4月10日深夜、関東方面への旅行から、無事、大阪へ帰還。
…あちこち回って、疲れた!
明治新聞雑誌文庫や国会図書館といったお決まりのコースのほか、今回は小説 「蒲団」 の作者・田山花袋の出身地、館林(たてばやし)まで足を伸ばした。
館林では 「世界一こいのぼりの里まつり」 と謳ったイヴェントが開催中で、この鯉幟りの数はギネスも認定 したらしい
(といってもギネス・ブックには、まだ載らない。あちらでは windsock として認識されているようだ)。
桜も満開で、観光にはいい時期だったが、花袋記念文学館で、閉館時間まで収蔵資料を閲覧。これは当初、一日で済ませるつもりだったが時間が足らず、予定を急遽、変更して二日間、館林にいた。
そんなわけで、あちこち散策する余裕は無かったが、鯉幟りのメイン会場は文学館のすぐ裏手で、屋台が数軒、出ていたので、上州名物の 焼きまんじゅう だけは食べた。
それにしても、花袋なんて、いわゆる 「文豪」 の中ではマイナーな人物だろうと思うが、驚いたのは、収蔵資料を閲覧させてもらっている間にも、花袋の作品に対する問い合わせの電話が、いろいろな方面から、何度もかかって来ていたことだ。学芸員の人たちは、大変である。
この文学館では、保存されている書簡などを、外部の研究者が直接手に取ることが出来ないのは、まぁ当然というか仕方ないが、目録が整備されていて、例えば何番のハガキが見たいと言えば、カードに貼られた写真版を出して見せてくれる。
花袋は、けっこう筆まめなほうで、もらった手紙も かなり保存していた。田山家からは 2000通以上が寄贈されていて、その細かい中身については、まだまだ吟味の余地がある。
岡田美知代についても、神戸女学院から、一週間、館林に泊り込んで資料を調べに来るような人がいるらしい。 こと永代静雄に関しては、小生以上に詳しそうな人がいなかったんで、ホッとしたが(笑) 〔4月15日〕
以下の写真は、土産代わりに単に携帯電話のカメラで撮ったもの。何の変哲も無くて申し訳ない。
最後の段の写真は、田山花袋記念文学館の向い側、花袋旧居の隣に建つ 旧上毛モスリンの事務所と、その事務所内に展示されている正田貞一郎(日清製粉の創立者で、皇后美智子の祖父) が使用した馬車。
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