and once she remembered trying to box her own ears for having cheated herself in a game of croquet she was playing against herself,
(いまでも思いだすのは、じぶん相手のクロッケーの試合中、じぶんにいんちきをしたからって、じぶんに平手うちをくわそうとしたことだ。)
box one's ear(s) は「横づらを張る」、おしおきに子どもの頬を ぴしゃりとぶつ場合に多く使われる(イメージ的には音のするような たたき方)。
cheat oneself は「間違う」とも取れるが、ここはもちろん「ずるいことをする」の意。
「クロッケー」についての注→ 8章章題
『アガサ・クリスティー自伝』には、子ども時代の思い出として、次のような遊びの様子が描かれている。
木馬に乗ったり、庭いじりをしたり、またクローケーのゲームもずいぶんやっていた。
わたしはよくトーナメントや特別試合を組んだ。わたしの大きな望みはイザベラが勝たないことだった。
わたしはずるに近いようなあらゆることをして彼女が勝てないようにした。
つまり、わたしは彼女の打球槌をいいかげんに持って、ほとんどねらいなどもつけずに、すばやくプレーした
――なのに、いいかげんにプレーすればするほどイサベラには運がついているようだった。
不可能なほどむずかしい小門を通したり、球を芝生のむこうまでまっすぐとばしたりして、ほとんどいつも優勝者か次点になるのであった。
まったくいらいらさせられた。 〔第二部IV 乾信一郎訳。太字部分は出典では傍点。〕
クリスティーはイザベラを嫌っていて、シャーロット・ヨングの『ひなぎくの首飾り』に出てくる“俗物的”〔worldly ヴィクトリア期の流行り言葉〕なフローラのようだと言っている。
ただ、引用部分の直前に、クリスティーの育った家には“教室”〔schoolroom〕と呼ばれる本でいっぱいの部屋があり、そこの子ども向けの本棚に『不思議の国』や『鏡の国』もあった、と書いていることから、
ここは『不思議の国』(とりわけ 8章)を意識した、一種のパロディと考えられる。
クリスティーが何才で『アリス』を読んだのか確定はできないが、前後の書き方から10才以前であることはまず間違いない。
→参考「クリケット」について