拙訳は、ごく少数の方々には気に入ってもらえたようだが、所詮はかないウェブ翻訳、もしくは私家本のこととて、その評価が文章として論じられることもなく、当時としては新味のあったいくつかの試みも、ほぼ無視されて来た。中でも訳詩の多くに脚韻を用いてみたのは自分としてはなかなかに画期的なことをしたつもりだったが、むしろ逆に批判を受けるような形にもなった。以前、キャロル協会の例会で古参会員の方が、近頃の翻訳で脚韻を試みる人が増えたが、脚韻は日本語の伝統に反している、というようなことを言われていた。誰に向かっての忠告か定かでないが、アリスの訳で本格的に脚韻を採用したのは、私、河合祥一郎2 、高山宏3 くらいで、あとは部分的な試みがあった程度だと思うから、これは自分への軽侮と感じた。それとは別の例会の時、安井泉会長も、翻訳の脚韻は大して意味がないように思う、韻律の再現には七五調が妥当ではないか、という意味の発言をされていた。実際、その後に出版された安井先生の『不思議の国』4 でも、訳詩は完全な七五調ではないにせよ、それを志向していたように見える。 口幅ったいことを言うと、七五調での翻訳は私も最初に考えたのである。あとで拙訳を引用するつもりだが、『ふしぎの国』3章の「ネズミの尾話」の詩などは、それに近い形で訳している。しかし七五調の形式は、翻訳としてはやや古風な印象を与える。拙訳の少し前の訳者で言えば脇明子の『鏡の国のアリス』5 巻末詩が五七調を用いて、シリアスな雰囲気をかもし出し印象的だった。これもひとつの有力な方法とは思ったのだが、訳しているうちに七五調には飽き足らなくなったというか、このあたりの感覚は人によりけりだろうが、私としては自由律で調子よく読ませることのほうが難易度が高く、やりがいがあるように思えて来た。一方で脚韻に注目することにもなったのだが、不思議と私は詩の「定型」というものにはあまり魅力を感じない(ふつうは定型詩の一要素として脚韻も論じられるわけだが)。 拙サイトには『ふしぎの国』の巻頭詩の訳に付記して、次のような注釈を載せている。
エドワード・リア『ナンセンスの絵本』の翻訳(1985、1988、2003.)6 では大いに脚韻にこだわった柳瀬尚紀さえ、この詩の韻には挑戦しなかったようなので、あえて試みる気になった。
Who casually sat in a doorway: When the door squeezed her flat, She exclaimed‘What of that?’ This courageous Young Lady of Norway.
あるときドアにぐいっとはさまれ ぺっちゃんこになり 「なにさ!いきなり!」 こんな気丈は稀(ま)れも稀れ 『ナンセンスの絵本』で最も目を引く点は脚韻にほかならず、「日本語では脚韻の効果が得られない」という通説を軽く飛び越えてみせたわけだが、この快挙は「笑い」が主眼の作品だったからこそ可能になったとは言えるだろう。本来、日本語は韻を踏むとユーモラスになるものなのである。その例として多くの人が思い浮かべるのは谷川俊太郎の『ことばあそびうた』7 ではないか。「かっぱかっぱらった(…)」に代表される現代のわらべうたは、類音の連続の面白さからなるのだけれど、脚韻の効果も加味されていると見ていい。どの詩を採ってもある程度は言えることなのだが、「たね」という作品など典型で、第一聯を挙げると、
うたたね ゆめみたね ひだね きえたね しゃくのたね 文学的体験としてはそういったところだが、日本語の脚韻が可笑しみを帯びていることは、もっと早くから日常的に知っていた。「けっこう毛だらけ猫灰だらけ」とか「鬼も十八、蛇(じゃ)も二十(はたち)」とか、韻を踏んだ言い回しは愉快である。駄洒落にも脚韻的な反復は定番で、ちょっと思い出すのは(時期的には『ことばあそびうた』より少しあとになるが)、香港映画の「Mr.BOO!」ことマイケル・ホイの吹き替えや、東京ムービー新社製作の「名探偵ホームズ」(1984.11.-1985.5.)で犬のホームズを演じた声優の広川太一郎がアドリブで、「有名、無名、チャーハンうめえ」とか「はやく出てやらんかスリランカ」とか話芸を披露していたのが広川節などと呼ばれて親しまれていた。 そんなわけで「笑いの文学」であるルイス・キャロルの翻訳にも脚韻は似合っているものと私は内心、最初から信じていた。自分でも『ふしぎの国』を訳そうと考えた理由は色々あるが、ひとつには心から愉快と思える邦訳が少ないと感じていて、日本語として笑える文章を目指したいということがあった。拙訳でそれが実現したかはともかく、最近でも意外と硬い文章でアリスを綴る訳者は少なくない。これだけ訳書があふれていれば大人にしか読めないアリス本があってもかまわないだろうが、そこには識者の片寄ったアリス観も影響しているかも知れない。知的な論者というのはアリスの世界を語るにおいて、その疎外感とかグロテスク性を強調しがちで、それはそれで一面の真理であることを私も認めるけれども、この物語に圧倒的な人気があるわけは、グロテスクを凌駕する可愛さがあり、全てを包含して許す「笑いの文学」だからということではないのか。その点を捨象したアリス論には、どうしても違和を感じてしまう。無論、笑いと言っても『ふしぎの国』にも哄笑を呼ぶ場面もあれば、さりげないクスリとする程度のジョークも含まれる。それらの雰囲気も原典に沿って生かしたいと思った。
これは自慢にしていいかと思うが、私は本邦初の近代詩集とされる『新体詩抄』(1882.8.)に実験的に脚韻を用いた作があることを、すでに小学生の時から知っていた。ほとんど交流のなかった叔父が、どういうつもりか子どもの私によれよれの詞華集をくれたのだが、この最終章の初めに矢田部良吉の創作詩「春夏秋冬」が載っていたのだ。本は残してないが小海永二という先生の編・解説8 で、学習向きだった。参考に最初の聯のみ引用してみるが、冒頭、タイトルのあとに「此詩ハ句尾ノ二字ヲ以テ二句ヅヽ韻ヲ踏ミタルモノナリ例ヘバ「よろこばし」「暖かし」ノ如シ」と原著者が親切にも注釈している。
庭の桜や桃のはな よに美しく見ゆるかな 野辺の雲雀ハいと高く 雲井はるかに舞ひて鳴く 岩野泡鳴『新体詩作法』9 六章の「韻法」には次のような同時代的証言がある。
青海原にかくれけり 夜嵐ふきて艪きしれば おとろきてたつ村千とり〔千鳥〕。 泡鳴の「十音詩」とは以下のようなものだ。詩集『露じも』10 から「富士川」の初めの2聯を引く。
富士 の 雪 に 明けそめ、 さめし 露 の 朝ゆか すそ野 照らす しのゝめ 千里 も なびく 白はた、 岸 に 並らぶ 武者 源氏、 やがて 廻へさン 勝ざた、 ながれ 沈む 歩(ほ)を 転じ。 英語などの脚韻は語尾の「母音+子音」を揃えるという規則があるが、日本語は母音で終わる言葉なので、「母音+(子音+)母音」以上の形で韻を踏むべきだ、というのが私の従来の見解であり、大方の賛同は得られるかと思う。岩野泡鳴の言う「二重韻」もこれなのだろうが、驚いたのはそれをイタリアの「韻法を採用した」と書いていることだ。イタリア語も語尾が母音になるから「母音+母音」の脚韻を踏んでいるわけだが、正直言うと泡鳴が知的な人物であったことに驚いたのだ。シモンズ『表象派の文学運動』のような訳書があることからして、ある程度の学識は想定できたはずだが、私にとって泡鳴は名を知るばかりでまるで読まない作家だった。 知的に脚韻を鼓吹したマニフェストとして最も有名なのは、九鬼周造の著書『日本詩の押韻』12 だろう。その書き出しは、こうである。
ちなみに九鬼は末尾の母音のみの韻を単純韻、子音+母音の韻を拡充単純韻、母音+子音+母音の韻を二重韻と呼んでいて、単純韻が効果的な場合についても細かく考察しており、「聴覚上の印象は、二重韻を日本語の典型的詩韻と見做すことを正当と考へさせる」と慎重な述べ方をしている。 藤原浜成の歌論書『歌経標式』は同音の反復を忌む「歌病(かへい)」を問題化したことで知られるが、脚韻を否定したわけではなく、簡単に言えば有用な韻と有害な韻があるという説だった。藤原清輔の『奥義抄』も「歌の本体は韻字を用べき也」とする。藤原俊成の『古来風体抄』には「三十一字の歌のうちなどに、〔中略。句ごとに〕韻の字のなど申すらん事ども、いといと見苦しく侍る也」とあり、九鬼は短歌に関しては正論かも知れないが、長歌や旋頭歌や今様に関しては当たらない、と書いている。実際のところ、和歌にも脚韻を踏むものはある(頭韻の例のほうが多いとは思うが)。九鬼の挙げる例で見れば、
庭に落ちしく大原の里 (寂然) 今様については、九鬼は別の箇所で『梁塵秘抄』の次の歌が、意識的に脚韻を用いていると紹介している。
萱(かや)の節 山葵(わさび)のたての節 峰には山伏 谷には鹿(か)の子臥(ふし) 翁の美女(びんでう)婚(ま)り得ぬ独臥(ひとりぶし)
津は伊勢でもつ をはり名古屋は 城でもつ 九鬼周造は芭蕉らの俳諧や、もちろん『新体詩抄』以下、鴎外、梅花、泡鳴、子規や島崎藤村、与謝野晶子から若手だった金子光晴や中野重治まで、その脚韻の実作を幅広く例示して見せる。日本だけではない。仏、英、独、伊語からラテン語、漢語まで引用するその学識には圧倒される。九鬼が「押韻は決して西洋に起源をもつものではない。」「印度か支那が恐らく押韻の発生地であらう。」と言うのは戦前の時代がことさらに主張させたとも思えるが、事実ではあるだろう。「押韻法は東洋に発達したもので、西洋では、先づラテン語がアラビア語から押韻の法を輸入し、ラテン系の文学がそれを継承して更にチュウトンおよびアングロサクソンの文学に伝へたのである。」つまり、九鬼としては日本詩の押韻を西洋の模倣と卑下する必要はないと言いたかったのだ。今日私などが感じるのは、むしろ脚韻の世界性、普遍性といった観点だが。押韻論を発展させた梅本健三の『詩法の復権』13 によると「時間の軸からいっても空間の軸からいっても、人間の言語である限り、どの言語もいつかは脚韻法と接し得るといえそうなほど行き渡っている。」ということになる。すると、ひとり日本語のみが脚韻は似合わないと言い張る人が多いのもどうなのか。しかし、梅本健三は同書で面白いことも書いている。近代日本の作家はよくフランスを理想としたが、フランスのP・ギローは自国語では東西南北の隣国と比べて詩の音的効果があげにくいと強調している。その隣国のドイツではT・アドルノが自国の抒情詩の「ドイツ語そのものが不成功に終わっている」と批評した、と。感性の鋭い人に、とかく国語の弱点を嘆く傾向があるのは確かだろうが。 とはいえ現実には、岩野泡鳴にせよ九鬼周造にせよ、脚韻を宣伝した著作は多くの実作者たちの冷笑を浴びて来たようだ。意義を認めるにしても「採り上げられた問題は未だ解決されていない」という程度の捉えられ方である。例えば岡井隆は、九鬼を論じ「三十年後の今日よみかえしても印象まことにさわやかなものがある。」と感じる一方で、「これほど精緻で、しかも、これほどまでに不毛だった理論は、ちょっと類を見ない。」14 などと書いてしまうのである。 日本語脚韻の不可能性を否定して見せた九鬼周造自身が、『日本詩の押韻』の巻末で実作した脚韻詩を多数披露しているのだが(ずっとのちには梅本健三も)、史上、そのマニフェストの影響を受けた実験として最も知られているのは、戦後間もなく刊行された『マチネ・ポエティク詩集』15 に違いない。 これは一般に失敗作だったと見られているようだ。 収録の詩篇が製作されたのは戦中で、統制下、同人雑誌も出せなくなったなかで、「各自の作品を持ち寄って、読み合う会を作った。」16 それが「マチネ・ポエティク」という同人集団だった。この点を評して安藤元雄は「朗読するということになってはじめて、押韻が強く意識されるわけです。脚韻が、たとえば二行おきに戻ってきて同じ音がそろう、そのときの一種の快感。それからあるいは、思いがけない単語と単語が響きあうという驚き。」17 が味わえたろうと論じている。 しかし、出来上がった作品群は14行のソネット形式に脚韻、という徹底した、ある意味ナイーヴ過ぎる古典的定型詩で、運動を主導した中村真一郎が序文で、新たな定型の確立は、近江朝廷時代の短歌形式の成立、連歌からの俳句形式の成立、明治の新体詩運動に続く「第四回の革命」だなどとブチ上げたのも、痛罵を浴びた理由だろう。 しかし現在では評価する向きもないではない。福永武彦による作品などはその詩業の代表作と考えられていると思う。そのひとつ「冬の王」の第1聯はABBAの型式で、
幾冬を 天の俘囚に別れ 地に 痛みにつもる雪はなだれ 空にいつ あかつきの金(きん)の射手(いて)
扉のひらく時を待ち 乱れて眠る赤はだか 緑の髪の娘たち ところで、この運動に引導を渡したのは三好達治の批評「マチネ・ポエテイクの試作に就て」18 だというのが議論の余地ない定説である。三好はこの詩集の掲載作を「例外なく、甚だ、つまらない」と断言した(自身も別種の定型詩を志向し研究していた三好としては同族嫌悪的に許せなかったのかも知れない)。それだけでなく、次のような日本語による脚韻詩の根本的な問題を提示している。
補足的な意味で紹介するが、比較的近年の講演19 で菅野昭正は次のように発言している。
「マチネ・ポエティク」の活動に同情的だった大岡信は、よく出来た脚韻詩の例として自身の「友人」稲葉三千男によるヴェルレーヌの訳「マンドリン」を挙げている21 。水声社版の『マチネ・ポエティク詩集』に載っているので第1聯を孫引きしよう。
ききいるあの娘(こ)はあどけない あだごと 互いにかはすなど さざめく木蔭のしのびあひ その後、主に平成初期に、飯島耕一が脚韻を用いた「定型詩」を提唱したのも今は歴史の一頁だ。実作例として「ジャック・ラカン」22 という詩の第1聯を見ると、
こりゃもう あかん 方広寺の 羅漢(らかん) 闇には 如何(いかん)? 模索するなかから新たな「定型」が生まれれば、という飯島耕一の希望は幻想だったかも知れないが、近年ある意味では歌謡曲が現代詩に成り代わって脚韻などを志向するようになったとは言えまいか。かつては気位の高い現代詩人は歌謡曲と同列に扱われるのを嫌がったものだが。ラップも日本に輸入されてから40年以上になる。余計なお世話だろうが、もっとアカデミックな評価も欲しいところだ。ヒップホップミュージックの流行以後はJ-POPでも韻を踏むのは珍しくなくなった。あからさまな韻でなくても、例えばYOASOBIの「夜に駆ける」(2019.11.)の冒頭部は、
二人だけの空が広がる夜に 「さよなら」だけだった その一言で全てが分かった 日が沈み出した空と君の姿 フェンス越しに重なっていた 実験だ、不毛だ、などと力まなくとも、押韻の愉しめる時代になっている気がする。
飯島耕一も「わたしはすべての詩人が「押韻定型詩」を書くべきだ、などと主張しているのではない。口語自由詩、散文詩にまじって、「押韻定型詩」があってもよく、「新しい型の定型」への模索があればなおさらいい。そう提言しているだけなのだ。」24 と書いているし、マチネ・ポエティク時代を回想した福永武彦も、定型詩は「自由詩との間に格別の区別はなく、主題に従って別個の詩型が要求されるのは当然のことだと思っていた。」25 と、述べている。 私にしたところで『ふしぎの国』の翻訳で脚韻詩以外も試みており、そちらにも愛着はあるのだ。そのひとつが3章の「狂犬フューリー」の詩で、ネズミのしっぽの形をした「図形詩」として知られるものだが、もちろん原詩は脚韻を踏んでいる。
That he met in the house, ‘Let us both go to law:I will prosecute you. ― Come, I'll take no denial: We must have the trial; For really this morning I've nothing to do.’ Said the mouse to the cur. ‘Such a trial, dear Sir, With no jury or judge, would be wasting our breath.’ ‘I'll be judge, I'll be jury,’ said cunning old Fury: ‘I'll try the whole cause, and condemn you to death’.”
教えてやろう、おれの思惑、 「いっしょに法廷に来い、おれはきさまを起訴するからな。 さあさあ行こう」と誘惑。 裁判すれば血が沸く。 「なにしろ今朝はなんにもすることがなくてひまだからな。」
その家で、ネズミ に出くわし 言ったんだ。 「いっしょに 出るとこ出よ うかい。おれ がきさまを うったえる。 さあこい、 いやとは言 わせない。 どうでも 裁きをう けさせる。 なにしろ けさはひま だから、たい くつしのぎ というわけ さ」そこで ネズミは ドラ犬に、 「だんなさん、 そりゃむだ ってもの。 判事も いない 弁護士 もなし、 そんな 裁判やっ たって」 「判事は おれさ、 弁護士も」 そこは フューリー ぬけめ がない。 「なんでも ぜんぶ ひきう けて、 つみを かぶせて きさ まは 死刑」 no jury or judgeは当初「判事もいない、陪審も なし」と原文どおりに訳していたが、「裁判員法案」の閣議決定(2004.3.)を受け、11・12章のjuryを「裁判員」と改訳することにしたため、語呂の関係で、裁判員とすべきところを「弁護士」に置き換えた。つまり拙訳では正確さより読みやすさを重視している面がある。先例としては芹生一訳27 が弁護士を使っているが、これは年少読者に意味を取りやすくしたのだろう(『スナーク狩り』でスナークが判事と陪審、弁護士を兼ねてることを意識したりはしてなかろう)。 肝心の脚韻の翻訳では5章、青虫の前でアリスが暗唱する「父なるウィリアム」が、原詩のノンセンスぶりも好きだし、拙訳の中でも特に気に入っている。長くなるので詩の中ほどを引用しよう。
And have grown most uncommonly fat; Yet you turned a back-somersault in at the door― Pray,what is the reason of that?” “In my youth,”said the sage,as he shook his grey locks, “I kept all my limbs very supple By the use of this ointment―one shilling the box― Allow me to sell you a couple?” “You are old,”said the youth,“and your jaws are too weak For anything tougher than suet; Yet you finished the goose,with the bones and the beak― Pray,how did you manage to do it?” “In my youth,”said his father,“I took to the law, And argued each case with my wife; And the muscular strength,which it gave to my jaw, Has lasted the rest of my life.” 脚韻にこだわることで繰り出される意外な言葉の組み合わせは、原作者にとっても、翻訳者にとっても、読者にとっても、それぞれに面白いはずである。拙訳を挙げる。
太りっぷりも、ふつう じゃない とんぼを 切って、戸を くぐるけど…… なんで、そんな の、できるんだい」 親父は ごましお頭を ふり、したり顔 して、 「いつまでも、この 軟膏で、しなやかな 身の こなし。1シリングで、おまけ して…… ふた箱に しとくが、買わん かな」 「その年だ。あごも 弱って、あぶら身 より かたい もの なぞ、かめねえ はずだよ。 ガチョウを 骨ごと、くちばしも ぺろり…… どうすりゃ、やって のけられんだよ」 「若い ころ には、裁判ざた が 好き。 かみさんと、たびたび 論戦の おり あご には、筋肉もりもり つき、 いまに なっても、この とおり」 続いて、キャロルが脚韻そのものを題材として遊んだ10章の詩を見よう。
How the Owl and the Panther were sharing a pie: The Panther took pie-crust,and gravy,and meat, While the Owl had the dish as its share of the treat. When the pie was all finished,the Owl,as a boon, Was kindly permitted to pocket the spoon: While the Panther received knife and fork with a growl, And concluded the banquet by――”
梟はスプーンをポケットに 豹は文句とナイフとフォーク さて、ご馳走のそのあとは――」
フクロウと ヒョウと、パイの 分けあい、 いかに している? ヒョウが とったのは、パイ皮と、肉と、その 汁、 フクロウは、もらえる 分け前が、皿だけと 知る。 パイが すっかり なくなると、フクロウは、 おなさけに すがり、 ありがたく ちょうだい した スプーンを、ポケットに しっかり ヒョウは ナイフと フォークを とり、ほえるだろう。 そして、この ごちそうの しめくくり は、フク…… 10章末の詩でもキャロルは大いに脚韻で「遊んで」いる。
Game,or any other dish? Who would not give all else for two p ennyworth only of beautiful Soup? Pennyworth only of beautiful Soup? Beau―ootiful Soo―oop! Beau―ootiful Soo―oop! Soo―oop of the e―e―evening, Beautiful,beauti―FUL SOUP!” まさに「脚韻そのもののパロディ化」だと言いたくなる。拙訳は「〜も」や「〜に」の安易な反復に頼っていて、あまり巧く出来たとは思ってないが……
食べる気 しない、魚も 鳥も。 手に入る なら、 さいふも はたく。2 ペニーぶん の、おいしい スープに。 1ペニーぶん の、おいしい スープに。 おーいしー、すうーうぷ! おーいしー、すうーうぷ! すーうぷで、ゆー、ゆー、ゆうごはん、 おいしい、おいしーい スープ! 私などが、ことさらに主張するまでもないのかも知れません。 (2023.8.15.)
例年は簡単な書き込みがされてるだけなのだけど、今年は別紙で講評まで付いている。 今まで内容がマニアック過ぎたりして、あまり突っ込みようがなかったのが、「脚韻」というテーマだと碩学の先生には持論もあり多くを語れるらしい。まぁいつもどおり、どなたが査読してくれたのかは原稿執筆者には明かされないのだが。 拙訳のアリスの脚韻例については評者の方は かなり褒めてくださっており、私としてはウン十年前の訳に手も加えず載せているだけとはいえ、嬉しかった。 しかし、“ 本論では「日本語脚韻の系譜」として『新体詩抄』、泡鳴『新体詩作法』、九鬼『日本詩の押韻』、中村真一郎等『マチネ・ポエティク詩集』などが紹介されている。ここは従来から脚韻が論じられるとき、参照される文献ばかりで新味・工夫がない。” と評されているが、よく使われる文献だけに読ませ方の工夫は けっこうしたつもりだ。そのあたりは全体の頁数の関係からも(自己負担金なしで載せられる上限の20頁に達している)、あまり書き直す余地はないと思ってるので、11月(10月末?)に本稿が発表されたら皆さんで判断なさってください。 ただ、過去に「脚韻は日本語の伝統に反している」などと言われた経験から、本邦にも脚韻の系譜が延々とあることを基礎から説明する必要があると感じたのだが、初心者向けというか、私自身が岩野泡鳴とか九鬼周造の押韻論を今回、初めて本格的に読んだわけで、碩学の先生からすれば物足りなく感じるのは致し方ない。 講評に “ 泡鳴や九鬼を例と出すならば、泡鳴がシモンズ『表象派の文学運動』翻訳で実践している押韻例を検討すべきであろう。また同じく九鬼の『巴里情景』における押韻効果を論じなくては説得力をもたないであろう。” と、こういう文献を参照せよと示してくれたのは有り難かったが、さっそく取り寄せてみると、どうも おかしい。 『表象派の文学運動』(新潮社、1913.)は臨川書店版『岩野泡鳴全集 第十四巻』(1996.)に入ってるのだが、「珍妙な造語と支離滅裂な文章法」の個性的翻訳であるものの、訳詩で押韻なんかは踏んでないのである。 九鬼周造の「巴里心景」(情景、ではない。初出《明星》1926.1. 単行本は没後出版で甲鳥書林、1942. 岩波書店版全集の第一巻(1981.)に収録)にしても単行本本文に脚韻詩はなく、巻末の「手沢本」による改定稿で「風」と「思出」という詩にのみ韻を踏んでいる。拙稿では “ 九鬼周造自身が、『日本詩の押韻』の巻末で実作した脚韻詩を多数披露しているのだが〔中略〕、史上、そのマニフェストの影響を受けた実験として最も知られているのは、戦後間もなく刊行された『マチネ・ポエティク詩集』に違いない。” として、九鬼自身の詩は載せてないのだが、「風」の脚韻詩は『日本詩の押韻』巻末にも入っているし、あえて「巴里心景」について論じる必要があるとは思えない。 まぁ九鬼自身の作例も載せたほうがよかったろうとは思うが、前述の頁数の制約で難しい。なお、査読者は九鬼の実作については “ 平凡 ” と見て評価してないのだが、私は『巴里心景』は若書きでヘタだが『日本詩の押韻』の脚韻詩には わりと巧いものもあると感じている。 そんなわけで拙稿の修正は あまりしなくて済みそうだが、岩野泡鳴については “ 私を含め多くの人にとって泡鳴は名を知るばかりでまるで読まない作家だろうが、評論『神秘的半獣主義』のタイトルとか、乱脈な女性関係からだけでは知りえない作家像を垣間見た気がした。” と書いていた部分を抹消して(考えてみると臨川書店版全集は かなりの識者が目を通しているだろうし)、『表象派の文学運動』という訳書もあることだけは決定稿に書き加えることにした。 また、講評では “ 音韻のうえから脚韻を論じていないうらみが残る。土居光知〔こうち〕、兼常清佐〔かねつね・きよすけ〕などの音韻研究にふれていないのは問題であろう。とくに後者の遺著『イギリスの詩・日本の詩―日本の言葉・イギリスの言葉』(北星堂書店、昭和28年)には有益な指摘がある。” と、英語研究者らしい論点を提示してくださっていて、考えるべき問題ではあるのだが、無論私がよく知らないということもあるが、『イギリスの詩・日本の詩』は国会デジタルコレクションの個人配信で読んでみたものの、詩の分析には使えても私の主張する気軽な脚韻詩の実践には結びつかない気がした。 拙稿でも触れている飯島耕一の定型詩論に対して、松浦寿輝(ひさき)が違和感を表明しているのだが(こちらは拙論では触れてないが)、その中で松浦は定型って五・七・五と押韻だけでしょう、みたいなことを言っている。これは飯島に対する反駁としては的外れなんだけれども、実践する詩人として効果を気に掛けられるのは確かに七五調と頭韻・脚韻くらいだよなあ、と、その点は共感する。音韻とかは自然について来るというか。もっとも、私は脚韻とかは好きだがそもそも「定型」というのには、あまり興味がなかったりする。 そのほか査読では、文献には頁数を入れるように諭されたのだけれど、脚注で明記したが拙稿では原文献でなく翻刻版に当たった資料が多いから、頁数を入れるのには抵抗がある(原資料の頁数が全部分かれば書くかも、だが)。逆に出版社名は取るようにも言われたが、それがないと検索しにくい文献もあるし、翻刻資料を挙げてる関係から言っても出版社は必須と思う。 そんなわけで今年も あまり査読された方の意見には従ってないのだけれど、諒とされたい。
いつも採り上げる本とは毛色が違うけれども 面白い。川原繁人というユニークな言語学者がいるというのは、どこでだか知っていたが著作を読むのは初めて。論文調は少なくて軽いノリの本だが、内容は濃い。
Interesting Japanese Translation of the Foot Rhyme Shousei OHNISHI I translated "Alice in Wonderland" into Japanese in 2001, published it on the web in 2002, and published it as a private book in 2015 (officially in 2016). In this translation, I showed the rhymes of Lewis Carroll's poems in Japanese, which was a groundbreaking attempt at the time of publication, but it was also unexpectedly criticized. This is because the Japanese language has traditionally been regarded as not being able to produce the desired effect of foot rhyme due to the nature of the language. However, the Japanese language also has the property of making sentences humorous when rhymes are used, and I thought this rather suited Carroll's translation. A precedent was set by Naoki YANASE in his translation of Edward Lear's "A Book of Nonsense" (1985, 1988, 2003), which rhymed in Japanese in every verse. I felt that few of Alice's Japanese translations to be truly laugh-out-loud funny. Intellectuals tend to find alienation and grotesqueness in Alice's stories, and the unfunny sentences may be good for readers who expect such things, but the reason for Alice's overwhelming popularity in the first place is that it has a cuteness that surpasses the grotesque and is probably because it is a "literature of laughter" that embraces and forgives everything. I wished to reproduce the laughter of the original as faithfully as possible in Japanese. As will be discussed in the next section, attempts at Japanese foot rhyming are not unprecedented in Japanese history; on the contrary, they have continued intermittently. According to the philosopher Shuzou KUKI's "Rhyming in Japanese Poetry" (1931, 1941), the germination of foot rhyme can be seen from the time of the mythological history books, and at the latest in the 10th century (nominally the 8th century) poetry treatise, rhyme is already clearly an issue. In modern Japan since the Meiji era, imitation of Western foot rhyme was often attempted, but KUKI insisted that foot rhyme originated in ancient China or India, and that it was of Oriental origin. What I think is the worldliness and universality of the foot rhyme. From an authorial point of view, however, Japanese has few vowels and tends to end sentences with fixed verbs, simplifying the rhyme scheme and making it unsuitable for elaborate works of art. On the contrary, rhyming can be lively in humorous poems and popular songs, and if one does not think too hard, Japanese rhyming is rather easy. That said, I am also not suggesting that all Alice translators should use foot rhyme. I will give an example of my work in the last section, but I have translated the Mouse's long tale in the ancient Japanese rhyme scheme of 7-5, and I hope that each translator will explore and find a translation format that suits his or her own poetry. But what is the significance of translating the poem about the Owl and the Panther in chapter 10 into another language in any way other than utilizing foot rhyme? The "Owl" that was not uttered, and the two+p in the Song of Turtle Soup. The ancient rule of foot rhyme itself is parodied here. Carroll, who enjoys word puzzles, can be called a pioneer of the game-like artist. The unexpected combinations of words that are produced by the attention to foot rhyme should be interesting to the original author, the translator, and the reader. The translations of "Alice in Wonderland" that use Japanese foot rhyme include books translated by Shouichirou KAWAI (2010), Hiroshi TAKAYAMA (2015, 2019), and Hiroko KOMATSUBARA (2022), and others. They each also have translations of "Through the Looking-Glass". OHNISHI (illust.by Willy Pogány, 2016) KAWAI (John Tenniel, 2010) TAKAYAMA (maki SASAKI, 2015) KOMATSUBARA (MINALIMA, 2022)
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