水先を きどる 姉妹の、たわむれの 手に/旅の ゆくえも まかせきり。
( While little hands make vain pretence/Our wanderings to guide. )
あえて直訳するなら、「小さな腕が、私たちの放浪の旅を導くふり (無意味な見せかけの動き) をしている間に」。
訳詩の「きどる」とは、直接には vain 「無益な、むなしい、虚栄を誇る」の意訳だが、同時に「きどる姉妹」がリドル姉妹の名を掛けている。
マーティン・ガードナー『新注アリス』(高山宏訳)を参照。
これは注がなければ読者に通じない訳者の遊びに過ぎないが、第 1連で重ねて用いられる 3つの“little”が、Liddell 3姉妹を意味するなどというキャロルの遊び自体、
ガードナー注釈が普及するまで英語圏の読者にも気づかれてなかったわけで、訳文もさりげない程度にとどめておいた。
なお、Liddell という姓は日本では“リデル”と読むのが慣例だが、リドルのほうが本来の読みに近い表記。
キャロルは本文 7章でも、同様に内輪受けを狙っている。
guide は、この場合「水先案内をする」の意で、ふつうなら pilot を用いるべきだろうが、脚韻の都合で guide という語が選択されている。
wanderings は、現実の状況としては、舟の進行方向がふらふらして定まらない様子を言っているわけだが、字面から
Wonderlandへの冒険を予感させる。拙訳では、4連の The dream-child moving through a land/Of Wonders の moving を 「旅してゆく」 と訳すことで、かろうじて関連づけた。
もちろん、wander と wonder は全然違う単語なので、キャロルがそこまで考えたという証拠はない。
こういう場合も、訳文をどちらにも取れるように、さりげない程度にとどめておくに限る。
後注。楠本君恵訳(2006.)では、“二本のオールはぎこちなく/ 二人の幼い腕にあやつられ、/さまようボートを導くのは/ 右っ! 左っ! と方向示す別の少女の小さな手”
と訳し、オールを 2人の少女が漕ぎ、残りの 1人が水先案内と捉えている。
しかし拙訳では、素直に hands を、複数の少女の手と見ている。