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『満 朝 の 花』 正 誤 表
4 頁上     濤高し一の宮の別邸
→濤白し一の宮の別邸 第二革命の号外
4頁上     密使とともに呉淞へ
→      密使と 共に 呉淞へ
8 頁上 降りてくる迄〔まだ〕にはまだ二時間も
  →   降りてくる迄〔まで〕にはまだ二時間も
52頁上 〔欠字〕  は手早く病人の脈を見了つて、
→  医師(ドクトル)は手早く病人の脈を …
61頁下  軍属は軍属をのみ信用
  →   軍人は軍属をのみ信用
64頁下 『アヽツ空中大戦争の号外』
  →  『アヽツ空中大戦争の号外!!!』
66頁下   自作機上 の 坂本寿一
   → 「翦風」号 機上の 坂本寿(壽)一
67頁上  明治三六年六月、満一七歳で洗礼を受けた
  → 明治三六年三月、満一七歳で 受洗入会
67頁中  8年 北一輝と猶存社を結成
   → 8年 猶存社を結成(北は9年に合流)
68頁下  大正二年「三歳」で日本に
   →    大正二年、六歳 で日本に ※
70頁上  鋼鉄製単葉機「わか鳥」
 →  複葉機
71頁中  波多野野鳥峰
 →   波多野 烏峰

5頁上 『満朝の花』 が大正期、単行本として刊行されたことがあるかどうかは不明。
『黒姫物語』(大正3年5月刊) の巻末広告では 『満朝の花』 が“近 刊”となっている。
5頁上 『小説 終篇不如帰』で主人公の向かう先はアメリカでなく
イギリス(横田順彌先生より、手紙で訂正の指摘あり)。
5頁下  《少女の友》 を “《少女世界》に続く、日本で二番目の少女雑誌” としたが、
博文館の 《少女世界》 以前に、明治35(1902)年創刊の金港堂 《少女界》 がある。
7頁上 「裏んで」 は 「裹(つつ)んで」 が正しいが原文のママとした。
その他、本文冒頭で旧字体を新字に直し損ねた箇所がある
( 8頁 萬事 → 万事、11頁 何處 其處→ 何処 其処)。
55〜6頁 「ヘリコプターでは空中滑走など不可能ではないか」と書いたが、
ヘリコプターは“空中滑走”=オートローテーションが可能な機種。
※川島芳子が 「六歳」 で来日したとするのは 《婦人公論》 昭和八年九号の 「僕の写真
自叙伝」 キャプション。自著とされる 『動乱の蔭に』 では 「七歳の夏」 としている。


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