北原尚彦先生の 『シャーロック・ホームズ万華鏡』 が発売された。
表紙のイラストは、チャイルディッシュだが、喜国雅彦。
アダルトものを含む尋常でないホームズ・パロディの数々から、『シャーロック・ホームズの冒険』 の初期翻訳 『探偵王 蛇石(じゃせき)博士』(大正4年。 蛇石、が シャーロックのもじり) やら、
刊行中の笹野史隆氏の私家版 ドイル全集の紹介、
実吉達郎による研究書 『シャーロック・ホームズの決め手』 のカヴァーの色違いコレクションに至る、非常にディープな内容だ。
しかし、ホームズを読んだことがないような読者も想定して書かれているから、マニアの世界を のぞいて見たいという方は、是非 ご一読を。
ホームズ物の リライトやパロディというのも、アリスのそれと同様、全てを コンプリートするなどというのは、どだい不可能な世界である。
ホームズ風の名探偵が出て来るとか、アリスを名のる登場人物がいるとか、タイトルが 『不思議の国の○○』 だとか 『なんとかの事件簿』 だとかいうのまで範囲を広げたら、全く “収集がつかなくなる” ことは言うまでもない。
そこで、自分の欲しいものかどうかを決めるボーダーラインの設定が重要になって来る。
購入しない物件に対しては 「ホームズ度」 が低い、と鑑定して自分を納得させるのだが、しかし、よく読むと、最初買い逃した本に、再び出会って入手するまでの話が、すごく多い。
このあたり、古本世界の 醍醐味が伝わって来るように書かれている。
ちなみに北原先生は、紙物(印刷物) は パチスロの説明書まで集めるが、グッズは基本的に集めていない。これは体質の問題だろう。
もちろん予算の問題も収納スペースの問題もあるから、一般的アリス・ファンにとっても、グッズ購入のボーダーを どこに決めるかというのは、シャーロッキアン以上の難問だが。
小生も、アリス・グッズには手を出さない。何かを購入するとなると 「アリス度」 よりも 「キャロル度」 の高さが判断基準になったりするが、ネタとしては 「アリス度」 も 「キャロル度」 も低いもののほうが面白かったりするので、なかなか難しい。
小生の場合、実はアリス本のコレクターですらないのだが、にもかかわらず関係資料のコピー代 だけで、月々の食費 を軽く上回っている。
さて、この新刊 にあやかって、ホームズ物の珍しい翻訳を紹介しよう (画像)。
これは、ドイルの翻訳を専門的に研究している方々も掲載誌を探しているというから、紹介するだけの値打ちはあると思う*。
大正 5年、永代静雄の編集した雑誌 《イーグル》 に載ったもので、連載第 1回 のみは香川大学の神原コレクションで読むことができる。
しかし、こうして親切から稀覯書の情報を あちこちへ提供しても、先を越されたと思うのか妙に恨まれて、程度の低い皮肉を聞かされたりするのが、世の中の難しいところだ (これは探偵小説研究家の方々の話ではないが)。
創刊号以外は私も新聞広告でしか知らないので、こうして Web に書いたことを契機に、この雑誌の発掘が進むことを望みたい。
ただ 神原コレクションに関しては、閲覧した資料をマイクロフィルム化、もしくはデジタルカメラで複写した場合、その複製 を自己負担で香川大学図書館に寄贈せねばならないという規則があるので、今後 その図書館を訪ねても、学生や一般の方が閲覧できるのは原誌でなく、小生の作成した CD-ROM版、ということになるはずだ。
私としても、そんな面倒な作業はしたくなかったが、最近は紙資料の劣化が どこでも問題になっていて、そういう規則 になってしまったんだから仕方がない。恨むなら、大学当局を恨んで欲しい。
後注。 2012年8月、安成貞雄編集の《探偵雑誌》創刊号を閲覧するために再度、香川大学を訪れたが、《探偵雑誌》はマイクロがあるにも拘らず原本をカメラで複写させてくれた。複製を寄贈せねばならないという規則もなくなっていた。研究者には朗報だろう。
見たとおり、長篇 『恐怖の谷 〔The Vally of Fear〕』 の まっとうな翻訳なわけだが、英国での初出は 1914〜15年。つまり大正 3〜4年だから、かなり早い紹介だ。
この訳者、匿名で 「雨梧楼」 というのが原誌を読んだだけでは謎でしかないのだが、永代静雄の回想によれば、その正体 は 馬場恒吾(ばば つねご) である。
戦後、正力松太郎のあとを受け、〈読売新聞〉 の社長となった人物だ。
「憲法草案要綱」 を まとめたメンバーの 1人ということで、最近の 〈毎日新聞〉(8/14) にも記事が出ていたから リンク を貼って置こう。
> 朝鮮戦争と東西冷戦が進むにつれ、「日本は憲法改正し再軍備を」 と主張を変える。道中さんは、「一国だけが丸腰になるのは非現実的ということ。オヤジは極端さを嫌っていたから」 と思う。
中庸 を目指したため、ご子息の名前も “道中(みちなか)” だった、というのが落としどころか。 ひと昔前の 〈毎日〉 なら、こういう人物は非難されるところだが、今では、むしろ先見の明があったということになりそうだ。
永代静雄の周辺には、こういうタイプの人物が多く、永代の研究をすることは周辺人物の思わぬ再評価にもつながる。
永代自身も戦後まで生きていれば、ジャーナリストとして、それなりの地位に就いていただろうに、残念だ。 〔2007年 8月19日。最終更新2021年 1月16日〕
* 『図説 児童文学翻訳大事典 第 4巻』 (2007.6.) 所収、新井清司 「コナン・ドイルと日本 児童書としてのドイル、初期受容の周辺、上村左川を中心に 」 注(五)参照。
上記の論文で扱われている押川春浪 訳 『ホシナ大探偵』 については、発売中の 《SFマガジン》(2007.10.) にも横田順彌先生の解説が載っている。
しかし、安成貞雄 訳の 『金髪美人』。
故・福田久賀男氏の蔵書は、没後すぐに古書店が引き取って行ったそうなのだが、横田先生が原本を所蔵していたとは! さすがは先生*。 〔8月30日〕
この 『金髪美人』 では、ルパンの名前は “有村龍雄” になっているのだが、森下流仏楼 訳 「泥棒の泥棒」で、有田龍造 と もじったのと、実によく似ている。
これは一見、森下流仏楼=安成貞雄説 に有利なようだけれども、仮 に流仏楼=森下雨村だったとしても、雨村は貞雄から教えられてルパンの英語版 を翻訳 したに決まっているから、その後、貞雄が雨村のネーミングを引き継いだからって別 に不思議じゃない。
気になるのは、“リュウゾウ” で “リュパン” と語呂が合っていたものを、どうして貞雄が “たつお” に改変してしまったか、という点だな。
ちなみに貞雄の解説において、怪盗の名前の表記は、“アルセーン・リユーパン” である。
有村 を “あるソン” と読めば(蛇石博士が、シャーロックみたいなもので)、原語の読みを もじったシャレとも考えられるが、何故、名前の後半まで変えたのか?
有田龍造 は雨村の創案だから、貞雄は それとは名前を微妙に変えてみせた、と考えたいところではあるが、堺利彦がルパンこと渡辺金兵衛を、単行本では渡辺金弥に改めたみたいなもので、深い意味は無く、ただ、そのほうが格好いいと感じただけかも知れない。
また、微妙な謎が増えた(笑)
しかし問題は、雨村が下訳 して貞雄が手直ししたとかのパターンもあり得ることで、こうなると語彙の分析をしたって真実は判らないわけだ。
話は変わるけど、 9月 1日から 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版 : 序」 が公開されて、最初の週末 2日間の興行成績は 2億 8千万円を記録したとか。
このアニメも、これまで、ずいぶん多方面から “研究” されているわけだが、エヴァ初号機の顔のデザインが、実は永代静雄の軍事冒険小説 〈飛行式潜航艇 怪頭号〉 から引用されている、ということには言及した人がない。
おそらく、庵野秀明総監督も聞いたことのない話であろう。
まぁ拙サイトは、嘘は少ないけど、冗談はけっこうある … 〔2007年 9月 9日。最終更新2021年 1月15日〕
* 横田順彌 『雑本展覧会 古書の森を散歩する』(日本経済新聞社、2000.) にも 『金髪美人』 の書影 が載っているが、本文中では ほとんど触れていない。
もとが 〈日経新聞〉 のコラムだから、書くスペースも無かったのだろうが。
上記 《SFマガジン》 以外で この本について語っているのを、ご存知の方は連絡ください。
後注。『金髪美人』は、北原尚彦編 『怪盗対名探偵初期翻案集』(論創社〈論創ミステリ叢書・別巻〉、2012.)で全文翻刻された。
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