〔以下は日本ルイス・キャロル協会機関誌《MISCHMASCH(ミッシュマッシュ)》20号(平成30(2018)年11月 1日発行)初出の大西小生「永代静雄試論――刃物を振るうアリスと美少女パイロット(An essay of Shizuo NAGAYO;Alice with an edged tool and beautiful pilot girls)」の後半部分を、最低限の修正のみ加えて再掲するものです。
修正点:少女の足がジェットエンジン化した「ストライクウィッチーズ」→ レシプロエンジン化〕
〔→ 前半「『アリス物語』と「命懸のかくれん坊」」〕
2−1、『終篇不如帰』と「満朝の花」の評価
『アリス物語』とともに永代静雄の名を一部で有名にした作品に『小説 終篇不如帰(しゅうへん ほととぎす)』がある。最初にこの本に言及したのは故・大屋幸世の「『不如帰』余波」(《国文鶴見》19号、1984.)だった。徳冨蘆花のベストセラー『不如帰』の「二番煎じ本」を集めて粗筋に寸評を付したもので、『終篇不如帰』は論文の最後に取り上げられている。これを大屋の『書物周游』(朝日書林、1991.)で読んで知った横田順彌が、多くの著書で紹介して一般に広まることになった。
粗筋を大屋の著書から引用すると、「ロンドン郊外でロンドン・タイムズ主催の飛行大会が開かれ、そこに日本代表として川島武夫男爵が女浪号で参加、垂直離着陸を見せて、見事最高金牌を得た。一躍ロンドン社交界で人気者になった武夫に、アーサー侯爵の娘リリアンは心惹かれて行く。〔中略〕ある日、新造の男浪号に武夫と同乗したリリアンは、そこで愛の告白をするが、武夫は英訳『不如帰』を読んで欲しいと答えるだけだった。/一方、リリアンを自分の妻にしようとしているのがドイツのユンケル侯爵だが、リリアンは彼を毛嫌いしている。ためにユンケルはリリアンを誘拐し、とある家に監禁してしまう。〔中略。探偵小説的展開があり、リリアンは救われ、ユンケルは逮捕されるが、父アーサー侯爵は重傷を負う。〕侯爵は死の床でリリアンを頼むと武夫に言い、武夫も彼女を自分の妻にすると確約する。」という内容。蘆花の『不如帰』の主人公は川島武男だが、『終篇不如帰』の前半では「武夫」、後半では「武男」と表記に不統一がある。女浪号(めなみごう)という機体名はもちろん死別した妻・浪子が由来だ。大屋の評も全文を掲げて置くと、「垂直離着陸できる飛行機など、当時にあっては奇想天外なものであったろうが、ユンケルの誘拐事件やその救出騒動など、たしかに奇想に満ちた活劇物語であるが、それ以上の作品ではない。」と、近代文学研究者として低い評価を下しながらも印象には残ったらしい。
横田の『古書ワンダーランド@』(平凡社、2004.)によれば、「おそらく日本SF史上最初に描かれた、垂直離着陸機の登場する作品」ということになるが、後半のリリアンの誘拐以降は飛行機が活躍せず、竜頭蛇尾の感もある。物語の中盤、高度700メートルの上空で、川島武夫がリリアンから告白されるシーンが、この本、最大の見せ場であろう。 いかに外人女性とはいえ、当時女性の側からプロポーズするのは破格のことで、その雰囲気づくりのために、こういう非現実的な道具立てが必要だったと解釈することもできる。
ドイツ人が悪役なのは三国干渉以来の敵意があったのだろうが、永代には 『独逸工業の発達』(1915.)という訳書もあり、単純にドイツに悪感情を持っていたとも思えない。しかし、「冒険小説 紐育の怪事件」(《日本少年》1917.9.)でも「惨虐無道な独探」を登場させているのは第1次大戦中の時流に合わせたものだろう。武男とリリアンが婚約する最終章は「真の日英同盟成る」というタイトルで、永代は『アリス物語』の「はしがき」でも自作を「謂はゞ日英同盟合体のアリス」と称して今日の読者を呆れさせているが、それほど永代の世代にとってこの同盟は人生の重大事件だったのだ。
本書に興味を持たれた方は現在、国会図書館デジタルコレクションで1912(大正元)年の紅葉堂書店版を容易に読むことができる。ただ、大屋幸世や横田順彌が所蔵していたのは1915(大正4)年初版の明治出版協会版で、古典SF研会長・北原尚彦の持っている本も、 関西大学図書館の谷沢永一旧蔵書も、新潟県立図書館・佐賀県立図書館の所蔵書も全て1915年版である。『アリス物語』巻末には紅葉堂版が「四版出来」という広告も載っているのだが、どちらかと言えば明治出版協会版のほうが売れたようだ。旧版には「道江女史」の口絵があるのに対し、新版には口絵写真2葉が付き、序文の日付が「大正元年十一月」から「大正四年」に変更されていることと、1章の章題が「国際競技飛行大会」から「倫敦の郊外」に書き直されている以外、本文は同じである。しかし作者名は旧版では「湘南生」という完全な匿名だったが、新版では(序文・奥付は「湘南生」のままだが)本文冒頭で「永代湘南」を名のっている。この永代湘南の正体を永代静雄だと横田が証明する経緯は「SF作家としての永代静雄 その1」(《日本古書通信》1996.7.、『古書ワンダーランド@』所収)に詳しいが、田山花袋研究者などにとっても驚くべき新発見だった。
だが、横田はその論中、1914(大正3)年に実業之日本社の出版部長だった小川湘南や、1930(昭和5)年に押川春浪『海底軍艦』の「贋作」という『冒険物語 日東嶋』を書いた須藤湘南を永代と同一人物か、と推理しているが、永代の伝記的研究から言って、それはあり得ない。永代の書いた紙誌にも「湘南生」という投稿者はしばしば現れるが、〈読売新聞〉1903.9.15.付や〈基督教世界〉1081号(1904.5.19.)に登場する湘南生は当時、京都と神戸を行き来するだけだった永代の生活に合致せず、《実業之世界》(1910.5.)の湘南生は「相州」(相模国)の在で、やはり伝記的事実に符合しない。このように湘南生という伊達なペンネームはその頃ありふれていた。
匿名を用いていることからしても永代が徳冨蘆花に2次創作を書くための許諾を得てなかったことは確かだろうが、永代から蘆花はそう遠い人物でもなかった。アミーチスの『クオレ』を『愛の学校』(1912.)として翻訳した三浦修吾は「春秋社主中山三郎氏の紹介」で蘆花の序文を得たと自序に記すが、中山三郎は永代静雄と岡田美知代の媒酌人であり、その後の永代の出版物にも深く関わった盟友である。
なお、明確にしておく必要があるのは、横田順彌が『快絶壮遊〔天狗倶楽部〕 明治バンカラ交遊録』(教育出版、1999.)や『古書ワンダーランド』などで、『終篇不如帰』は押川春浪の『空中大飛行艇』(正・続、1902.)の「盗用」「贋作」と再三強調している点、これは実態に反するということだ。
『近代日本奇想小説史 明治篇』(PILAR PRESS、2011.)では横田はいくぶんトーンダウンして「ユンケルの横恋慕、誘拐、決闘、ヘンリーや探偵の行動の箇所に、押川春浪の『空中大飛行艇正・続』とそっくりの描写が、何回かあるのだが、この問題は、ここでは省く。よくあるストーリー展開だし、春浪の作品も外国作品の借り物である可能性は大だからだ。」と述べているが鵜呑みにできない。ヒロインが横恋慕した悪漢に誘拐される、探偵が主人公に協力する、という大まかな枠組が共通するとは言えるが「よくあるストーリー」で、文章を真似ているわけでもなく、具体的なシチュエーションも全く異なる。決闘の場面というのは『空中大飛行艇』では悪漢のニセ手紙に描かれるだけで架空の設定だし、ヘンリーはアーサー侯爵にリリアンとの結婚を望まれる従兄だが、こうした人物も押川春浪作品にはいない。むしろ永代と押川の両作品はまるで別物である。
疑問を持たれる向きは、『空中大飛行艇』は国会デジタルコレクションで大倉書店〈春浪快著集〉版ほかが参照でき、『少年小説体系 第2巻』(三一書房、1987.)等でも読めるので、実際に比較してみて欲しい。
この事例は別に永代が盗用をしないということを意味せず、ジョゼフィーヌの伝記『大ナポレオンの妻』(1916.)では長瀬鳳輔・榎本秋村『奈翁全伝 第四巻 愛のナポレオン』(1913.)と五来欣造『大帝那翁』(1914.)の文章を合成して使用している箇所もある。
また、横田は上記の著作で永代が田山花袋の「弟子」で「破門」されたと説明しているが、花袋の「蒲団」『縁』を子細に読んでも分かるとおり、事実ではない。永代は花袋に原稿を送ったりしたことはあるが、弟子というわけではなく、従って破門される理由もない。無名に近い若者が有名作家を訪ねれば弟子になったと思う人は多いようで、『徳田秋聲全集 別巻』(八木書店、2006.)の「年譜」明治41(1908)年12月の項にも「安成二郎と永代静雄が訪ねて来て、門下になる。」と書かれている。秋聲の「二日会」に通った安成はともかく、永代は門人ではないだろう。
さらに無用の指摘をすると、横田は『雲の上から見た明治 ニッポン飛行機秘録』(学陽書房、1999.)などで永代の垂直離着陸機を、「ヘリコプターとホバークラフトを組み合わせたようなもの。」具体的にはフランス人のA.パパンとD.ルイイーが製作した「ジャイロプター」かどうかと推測したが、この機体は1915年にセルシー湖でテストされ、結果水没したもので、永代が小説執筆の時点でその計画を知っていたとは考えられない。永代が参照したのは既に試作機の造られていた初期のヘリコプターだったろうが、実用に耐える垂直離着陸機を誰も保有していなかったことは事実で、これをSFと見る横田の主張は正しい。
長山靖生は『日本SF精神史 幕末・明治から戦後まで』(河出書房新社、2009.)という通史* 8の中で「永代静雄もまた、作品はあまり多くはないが、個性的な作品を残している作家だ。彼は大正元(一九一二)年に、明治の大ベストセラー『不如帰』の後日談という設定で『小説 終篇不如帰』を書いているのだが、そのなかには当時はまだ存在しなかったヘリコプターが登場する。また『透視液』(大正七)、『外相の奇病』(大正八)なども、探偵小説の流行以前に書かれた探偵小説系SFとして興味深い。」と簡潔にまとめている。
時代に先駆けた垂直離陸機は永代お気に入りの題材で、これから取り上げる「愛国小説 満朝の花」(《少女の友》1913.3-12.)でも、あるいは「怪奇小説 少年博士」(《日本少年》1917.7-12.)でも、空想科学兵器として大いに活用している。
* 8 長山『戦後SF事件史 日本的想像力の70年』(河出書房新社、2012.)との合本が『日本SF精神史【完全版】』(同、2018.)。完全版でも永代の説明は同文。
近年、商業出版物で永代の「愛国小説 満朝の花」に触れたものは、大塚英志の前掲書『「妹」の運命』くらいであろう。「中国大陸と日本を舞台に二人の少女、那子と蘭子が動乱に巻き込まれる物語」というかなり雑な紹介で、邦子の名をタイプミスしている。
三芳屋書店版『黒姫物語』(1914.)の巻末広告に『満朝の花』の近刊予告が載っているが(発売されたかは不明)、その粗筋紹介によると、「その一人は滅びたる清国の忠臣曾氏の愛嬢、その一人は日本の貴族春日氏の愛嬢、共にフランス飛行学校を卒業するの日、落花に対して満朝の恢復を誓ひ、一葉の飛行機に搭じて北京を衝き、朝鮮海峡を横断し、墜落、亡命、凡ゆる危険を冒して変幻出没の労苦を頒つ。」といった内容で、「愛国的精神なき少女は此小説を読むべからず」「「少女の友」に連載して数十万の少女を感泣せしめたる傑作」との惹句が踊っている。
この「愛国」が清国に対する忠誠であることは注意してもらいたい。のちの傀儡国家、満州国に直結する危険性を秘めているとはいえ、日本人が単に日本を愛するという小説ではない。もっとも蘭子こと曾蘭春は「日本の学校で日本歴史を教」わったおかげで「支那を愛せ」るようになったと語っており、皇国史観の輸出という発想も如実に見られる。
中心となる事件は1913(大正2)年7月の民国第二革命。辛亥革命のあと袁世凱打倒を目指した武装蜂起をそう呼ぶわけだが、永代の連載は現実と同時進行だった。春日邦子と曾蘭春の2少女は、蘭春の父・曾鴻春(曾国藩と李鴻章を合成した名前)に従い、当初は満朝(清朝)の復活のみを考えて挙兵を画策、垂直離陸機まで投入したのだが、「延成懐」に追われて空に逃亡、その最新鋭機は強風で墜落する。日本に亡命した2人は第二革命勃発のニュースを知って、再び中国に渡り、実名で登場する革命の立役者・李烈鈞と共闘。清朝復活派と革命派が協力するという奇妙な事態となる。曾鴻春の出した条件は「直隷省を中心に他に三省ばかりを、特に満朝皇室の為めとして割いて呉れるなら、」という当時の日本で「支那分割論」と称されたものだが、北京を含む直隷省を望むとはずうずうしい。
李烈鈞の返答は書かれていないが、現実なら即、破談である。なお、孫逸仙(孫文)らも名前のみは登場する。革命派は9月には完全に敗退し、邦子・蘭春は男装して上海に隠れるが、追っ手が掛かり危ういところでフランスへ戻る。曾鴻春がその地で病没して物語は幕となる。
2少女の戦闘シーンはほとんど全くないが、飛行機での逃亡のさい、「数百人も集(たか)つてゐる捕手(とつて)の群」へ向けて1個だけ爆裂弾を投げている。これは明治期の政治小説が「民権主張の結果爆裂弾式なもの」(徳田秋聲『明治小説文章変遷史』1914.)だったのを引き継いだ面もあるが、その頃の日本軍も飛行機から爆弾に見立てて石灰をつめた筒を投下するなどしていた。フランスからスコット式の投下機を購入し擬装爆弾投下の初試験を行なったのは1913年8月である(「満朝の花」の爆裂弾投下の描写は同年6月号)。
飛行機の墜落も実は最新のトピックスであり、同年3月に陸軍帝都訪問飛行で木村鈴四郎・徳田金一両中尉が殉職、国内初の死者となり、5月には武石浩玻(こうは)が西宮から大阪・京都の都市間連絡飛行で着陸に失敗して墜死、民間初の航空殉難者となった。永代は突風で墜落した木村・徳田の例を参考に物語を綴ったのだろうし、《少女の友》8月号の飛行機の挿絵は明らかに武石の機体「白鳩」号をモデルに描かれている。なお、挿絵画家は毎号変わっており、6月号では奈良原式4号「鳳(おおとり)」号(正確には奈良原式3号機かも知れないが)をモデルに機体を描いている。黎明期の航空史をひもとく面白さがある。当時の日本人には墜死という悲劇を知って自らも飛行士を志す者が多く、むしろそれは血を沸き立たせる事件であったらしい。新聞記者の永代が物語に取り込むゆえんだ。
日本人女性パイロットも「満朝の花」の連載中に誕生している。世界で初めて飛行免状を取得した女性はフランスのレモンド・ドラローシュで1910年3月のことだった。永代が小説の舞台を最初フランスの飛行学校に設定したのは妥当な選択だったと分かるが、日本人初の女性パイロットは1913年9月、合衆国のドミングス飛行場からサンディエゴまでを単独飛行した南地よね、である。南地は、日本人飛行士と夫婦になりハリウッドに飛行学校を設立したが、すぐに航空界から引退、パイロット証の取得には至っていない。なお、南地は飛行家となった動機に、木村・徳田・武石らの悲劇を挙げている(「飛行家たらんと決心せし動機」《航空》1913.11.)。永代の作は、その登場を予言したことになる。時代の半歩先を読む永代の本領発揮というところだ。
女性パイロットを活躍させたフィクションとしては、横田順彌が町田柳塘『滑稽小説 羽根子夫人』(1910.)を紹介しているが、「明治百年」を空想した内容で紳士淑女が「自転車代りに」個人用飛行機に乗ることのできるようになった未来を描く(『近代日本奇想小説史』)。押川春浪は「空中夜叉」(《武侠世界》1912.1-2.)で「絶世の美人」を描いたが、実体は「変面化粧術」での女装だった。やはり現実的には女性にまだ飛行機の操縦は難しいと考えられていたようだ。「満朝の花」と同時期《少女の友》に連載された江見水蔭の「少女小説 飛ぶ少女」(1913.1-12.)も「娘曲芸(かるわざ)師」の冒険物語に過ぎず、ただラストのみ「日本に於ける女子最初の飛行家として立つ」ため、「今は米国ニユーヨークの飛行機学校に入つて居る。」と落ちを付けている。南地よねの存在を知らなかったらしい。女性パイロットについては次節でも再び問題にしたい。
もう1点、小説の評価にはあまり関わらないことを書くと、「満朝の花」第8回(10月号)では邦子が「東京朝日新聞の特派員の未成つて人ね、あの人つたら随分李さん〔李烈鈞〕のことを讃めてましたわ、」と発言する。未成とは、のちのSF軍事冒険小説『亜細亜の曙』(《少年倶楽部》1931.1.-32.11.)の著者、山中峯太郎である。永代は知らなかったが、山中と李烈鈞は日本の士官学校以来の「死友」だった(山中『実録 アジアの曙』1962.)。それにしても「飛行式潜航艇 怪頭号」(《日本少年》1917.1-6.)のようなSF軍事冒険小説も書いた永代の作品に、山中の名が出て来るのは面白い。
以上のような話は大部分、拙著『復刻版 愛国小説 満朝の花』(ネガ!スタジオ、2002.)に書いたことなのだが、この私家本は現在、大阪府立中央図書館(および付属の国際児童文学館)くらいでしか読めないので、内容を広く知らせる必要を感じた。今のところ拙著が「満朝の花」を論じた唯一の本だろう。
2−2、美少女パイロットの系譜
『復刻版 満朝の花』では敢えて触れなかったのだが、この作品は一種のSF「仮想戦記」としての評価ができる。動乱の中国に、もし垂直離陸機が導入されたらという IF戦記である。この分野の歴史は、長山靖生『日本SF精神史【完全版】』によると、古くは恋川春町の『悦贔屓蝦夷押領(よろこんぶひいきのえぞおし)』(1788.)にまで遡ることができるそうだが、日清戦争の「開戦後、架空の戦況予測を含んだ徳冨蘆花「日清戦争夢物語」(「国民新聞」明治二七年九月一一日〜九月一四日)、服部撫松『支那未来記』(明治二八年三月)、原抱一庵「夢幻弾丸」(「東京日日新聞」明治二八年四月二三日〜四月三〇日)なども書かれている。」という。中国を舞台にした現実と同時進行のフィクションには先例があるわけだ。
その後は対露未来戦記が多く刊行され、昭和初期にかけては対米未来戦記が書かれるが、1914(大正3)年には早くも日米戦ものの代表作のひとつ一海軍中佐(水野廣コ)『次の一戦』が世に問われている(ラストは日本の敗北を示唆していた)。終戦後は、小松左京『地には平和を』(1961.)や高木彬光『連合艦隊ついに勝つ』(1971.)等を前史として、檜山良昭『大逆転!ミッドウェー海戦』(1988.)や荒巻義雄『紺碧の艦隊』(1990-96.)あたりで架空戦記ジャンルが確立した。1990年代にはおびただしい数の類書が出版されたが、分野の拡散などによってブームは終息したと見られる。代表的作者であった佐藤大輔の死(2017.)などを経た現在、ジャンルの総括が求められているかも知れない。
だが、「満朝の花」が仮想戦記という以上に大衆的読者への訴求力を持っているのは、少女パイロットという設定によるだろう。ただ、女性パイロットならともかく少女のパイロットは非現実的だ。現在なら同人誌風の作品にこの手のフィクションはよく見られるが、ある程度リアルな作品ではそれなりの配慮がなされている。例えば高田裕三の漫画『CAPTAINアリス』(2009-13.)の主人公・長谷川ありすは幼く見えるが26歳の設定だ。別に『不思議の国』とは関係ないストーリーだが、宇崎(うざき=うさぎ)、円旗(まどはた=マッドハッター)といった脇役が登場する。ありすが副操縦士なのも、連載開始時点でリアルな設定で、JALエクスプレスで国内初の女性機長が誕生するのは2010年だ。
2013年、ドラマ「ミス・パイロット」で堀北真希が旅客機パイロット(ANAだが)の候補生を演じたのも、現実の女性パイロットの台頭が背景にある。2003年の「GOOD LUCK!! 」では航空整備士を演じたヒロイン・柴咲コウの影響で、整備士を志す女性が急増したといい、フィクションとの相乗効果は馬鹿にならない。しかし、近年まで話題にならないほど、こうした職種に女性が少なかったのは確かである。
「満朝の花」は民間人が軍事目的で新鋭機を使用するのだが、女性の戦闘機乗りの現実はどうであろうか。歴史上、女だけの戦闘機編隊まであったのは第2次大戦期のソ連軍くらいだった。特にリディア・リトヴァクというエース・パイロットは、15歳のとき飛行クラブで単独飛行に成功し、20歳で独ソ戦に参加、22歳で戦死したというドラマティックな人物である。そもそもソ連の飛行クラブには年少の男女が多かったといい、邦子・蘭春が飛行学校で優秀な成績を示したことを想起させる。女性兵士が非常に多かった理由は、ソ連で男女平等主義がイデオロギー的に強かったためもあろうが、現実に国土が戦場になったことが大きい。英国には大戦中、婦人の補助航空部隊があって戦闘機を工場から飛行場に移すなどの輸送任務もこなしたが、戦闘に加わっていたわけではない。米国でもジャクリーヌ・コクランに代表される婦人部隊WASPが空輸などをこなしたが、正規の軍組織には組み込まれなかった。ドイツには特例的に女性初のジェット戦闘機搭乗者ハンナ・ライチュらがいる。こういう愛国女性たちの存在は「満朝の花」と地続きであろう。
第2次大戦と言えばその時代の軍用機に少女パイロットたちが搭乗するという設定のPC用育成シミュレーションゲーム「編隊少女 −フォーメーションガールズ−」(2016.-)というのがある。史実の女性たちを意識したわけではなく、少女と戦闘機という組合わせを虚構的コラージュとして愉しむものだ。むろん男性視点の創作である。艦隊や武将を女性化したゲームほど人気がないのは、題材にひねりがなくインパクトが足りないからだろうか。
現実の話に戻ると、比較的近年まで世界の多数の国で女性はパイロットであっても後方任務に限られ、輸送機や救難機での任務に就くことしかできなかった。ただ湾岸戦争の頃から徐々に世界の情勢が変わり、米国・英国・フランスなどは1990年代に女性戦闘機パイロットの採用を始めている。軍隊での女性の配置制限は撤廃される傾向にあり、2013年には米国が、2017年には英国が女性の近接戦闘、具体的には地上戦への参加を可能にした。日本でも、2015年11月、航空自衛隊が「女性自衛官の戦闘機等への配置制限解除」を発表、女性がF-15などの戦闘機や偵察機を操縦できるようになった。2018年度中には部隊配置される予定という。さらに2016年3月、陸上自衛隊でも戦闘ヘリパイロットに女性自衛官を任用すると発表した。安倍内閣が掲げる「女性活躍推進」政策の一環である。
日本にも確実に女性の戦闘機パイロットが誕生するわけだが、逆に言えばこれまでそれは架空の存在でしかなかったということだ。実際、私などが「戦闘機」「パイロット」という言葉からまず連想するのは、最も虚構的な存在、アニメーションにおける人型ロボットの搭乗者であった。この分野では少女パイロットは珍しくも何ともない。
そのルーツを探れば、「マジンガーZ」(アニメ1972-74.)でアフロダイAなどを操縦した弓さやかということになろうか。少女と刀の作品例に続き永井豪がまた登場したのは、偶然のようであって偶然ではない。それだけ大衆的な欲望を具現化する作家なのだ。永代静雄にも規模は小さいが似たようなことが言えると思う。「グレートマジンガー」(アニメ1974-75.)の炎ジュン、「勇者ライディーン」(1975-76.)の明日香麗と桜野マリなど、この系譜はしばらく続く。
そうしたスーパーヒーロー系のロボットでは特に現実性を考慮することなく、女性パイロットを活躍させることができたのだが、いわゆるリアルロボット系の作品では女性戦闘機乗りが実際にはほとんどいないことを踏まえた設定が見られるようになった。
リアル系のメルクマールとされる「機動戦士ガンダム」(1979-80.)では正規の女性軍人は、例えば補給部隊のマチルダ中尉のように後方任務にしか就いていない。女性パイロットはランバ・ラルの内縁の妻ハモンや「ニュータイプ」のララァくらいで、視聴した人には分かるとおり明らかに特例である。正規の女性軍人が前線で戦うのは続篇「Ζ(ゼータ)ガンダム」(1985-86.)からと言ってよく、1985年制定、86年施行の男女雇用機会均等法とパラレルだ。もっとも、リアル系であっても「戦闘メカ ザブングル」(1982-83.)のヒロインたちがマシンに乗るような先例もあり、これらの作の監督である富野由悠季が均等法にすり寄せたわけでないのはもちろんだが、同時代性はある。
その後の多様なロボットアニメにスーパー系、リアル系の区分はあまり有効でないかも知れないが、登場する女性パイロットは枚挙にいとまがない。とりわけ庵野秀明監督のOVA「トップをねらえ!」(1988.)と「新世紀エヴァンゲリオン」(1995-96.)はパイロットの少女性を強調したことを注目すべきだろう。少年少女のパイロットは存在自体がSF的であり、たいていは擬似的な最新軍事技術とセットで描写される。このパターンを日本で産み出した先駆者のひとりは明らかに永代である。
人型ロボットというわけではないが、昨今、美少女と戦闘機の機械的な融合を描いてみせた作品もある。高橋しんの漫画『最終兵器彼女』(1999-2001. TVアニメ2002.)や、少女の足がレシプロエンジン化した「ストライクウィッチーズ」(TVアニメ2008, 2010.)、夏海公司のライトノヴェル『ガーリー・エアフォース』(2014.- TVアニメ2019.)。最後の作は戦闘機の操縦機構が少女の姿であるという今風の設定だが、パターンとしてはAI物と変わらない。人工知能ALICEが機体を動かす『ガンダム・センチネル』(1987-88.)などを思い出させる。こうした極端な事例から明らかになるのは、少女と戦闘機の組合わせはフェティッシュであるということだ。似たイメージは刀を少女に擬態させたシミュレーションゲーム「しんけん!!」(2015-17.)のような作にも感じられた。ここまで来ると、さすがに永代静雄の小説からは遠いのではあるが、「命懸のかくれん坊」や「満朝の花」に隠されたフェティシズムを嗅ぎ取ることはできるだろう。
以上、脱線を含みつつも発想の向くままに書いてみた。永代の作品には時代色が濃厚で、その限界を指摘することはたやすい。しかし通俗に徹したとき、今の漫画やアニメ、ライトノヴェルやゲームの世界観に通底する何物かが生まれる。それは可能性と見ることもできるのではなかろうか。このことは近年に至って、ようやく認識される環境になったとも考えられる。 (2018.8.19.)
〔以下大西の Facebook 2018年11月1日の記事です。〕
《MISCHMASCH(ミッシュマッシュ)》20号がルイス・キャロル協会から郵送されて来た。
力作の論考が集まり、225頁の厚さ。
拙論は、やっぱりというか、海外の文章を訳したものを除けば、最後の頁になってしまっている。トリをつとめたと言えば聞こえはいいが、論の最後のほうなんかアリスと関係ないから浮いてるなあ。少し傾向が似てるのは佐藤正明先生の「記憶と忘却のファンタジー」くらいか。
「永代静雄試論――」の題が目次では「永代静雄――」になってるし、161頁には文字の切れてるところもあり、もうちょっとチェックして欲しかったが、まあ大して重要視されるような論文ではないということだろう。
これでも脱線しすぎないように削った話題というのは多いのだが。
日常的な帯刀女子の出て来る作品とか、美少女がスーパー系ロボットに変身する作品とかね。
もう少し原稿を書くのが遅ければ、航空自衛隊初の女性戦闘機操縦者については具体的に書けたろうし、オリジナルアニメ「荒野のコトブキ飛行隊」なんかも採り上げてたかも知れない。『スレイヤーズ』本編の続刊が18年ぶりに出るとも思わなかったし。
〔2019年 1月 1日up〕
〔以下 Facebook 2019年1月16日の記事。〕
横田順彌先生の死去、公式に報道された。
昨日、北原尚彦氏の Twitter で(木下信一氏の Facebook を通して)知ったのだが。
《SFマガジン》昨年4月号から長く連載を休んでおられたので、拙文「永代静雄試論」で心ならずも批判する時にも悪い予感はしていたのだけれど。NHK大河ドラマ「いだてん」には押川春浪や天狗倶楽部に関して資料の提供もされていたというから活動は続けておられたのだな。
天狗倶楽部が大暴れする「いだてん」初回を見ずに亡くなられたのは本当に残念。…拙文のほうは読んでくれてないことを祈る。
横田先生には、『愛国小説 満朝の花』の翻刻版を出した時に連絡を取りお手紙を頂いたほか、『「アリス物語」「黒姫物語」とその周辺』を出した時には励ましの電話を頂いた。ただその時は仕事中で留守電に録音された声を聞いたのみなのだが。折り返し電話するほどのずうずうしさがあったらなあ、と今にして悔やまれる。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019011600618&g=soc
〔2019年 1月16日〕
追記。 美少女パイロットの登場する OVA に「アイドル防衛隊ハミングバード」(1993-95.)、「青空少女隊」(1994-96.)がある。
また、少女と戦闘機のフェティシズムを最も先鋭的に造形して見せたのは村上隆の「S.M.P.ko2」連作(1999.)であろう。 〔2020年 8月10日〕
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