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 入ってすぐのところが、大きな台所になっていて、すみからすみまで、もうもうと、けむってる。   まん中の3脚イスに腰かけて、公爵夫人が赤んぼうをあやしてた。   女の料理人が、炉のうえに身をかがめて、火にかけた大なべをかきまぜてる。なべにはスープがいっぱいのようだった。
( The door led right into a large kitchen,which was full of smoke from one end to the other: the Duchess was sitting on a three-legged stool in the middle,nursing a baby: the cook was leaning over the fire,stirring a large cauldron which seemed to be full of soup. )

Duchess-Cook









Ugly Duchess

テニエルは、『不思議の国』 9章で 非常に 醜いとされる公爵夫人を描くさい、16世紀フランドル(現ベルギー) の画家、クェンティン・マサイスの
「グロテスクな老女」 か、それを模写した版画を参照したと考えられる。
中世の奇抜な頭飾り、カールした髪、のみならず指の形までが 似通っている。
「グロテスクな老女」 は現在、ロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵しているが、19世紀半ばにはラスキンの同窓生だったヘンリー・ダンビー・
シーマーが私蔵していた。 テニエルが この絵を見ていたとすれば、キャロルとラスキンの紹介を経ている可能性が高い。
マーティン・デイヴィスの論考によれば、マサイスが描いたと考えられていた この油彩画自体、マサイスの絵の模写であるが、その粉本であった
絵も、おそらくは レオナルド・ダ・ヴィンチによるグロテスクなデッサンを模写したものである。
これは、バッキンガム宮殿の帝室コレクションにあるダ・ヴィンチ画と伝えられていたデッサンに、マサイスの絵と酷似したものがあることから推測
されるのだが、ケネス・クラーク の考証により、そのデッサン自体はダ・ヴィンチの弟子、フランチェスコ・メルツィによる模写とされている。
メルツィのものらしいデッサンは、伝マサイスの油彩と、表情はそっくりだが、頭飾りに模様が無く、髪はウエーヴし、手は描かれてない。
グロテスクなイメージというのは 美しい絵と同様の浸透力を持つようで、模本は他にも数が多いようだ (漫画家テニエルは見事に、そのグロテス
クな面を払拭しているが)。
この老女が “公爵夫人”の地位にある、というのはマサイスの絵に まつわる伝承で、歴史上の人物が、実際に、こういう顔だったわけでは無い。
モデルに比定されている公爵夫人は 14世紀の人物だが、マサイスが この絵を描いたのは、16世紀である。
ただし、もちろんテニエルは、この人物の 「伝説」 を踏まえたうえで、公爵夫人を描いている (→ 9章冒頭注)。

詳しくは、M.ハンチャー(石毛雅章訳)『アリスとテニエル 〔The Tenniel Illustrations to the“Alice”books〕』(東京図書、1997.) 4章(67-80頁)
を 参照のこと。