永代静雄(ながよ しずお)という人物 は、古本好きやアリス・マニア、近代文学もしくは新聞学、もしくは伝書鳩の歴史 に関心のある人以外には、そんなに知られていないはずだが(これだけでも、けっこう知られている、とは言えそうだが)、最近はマンガの中にも登場する。
昨年刊行の大塚英志(おおつか えいじ)原作・山崎峰水(やまざき ほうすい)マンガ 『黒鷺死体宅配便spin-off 松岡國男妖怪退治』3巻所収の「妹の力」に、永代静雄はゲスト出演している。
このマンガ、少し以前、有元伸子教授のツイッターでつぶやいた人がいたので知った。有元先生は広島大学で、永代の妻であった文学者・岡田(永代)美知代を研究しておられる。
2013年08月28日(水)
ミス研100人委員会 @le_grand_juran
母校の偉大な先輩・永代静雄が松岡國男妖怪退治にでてきて嬉しい。日本にロリコンとNTRを広めた偉大な男ですからね
なるほど、世間では今こんな受け取られ方か。 一般人というにはオタク過ぎる投稿者のようだが。
永代を先輩というところからすると同志社か早稲田の出身者だろうか。学生ではないらしい。
ロリコンを広めた、というのは永代が『不思議の国のアリス』を初めて翻案した人物だからと思われるが、アリス=ロリコンという図式、木下信一氏が嘆きそうな紋切り型である。
だいたい、日本でアリスとロリコンが重ねて論じられ出したのは昭和40年代以降で、永代作品とは関係ないし… などと真面目に反論するのも興が無い。
NTRが「寝とられ」の略だということは説明する必要もあるまいが、美知代自身は「蒲団」事件の段階では永代と肉体関係が無かったことを書いている(「私は「蒲団」のモデルだった」等)。
もっとも、田山花袋(たやま かたい)は 2人に肉体関係があったと信じていたので、「蒲団」が“寝とられ小説”となっていることに間違いは無い。まあ、美知代は花袋の まっとうな弟子であって、愛人関係にあったわけではないので、永代が美知代を奪ったからといって本来“寝とられ”には当たらないんだが。
寝とられを広めたのは田山花袋の小説であって、永代自身はあずかり知らぬことと言えそうだ。
ロリコンだって日本の近代文学に定式化したのは、田山花袋の「少女病」ではあるまいか。
マンガ自体の話に戻ろう。この作品、怪奇ファンタジーで、主人公は柳田國男(やなぎた くにお)、その相棒が田山花袋というもの。岡田美知代もレギュラー出演している。
シリーズの第 1巻「あとがき」にも触れられているが、“史実としては松岡國男が柳田直平の養嗣子となるのが明治三四年、そして直平の娘・こうと結婚するのが明治三七年だから実際には〔マンガで描かれた時代には〕柳田姓になっている”。
そこを、あえて松岡姓で通すことで、このマンガは現実とは異なるフィクションなんですよ、ということを担保しているとも言える。
岡田美知代が花袋へ弟子になりたいと手紙を送ったのは明治36年のことだが、マンガでは37年、花袋の日露戦争従軍後のこととされている(1巻「第三話 うつぼ舟の話」)。
正確には、弟子となって上京するのが、37年なのだ。
従軍時の花袋に美知代が送った手紙が恋文めいていることに こだわる小谷野敦(こやの あつし)氏なぞには許しがたい改変だろう。
ちなみに小説「蒲団」に描かれているのは主に明治38年から39年初頭の事件(小説が発表されるのは明治40年)である。
美知代は「蒲団」事件で郷里の親元へ帰されるが、マンガでは「いっそ 彼と二人共 弟子として置いて 下さいっ!」と花袋に頼み、花袋が永代と美知代の“身元を引き受ける”ことになる。およそ現実では考えられない話だ。
マンガの中で「蒲団」は、未だ書かれていないが、そのわりに 4巻「第十三・十四話 小さき者の声」では“少女歌劇”なども登場し、そうとう年代は自由に描かれていると言える(宝塚少女歌劇は大正 3年から。それ以前の白木屋少女音楽隊でも明治44年から)。
この作品に登場する伊藤博文は明治42年には亡くなってるので、“少女歌劇”なんて知らなかったろう。
さらに、この話にはコナン・ドイルとバリツが描きこまれるが、南陽外史の「不思議の探偵」(『シャーロック・ホームズの冒険』)は明治32年〈中央新聞〉に掲載されていたとはいえ、明治末に柳田が『シャーロック・ホームズの帰還』収録の「空き家の冒険」を知っていたり、一般人がドイルの名を知っていたりすることは、まずあり得ない。
かなり好き放題に書いているが、そこはマンガだから目くじら立てるべきではないのだろう。
当然、永代静雄の登場回「第十話 妹の力」にも、嘘は多い。
その前に「第九話 雪国の春」のラストで、美知代が「…実は私 彼氏ができ まして」「その方と一夜を 共にしてしまい ましたの…」と、あっさり告白し、花袋が蒼白になるというシーンがあるのだが、
先ほども書いたとおり、美知代自身は後年の回想で肉体関係を否定している。小谷野敦氏のように、絶対に関係はあったはずだと信じている人もいて、大塚英志氏もその説に従っただけかとも思うが、
少なくとも昭和30年代になっても関係を否定していた美知代が、あっさり関係を認めるはずが無い。
もっとも美知代は男性と散歩に行くことなど、あけすけに語っていた(当時は眉をひそめられる行為だった)というから、ここは美知代のそういう性格をマンガ的に描いたものかも知れない。
さて、「妹の力」で永代はまず、鳩を頭に載せた肖像写真として登場する。実際には永代が鳩を飼い始めたのは昭和 8年頃からで、昔から鳥好きだったとは言われるものの、明治末には貧乏で鳥を飼う余裕など無かった。
松岡國男のセリフで、永代に対し「同志社の神学部に 通って文学志して… おまけに鳩まで飼って 一貫性に欠けるなあ 文学ってのはそんなに 甘かないぜ」というのがあるが、永代は“同志社の神学部”に通っていたわけでも無い。
この点は、現在ほとんどの資料に、永代は同志社の神学生だったと書いてあるから、大塚氏が誤ったのも無理は無いと思える
(神学部という言い方も、まあ一般に用いられているが、当時は別組織で同志社神学校と呼ぶのが正確である)。
しかし、実は大塚氏には平成20年に拙著『「アリス物語」「黒姫物語」とその周辺』を購入してもらっている。
拙著の「補訂表」には、〈同志社新聞〉八号「同志社学生名簿」(明治38年 5月 1日発行)の発見により、永代が神学校の生徒でなく普通学校の生徒であったことは確認された。と書いてある。
研究者を名乗るような人には本来なら、同志社社史資料センターで同紙を確認して欲しいところだ。そんな暇は無いだろうけど。
そこを読み落としたとしても拙著本文には、神戸教会〈教会月報〉四六号(明治36年 9月10日発行)に“同志社普通校へ入学の志望にて”と記され、
同七〇号(38年10月10日発行)には“神学生候補者”に永代が選定された記載がある、と書いている。神学生だったなら“候補”には、なり得まい。
つまり、入学時にも同志社を出奔する直前にも、神学生ではなかったわけだ。
美知代などは永代を“神学生”と回顧しているが、それらの一次的資料のほうが正確だろう。
美知代が誤解したのは、永代が神戸教会で目立った活動をしていたからだろうし、永代自身、一時期は牧師を目指したことがあるのも確かだ。
永代の心は信仰心と文学の間で揺れ動いており、明治40年には美知代に宛てて“秋より同志社神学生となるべし。”と同志社復学の希望を述べた書簡を出したりもしている。
マンガでは、永代は聖職者用の十字架のマークの入ったマフラーをしていて、これは絵的に格好よい。
あるいは大塚氏もそういう画面の効果を考えて神学生として書いたと思いたいところだが、平成23年の『「妹」の運命 萌える近代文学者たち』(思潮社)でも永代のことを“関西学院に入学、神戸教会に籍を置くが同志社の神学部に移った。”などと書いている(135頁)。
さらに細かい点を言うと、永代は神戸教会に入会したあと、関西学院に入るのだが。
まあ大塚氏の興味は永代が神学生だったかどうかには、ほとんど無かったのだろうし、大半の読者にはどうでもいい部分だろうが、その問題は永代の心情を理解する上で重要なポイントだ。このことは、いずれ稿を改めて論じたい。
もう一点、「妹の力」の明白な誤りは、キャロルの小説を“「少女世界」で長谷川君が翻訳して 連載してた”という箇所。
長谷川天溪(はせがわ てんけい)訳の「鏡世界」は《少年世界》に掲載されている。明治32年4〜12月の連載だから、同年 9月に博文館編集局に入社した田山花袋が、この翻案のことを知っているのは不自然では無い(原作がキャロルとまでは知らなかった可能性が高いし、松岡國男のほうが、この作に詳しいのは不自然だが)。
《少女世界》は明治39年創刊で、それ以前は少女も《少年世界》を読んだりしていたらしい。
それはともかく、この作に対して「あれは 長谷川さんの翻訳が 酷いのですっ!」「英語の言葉遊び というものを わかっていないっ!」などと主張するのは、キャロルの言葉遊びをほとんど全く日本語に移し替えられなかった永代静雄の よくするところではあるまい。
実際以上の人物に描かれているということで、喜んでおくべきだろうか。
この「妹の力」では文士たちの失踪事件が創作されているのだが、“若い文士の才能を 妬み犯行に及んだ… つまり犯人は 博文館編集主任 田山花袋だ!!”と主要キャラのひとりが誤った推理をぶつ。
ここなどは『「アリス物語」「黒姫物語」とその周辺』で、永代が花袋は新しい時代に追い越されることを怖れ、嫉妬した、と発言していること(田中純『文壇恋愛史』)を紹介したのが、関係しているかも知れない(関係ないかも知れないけど)。
拙著でも この箇所は、いささか筆が滑った感がなくもないが、花袋は永代の容姿のみならず、“演説調の雄弁”には嫉妬したかも知れない、と思う。
でなければ、「蒲団」の中で“基督教に養はれた、いやに取済(とりすま)した、年齢(とし)に似合わぬ老成な、厭な不愉快な態度”等々、必要以上に こきおろす一方、永代がモデルの人物のセリフは『先生には よう申訳がありまえんのやけれど………』『私はそないなことは無いつもりですけれどナ』と変に田舎風にしてしまったことの説明がつかない。
当サイトの読者には「蒲団」を読んだことの無い方も多いだろうが、読んでみれば、とにかく永代がモデルの“田中秀夫”が悪しざまに書かれていることに気づかされるだろう。
以上見て来たように「妹の力」の永代静雄は特に悪い書き方がされているわけではなく、むしろ実際以上に書かれているが、違和感は随所にある。
美知代も魅力的にマンガ化されているのだが、「あの娘 物書きや有名人 なら誰でも いいんじゃないか」(1巻「第四話 片足神」)とか「只の文学おたく」(4巻「第十二話 耳たぶの話」)とか、いささか哀れな評され方をしている箇所もある。実際には美知代にも、明確に作品の好みがあったのだが。
「この娘 男を破滅させる 相が出とるぞ」(3巻「第十一話 幽冥談」)などと言われるのは、美知代が生きていれば心外に思っただろう。周囲から見れば美知代は男を惑わせる女性だったようだが、美知代自身はそのことに自覚が無かった。
ただ、永代と美知代の破局を、美知代が奔放だったからのように書く論も世間には いくつか存在するが、これは事実に反すると言っておかねばなるまい。
柳田國男に『遠野物語』のネタを提供した佐々木喜善(ささき きぜん)なども、マンガでは実に哀れな描き方をされている。
小谷野敦氏には文学的に優れた仕事を残さなかった人を冷評するという傾向があるが、大塚英志氏にも似たような傾向があるのかも知れない。
とは言え、大塚氏の『「妹」の運命 萌える近代文学者たち』は、美知代の『ジョン・ハリファックス 愛と真実』(訳書)や「帰校前」、永代の『アリス物語』や「命懸のかくれん坊」を作品に即して語った貴重な論考だ。
特に『愛と真実』を、女性が男性に教育を与える、男性によって書かれた小説を逆転した構図だと指摘した点は鋭い。
『アリス物語』が「立身出世」の物語だという視点は特に面白くもないし、永代の『新島襄言行録』が“同志社大の設立者新島襄の立身出世物語”だなどと書いているのは、誤りとまでは言えないにしろ、実際に この本を読んでいたかどうか疑わしいと思うけれども。
この著書の誤りを多少指摘しておくと、112頁、永代美知代の「ある女の手紙」について、“「佐伯」(美知代の恋人の『縁』における作中名)”としている点。これは「ある女の手紙」における作中名で、『縁』における永代の作中名は「馬橋」である。
同じ箇所で“「お整さん」(これは作家の新しい弟子で愛人である)”としているが、水野仙子は花袋の新しい弟子であっても愛人では無い。水野仙子の研究者なら嘆くところだろう。大塚氏は柳田國男の関連から田山花袋に興味を持っただけなので、このあたりには疎いらしい。
また158頁、永代静雄の「愛国小説 満朝の花」について商業出版物では初めて触れてくれたのは有難いが、“中国大陸と日本を舞台に二人の少女、那子と蘭子が動乱に巻き込まれる物語、”などと書いている。“那子”というのは邦子の誤り。
タイプミスに過ぎないが、活字を拾う時代でも無いのに、“邦”を“那”と間違うなんてのは、どうかしている(那子なんて名前、存在しないだろ)。
同様に80頁“『田山花袋宛柳田国男書簡集』(館村市)”とあるのは、館林市の誤り。タイプミスとは言え、名前を間違えて覚えていたのだろうか。館林市としては力の入った書物だけに、残念だ。
しかし、細かい誤りは私も人のこと言えた義理じゃないし、『「妹」の運命』は、花袋の松岡國男ものに「やおい」の先駆を見たり、水野葉舟(みずの ようしゅう)の妹ものに「妹萌え」を見たり、興味本位で読んでも面白い本だ。
そのあたり大塚氏は、自虐なのか、いかにも詰まらなそうに語るのだが。
〔2014年 8月 2日/10日〕
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