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落ちて、落ちて、まだ落ちる。
(Down,down,down.)

単純に“落ちる、落ちる、落ちる。”とするのは中山知子訳、戦前では楠山正雄訳くらいで、意外に少数派だ。
北村太郎訳は“落ちる、落ちる、落っこちる。”
矢崎節夫のリライト(1987.)では“おちても、おちても、おちても、おちても、まだまだそこにつきませんでした。”

“下へ、下へ、下へ。”というタイプの訳が最も多いのだが、硬派なのは石川澄子 “降下、降下、降下。”
岩崎民平訳 “下へ下へと、ずんずんずんずん!”
生野幸吉訳 “下へ、下へ、ずんずん落ちてゆくばかり。”“下へ、下へ、ずんずん、ずんずん落ちてゆきます。”
うえのかずこ訳(1985.)“下へ 下へ、どんどん 下へ。”

矢川澄子(1990.)は思い切って個性的に、“ぐん、ぐん、ぐうん。”と、訳した。
これは童話的な表現を用いたというだけでなく、Down,down,down. の語調を、そのまま日本語に移植しようとしたもの。
あるいは岩崎民平らの“ずんずん”“どんどん”という訳も、down の語感を残そうとしたものかも知れないが、それが意識的な翻訳かどうかは解らない。
Down,down,down. は原典に 2度使われるが、矢川は《少女座》『アリスの本』(1987.)での試訳の段階では最初のほうを “ぐん、ぐん、落ちること落ちること。”としていた。そうした推敲のあとが見られることや、2章冒頭 “Curiouser and curiouser!”などの訳でも似たような遊びを試みていることから、語調の移植は かなり意図的なものと知れる。
こういう訳文は読者によって好き嫌いが分かれるだろうが、かつて『ことばの国のアリス』(1974.)、『アリス閑吟抄』(1980.)などで言語遊戯の実験をしてみせた矢川ならではの翻訳と言える。
実際、誰も矢川以前に、矢川のように訳せた者はいないのだ。

なお、ちょっと面白いのは鈴木三重吉訳 “おやおやと思ひながら、するする、するすると宙を落ちて行きました。”
半ば自由訳である強みで、以下、原典以上に繰り返し“するする、するする”を用いている。 原文のニュアンスからは やや離れてしまうが、三重吉の童話作家としての感性が かいま見える部分である。


追記 (拙注以後の訳)

琴葉かいら訳(2015.)は“落ちる、落ちる、落ちる。”を選んだ。

以下の訳は矢川訳を意識している。

久美里美訳(2006.)“下へ、下へ、ぐんぐん下へ。”

島本 薫訳(2014.)“ずぅん、ずぅん、ずぅん。”

大久保ゆう訳(2012.)“ひゅうん、うん、うん。”“ぴゅうん、うん、うん。”〔『アリスの地底めぐり』〕
これは河合祥一郎訳(2010.)“ひゅーんと下へ、どこまでも。”の影響も受けているか。
大久保は(2011.)『えほんのアリス』では And then she had a very long fall indeed. Down, and down, and down, を “ずっと ずーっと おちつづけてね。 ぴゅ――うう――うう、”と訳していた。

高山 宏訳(2015.)“びゅんびゅんびゅうん。”
旧訳(1994.)では“落ちる、落ちる、どんどん落ちます。”
ちなみに『おとぎの“アリス”』では“それから、アリスはほんとうに長いあいだ落ちていきました。どんどん、どんどん、どんどん、どんどん落ちたものだから、”。

(最終更新 2015年 5月 3日)