章題は多く 「イモムシの忠告」 と訳されているが、ふつうの意味で 「忠告」 といえるのは 「怒るのはよくない」 とアリスを諭す場面だけ。
内容に即すならば脇明子訳のように 「助言」 とすべきだろう*。しかし 「助言」 は 「忠告」 に比べ、言葉としてのインパクトがなく、この虫の強烈なキャラクターに合わない。
むしろそのまま「芋虫のアドバイス」とした星野裕訳 が正解である。拙訳は、やや語感が古くなってしまう点が心配だ。
また Caterpillar を、どう訳すかという問題だが、最も一般的な芋虫のほか、青虫、毛虫と、三様の訳が、すでに戦前からある。
青虫というのは 4章の終わりに、blue caterpillar とあることによるが、「青虫」 は通例モンシロチョウの仲間に限られるし、英語では見た目のとおり、green caterpillar だから違和感が残る **。
戦後の吉田健一訳(1950.)では blue caterpillar も「あい色の毛虫」と、毒々しいイメージで、おそらくは楠山正雄の〈春陽堂少年文庫〉版(1932.)にも使われていた グィネッド・ハドスンのイラストを知っていたのだろうと思われる。
また、ハバチの幼虫 には、藍色の caterpillar と見えるものが実在する。
リンク先の写真は、 膜翅目(ハチ目 Hymenoptera)・コンボウハバチ科(Cimbicidae)・モモブトハバチ属のアメリカ種(Genus Cimbex americana)。
日本語では一般的に、毛虫ならガの幼虫、青虫ならチョウの幼虫というところ。
「芋虫」も通常はスズメガの幼虫を指すが***、どちらにも(甲虫類の幼虫とも)とれ、無難であり、かつ多少ユーモラスでもある。
結局ここでは、この虫がやがてはチョウになるという、アリスの言葉を信じて 「アオムシ」 とした。
この訳からは、無愛想は 「若さ」 ゆえ、という含意も生まれることになるかと思うが、少なくとも偏屈親爺のようなイメージからはそろそろ解放されるべきだろう。
むろん、英語圏でも アーサー・ラッカムの絵(日本語版に新書館、1985.がある)のように 「老人」 として解釈されることは多いのだが、
テニエルの絵では年齢不詳だし、キャロル自身が 『地下の国のアリス』 に描いた異様な長虫 は、かなり若く見える
(忘れられがちだが、まだ幼生 たぶん子どもではなく、大人になる少し前の青年なのだ)。
ピーター・ニューエルの挿画 (ガードナー『新注アリス』 に所載)は「毛虫」ながら幼いイメージで要注目。
** 『不思議の国』 のテニエルのイラストに彩色を ほどこしたものにも、体色が緑のものがある。
ディズニー版の Caterpillar は微妙な色使いだが、絵本によっては腹を青、背を緑と描き分けている (青一色、緑一色で済ませるものも多い)。
海洋堂が制作した食玩 (〈アリスのティーパーティ EX 〉 2003.)の “アオムシ” は、緑のものと青のもの、2種の色違いヴァージョンで製品化された
(写真。 もっとも、この EX シリーズは全てのキャラに色違いが存在するが)。
アオムシが人面なのは、ディズニーの影響だろうが、映画 「ドリームチャイルド」 のクリーチャー・デザインを参考にしたものとも思える。
*** スズメガの幼虫にも体色が緑のものは多く、日常的には「青虫」と呼ばれることがあるかも知れない。