「だってほら、ひょっとして」アリスは、ひとりごちた。「最後には体がぜんぶ、なくなっちゃうかも知れないじゃない、ロウソクみたいにね。そしたら、わたし、どうなっちゃうの?」 そこでアリスはロウソクが消えたあとの、炎はどんなものか、思いえがいてみた。思いだそうったって、そんなの見たことないもの。
( “for it might end,you know,”said Alice to herself,“in my going out altogether,like a candle. I wonder what I should be like then?” And she tried to fancy what the flame of a candle looks like after the candle is blown out,for she could not remember ever having seen such a thing. )
blow out は、無論 「吹き消す」 という意味だが、拙訳では解釈にふくらみを持たせるよう、少しあいまいに訳した。
ロウソクが消されたあとの焔というモチーフは、6章末、チェシャ猫が消えたあとの笑いとして、非常に印象的な形で繰り返される。
『子ども部屋のアリス』 9章では、チェシャ猫は最初、ちょうどロウソクの焔が消えていくように消えた、と表現される (the Cat vanished away,just like the flame of a candle when it goes out!)。
消えたあとも燃える焔というものがイメージを喚起しやすいせいか、この部分も、うがち過ぎた解釈が少なくない。
細井勉 『ルイス・キャロル解読 不思議の国の数学ばなし』(2004.) 323-4頁では、candle を吹き飛ばしたあとに残る焔、と独創的に捉え、次のように注釈する。
蝋燭については,イギリスの物理学者・化学者のファラデー(1791-1867) がクリスマス講演をもとにして書いた 『蝋燭の科学』(1861年) という本が有名です。 〔中略〕
キャロルは,数学者として,蝋燭と炎の定義と関連して,ファラデーの考えに違和感を覚えたのではないか,その違和感をここに表現したのではないかと想像します.
ちなみに,ファラデーは,炎も蝋燭の一部と見なしています.
稲木昭子・沖田知子 『アリスの英語』(研究社、1991.) 49頁では、アリスの心理を “マイナスの世界におびえている” と説明する。
もし、これがパロディであるとすれば、「キリストこそは暗闇の世界を照らし、救いの道へと導く光だ。
ロウソクの光は消えることがあるが、キリストは永遠の生命=真の光であって、どのようにしても消すことができない。」 といった、陳腐な言い回しのもじりかも知れない。
大西小生の私見だが、これも考え過ぎだろうか。
当時、ロウソクは 「火消し」 を かぶせて消すことが普通だった。
チャールズ・ディケンズ 〔 Charles John Huffam Dickens,1812-70.〕 の小説 『クリスマス・キャロル』(1843.) 2章 「第一の精霊」で、ロウソクの火消しのような帽子を抱えたクリスマスの精霊が登場する。
章の末尾で、精霊は主人公スクルージに、その 「火消し」 をかぶせられる (右図。ジョン・リーチ挿画)。
スクルージは、ろうそく消しをつかんで、えいやっとばかりに幽霊の頭にかぶせました。 〔中略〕
しかし、スクルージが ありったけの力でろうそく消しを床に押しつけても、その下から洪水のようにあふれ出る光は、いっこうに消えてはくれませんでした。 〔脇明子訳〕
ちなみに 『赤毛のアン』 にも 「アンの頭からろうそくの火消しをかぶせたように」 という表現がある( 『赤毛のアン電子図書館』−〈赤毛のアンに隠された英米文学〉
−「4章」 )。
多田幸蔵は注釈書のコラムで、このくだりから シェイクスピアの 『マクベス』(1605-6.)の名セリフ
“Out,out,brief candle! Life's but a walking shadow,”(5幕5場) が浮かんでくる、と述べた。
坪内逍遥訳を引くと 「消えろ消えろ、束の間の燭火(!/人生は歩いてゐる影たるに過ぎん」。
『鏡の国』 4章で、赤の王様が夢から覚めると、夢の中の存在であるアリスはロウソクのように消えてしまう、という 「胡蝶の夢」 のようなエピソードは、人生を 夢や ロウソクの焔のような果敢ないものに例える伝統的な比喩をノンセンス化したもの。
キャロル自身も、この伝統に捕えられがちだったことは、初期の詩 「Faces in the Fire 焔の中の顔」(1860. 『ファンタズマゴリア』 所収)や、『シルヴィーとブルーノ』 献詩( Is all our Life,then,but a dream 「人生は、すると、すべて夢に過ぎないか」) などに如実に顕われている。
『鏡の国』 においても、それが笑いにまで昇華されているとは言い難いが、そのペーソスを良しとする人も多い。
こうしたキャロルの真摯な面については、平倫子( 『ルイス・キャロルの図像学』(英宝社、2000.) を参照されたい。