「奇妙な味の料理人はアリスが大好き」の章が含まれる。投稿詩にもアリスの名が登場するものが数編ある。シリーズ全体のアートディレクションは宇野亜喜良(あきら。1934.3.生)で、この画家も寺山の舞台・宣伝美術を手掛けたが、アリスをイラスト化したことでも知られる。 『人形たちの夜』(新書館〈フォアレディース〉、1975.4.)も巻頭は沢渡朔撮影の人形の写真だった。収載の詩編「水妖記2」には「ハンプティ・ダンプティ兄弟商会」の語句が見られるが、「水妖記5」は次のような連を含む。
女医に恋された競輪選手のジャックは 書物の中に入っていきたいが入口が見つからない 「アリスはどこだ? 鏡の国の査証をおくれ!」 5 競輪選手のジャックに恋されたアリスは テントウ虫を煮ていた 腹話術師のおじさんに御馳走するために 6 アリスに恋された腹話術師のおじさんは 曲馬団の大山デブコのために またずれクリームを探しまわっていた 満月の夜だった また、『人形たちの夜』巻末の「人形あそび」という詩は、次のように始まる。
少女は「人形の罹る病気分類学」の学術論文にとり組んでいた 人形の病気 (1)体温恐怖症 (2)ネジ式舞踏症 (3)半面聾唖症 (4)自然性毛髪伸長症 (5)アリス氏父性愛症 プロローグとして「一〇〇人のアリスが恋をしたので」の歌も入っているが、SIDE 1が「数学の国のアリス」、SIDE 2が「猫の詩集」と題され、SIDE 1には「片目のアリスはお好き?」(1分21秒)、「アリス・ジャニー」(52秒)という曲が収められている。 前者は、アリスは見えない方の片目で煙突掃除のジルベエルという男の子を見ている、などと歌ったあと、次のように続く。
《美術手帖》(美術出版社、1977.6.)には劇評「アリスが髭を剃るとき 早稲田小劇場東京公演「鏡と甘藍」」が載っている。《ユリイカ》「総特集 寺山修司」(青土社、1993.12.臨時増刊)の「単行本未収録作品集成」にも再録されているので、そちらで読んだ人も多かろう。アリス論のような面もあり興味深い内容だが、冒頭部を引用すると、
(もっとも、ヒゲ男によるアリスごっこを見るのは、今回がはじめてではない。ロンドンのピップ・シモンズ・グループの「不思議な国のアリス」も、こうした夢魔に憑かれたもので、なかなか印象的なものであった)。 (https://en.wikipedia.org/wiki/Pip_Simmons_Theatre_Group) 『寺山修司・多面体』(JICC出版局、1991.11.)には「寺山修司のニュースレター '77〜'82」というものが収録されている。これには「寺山修司が約6年間、30人から50人の 主として女性ファンに向けて 近況や頼みごとなどを書き送った 全33通の手紙、完全収録。」という前口上が付いている。今回「津山・寺山修司館」でニュースレターの現物と照合させてもらったが、ワープロ以前の和文タイプライターで打たれたもので、当初はタイプミスも多い。以下の引用は現物により、カンマ、読点などは原文のママである。 ニュースレターの第5便(1977.9.)には、
第16便(1979.1.31.)には、
第17便(1979.2.21.)にも「(人形劇「不思議の国のアリス」は80年の3〜4月と延期になりました。)」と書かれているが、台本は現存しないらしく、ただ、株式会社テラヤマ・ワールド(東京都渋谷区在)に寺山自筆の「企画書」のコピーは残されていた。 それによると、人形劇とは言うもののアリス役は「十三、四才の少女を公募」、キャロル役は職業俳優に任せるが、「従来の、鑑賞本位の人形劇から、観客参加の「考えるミュージカル」として新しいスタイルを生みだす。」とのコンセプトのもと、「毎公演ごとに、五人の観客(少女)がステージにのって、劇の進行にかゝわる。」「ルイス・キャロルのパズル的イメージを唄や質問の形式で劇の中にとりこむ。」などの案を挙げている。ほかのキャストは「人形」であるが同一キャラクターでも大小様々な(大きいものは「たとえば、ステージ一杯で、足だけのような」)ものを用意するとしている。 スタッフとして、「たとえば、音楽を田中未知〔1945.生〕とJ・A・シーザー〔1948.10.生〕の二名、装置に(パズル空間の立体化を考慮して)若い建築家(二笑亭〔にしょうてい。戦前の深川にあった奇建築〕などに興味をもっているような)、あるいは金森馨〔1933.9.-80.11.〕。思いきって安野光雅〔1926.3.-2020.12.〕。」などと計画し、さらには「ほかに魔術考案者 ニュースレターに戻ると、第19便(1979.4.)には次のような寺山の目配りの広さを感じさせる記事がある。
第20便(1979.8.20.)には、
第25便(1981.5.12.)には「高山宏さんの「アリス狩り」はとても面白い本でした。」との感想もひと言ある。高山宏(1947.10.生)『アリス狩り』は同月、青土社より刊行。 なお、『寺山修司・多面体』には桑原茂夫の「衝撃的なフレーズの名手 ―編集者としての寺山修司」という回想も載っているが、そこでは桑原編集の『少女 謎とエロスの妖精』(河出書房新社〈イメージの冒険〉4、1979.4.)で、寺山に書いてもらった原稿にアリスが登場することはなく、「原稿についてやりとりしている間も一度だってアリスにふれることはなかった。」と述懐したあと、「しかしなんのことはない。寺山さん自身がルイス・キャロルの実体たるチャールス・ラトウイッジ・ドジソンその人に近い存在だったのである。つまり誤解をおそれずにいえば少女誘拐者〔誘拐に傍点〕である。/じっさいのところ、芝居を見にきた少女が何らかの形で、寺山さんに強い関心を示そうものなら、ただちに少女のもとへ手紙を出したり電話を直接かけたりして、まんまと誘い出したというではないか。」と論じている。 桑原はここで種村季弘(1933.3.-2004.8.)の『ナンセンス詩人の肖像』(竹内書店、1969.9. 普及したのは筑摩書房、1977.9.)に所載の「どもりの少女誘拐者」(初出は《現代詩手帖》1968.11.)を援用したのである。70年代において大きな影響を与えた論考だが、キャロルの社交的な実像が判って来た現在では古びていると言わざるを得ない。桑原はかつてのアリス・ブームを牽引した編集者だが、アリス論に関しては旧套を墨守している。キャロルの多くの少女友だちは長じてからもキャロルを糾弾することなく、よい想い出として語ったが、寺山に惹かれた少女たちにも同じことが言えないだろうか。 寺山の童話集『赤糸で縫いとじられた物語』(新書館、1979.12.)には、キャラクターとしての「アリス」を登場させた物語がいくつもある。 「1センチ・ジャーニー」は少女アリスと少年テレスの恋物語。
全部そろえば ものがたり ひとつ欠けても ものがたり 〔下略〕 この童話は人間が小人化するという意味では『不思議の国』を念頭に置いているが、O.ヘンリーの「The Gift of the Magi(賢者の贈り物)」を悲劇にしたようなストーリーである。 「イエスタデイ」という作はアリスが主人公ではないが、逆に『不思議の国』『鏡の国』の要素は多く用いられている。
「影の国のアリス」はハサミで影を切り取る話、「書物の国のアリス」はハサミで切った言葉を実体化させる話だが、アリスの原典からは遊離した幻想譚である。 特に「影の国のアリス」は、寺山の実験映画「二頭女(にとうじょ)」(1977.)と共通するモチーフだが、この童話集に先んじて高橋康也 編集の『アリス幻想』(すばる書房、1976.11.)にも、薄奈々美のイラストレーションにより収録されていた。 日本ルイス・キャロル協会の初代会長で、70〜80年代のキャロル再評価の中核にあった高橋康也教授(1932.2.-2002.6.)と寺山の繋がりでは、『アリスの国の言葉たち 高橋康也対談集』(新書館、1981.7.)の「サーカスの詩学」(初出《ペーパームーン》1980.1.)を思い浮かべる人も多いだろうが、この対話では寺山はアリスの名を口にしてない。 奇書を紹介するエッセイ集『不思議図書館』(PHP、1981.1.)にも、ほんの少しアリスは顔を出す。まず、13章「食べ方を読む書物」の冒頭部を引用しよう。
『不思議図書館』20章「あゝ懐かしの少女雑誌の面影」には次のようなくだりがある。
なお、同書の「メモランダム」(あと書き)には「好奇心の飛行船に乗って、書物の中の「不思議の国」を旅する私は、もはや女装した中年のアリスのようなものかも知れない。」との言葉がある。 『寺山修司少女詩集』(角川書店〈角川文庫〉、1981.1.)には「アリスとテレスとお月さま」の詩と、アリスに言及した「水妖記5」「人形あそびの前書」「人形あそび」が含まれる。巻頭に据えられた「一ばんみじかい抒情詩」と「海の起源に関する一章」は、涙が海となるというモチーフが、『不思議の国』の2章、もしくはディズニー・アニメのアリスを思わせる(「きみ、知ってるかい?/海の起源は、たった一しずくの女の子のなみだだったんだ」)が、初出については調べられていない。 管見の限りでは寺山修司のアリスに対する言及は、《別冊現代詩手帖》第2号「ルイス・キャロル アリスの不思議な国あるいはノンセンスの迷宮」(思潮社、1972.6.)以降の出版ブームに乗ったもののように思われる。 機を見るに敏だった寺山らしい戦略と言えようか。 もとより拙論の見落としは多いと思われるので、他に寺山のアリス/キャロルに関する発言をご存じの方はご教示ください。 なお、末尾ながら、本稿の資料の探索に当たっては、三沢市寺山修司記念館 学芸員の広瀬有紀氏、テラヤマ・ワールド 代表の笹目浩之氏、津山・寺山修司館 主宰の小谷啓子氏に協力を仰いだ。記して謝意を表して置きたい。 (2021.8.20.)
Shuji TERAYAMA mentioned Alice. Shousei OHNISHI Shuji TERAYAMA (1935.12.-1983.5.), a famous poet and playwright, was a writer who often referred to Carroll or Alice. “Alice in Love”(1974.), a collection of poems submitted by readers compiled by Terayama, also includes his own poems inspired by“Alice's Adventures in Wonderland”. The epigraph, which compares the reader to Alice, ends with the line,“Lewis Carroll, the mathematician Uncle Dodgson, said that everyone who falls in love can travel to Wonderland. ”that the ascetic Carroll would never have uttered. The poetry collection“The Night of the Dolls”(1975.) and the LP album“I Don't Love You, I Can't Love You”(1976.) include poetry pieces that freely apply Alice. Terayama had sent out a“newsletter”to his 30 to 50 female fans to report on his recent activities, and there are several articles related to Alice in this letter. For example, in 1977, in response to a questionnaire in a weekly magazine, he stated that he recommended“Through the Looking-Glass”, Thomas Pynchon's“V.”, Carpentier's“El reino de este mundo (The Kingdom of This World)”, George MacDonald's“Lilith”, Kyoka IZUMI's “Kusameikyu (The Grass Labyrinth)”, and Borges' “Ficciones (Fictions)”. The letter also contains plans for a puppet show,“Alice in Wonderland”(1979-80.), which was never realized. The script for this work does not exist, but the proposal remains in the possession of TERAYAMA WORLD Inc. The short stories“One-Centimeter Journey”,“Yesterday”,“Alice in the Shadowland”, and“Alice in the Land of Books”included in Terayama's fairy tales collection,“The Stories Sewn Closed with Red Threads”(1979.), are also examples of the free application of Alice away from Carroll's original. In his essay collection on strange books,“The Library of Wonders”(1981.), there is a page that introduces (without naming the book) John Fisher's“Alice's Cook Book”etc. In the postscript, he describes himself as“maybe like a middle-aged Alice dressed as a woman”. “The Shuji TERAYAMA's Collection of Poems for Girls”(1981.) in addition to including poems referring to Alice in the past, also includes at the beginning of the book,“Do You Know? The origin of the sea was a single drop of a girl's tears”(titled“A Chapter on the Origin of the Sea”) and other works remind us of the second chapter of “Alice in Wonderland”or the Disney animation. To sum up, his homage to Alice was an attempt to take advantage of the boom in the publication of Alice books in Japan after the second issue of“Bessatsu Gendai-shi Techo (Extra Issue Handbook of Contemporary Poetry)”(1972.), which featured Lewis Carroll. It was a strategy that was typical of his keen sense of opportunity.
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