draw の 2つの意味、「描く/汲む」を利用したシャレ。
アリスは draw を絵を描く意味に取ったが、ヤマネは draw に汲み出すという意味を持たせる。
このシャレ自体に気づかない人は、ほとんどないと言っていいが、どう訳しても多少の不自然さはまぬがれないようで、「描く」か「汲む」のどちらかの意味に統一して訳した例も多い。
生野幸吉訳
「そういう次第で、この三人の幼い姉妹は――汲むけいこをしていたのですよ――」
「何を汲んだの?」と、すっかり約束を忘れてしまってアリスは聞きました。
「糖蜜」と、こんどはぜんぜん考えもしないで眠りねずみは申しました。
高橋康也・迪訳
「というわけで、この三人の幼い姉妹は――ええと、せっせとくみあげていました」
アリスは聞きちがえて、「描きあげるって、なにを?」とたずねました。 〔中略〕
「糖蜜をくみあげていたのさ」と、こんどはネムリネズミはぜんぜん考えもしないで答えました。
矢川澄子訳
「で、三人姉妹はですね――絵をならっていました」
「どんな絵をかくの?」とアリス。約束なんてどこへやらだ。
「糖蜜画です」ネムリネズミもこんどはよどみない。
しかし、ここは戦前の楠山正雄訳が 「かきあげる」(描き上げる/掻き上げる)の両義性を使って、巧く乗りきっている。
「さてそこでこの三人の姉妹はと――三人は かき上げることをおぼえました。」
「何をかき上げるの。」と、アリスはすつかり約束を忘れて、また口を出しました。
「砂糖水をさ。」と山鼠はこんどはちつとも考へずにいひました。 〔ここの訳例は1930版による〕
近年では柳瀬尚紀、高山宏が、「掻きあげる」「掻き出す」式の訳を復活させた。
楠本君恵『翻訳の国の「アリス」』 152-5頁も参照いただきたい。