妃殿下のクロッケー場(The Queen's Croquet-Ground)
フランス生まれの “クロッケー”(クローケー、クローケ、クロケー) は 『不思議の国』 が書かれた段階では最新流行と呼んでよいようなスポーツだった。
しばしば英国の国技である cricket (クリケット) と混同されるが、まったく別のスポーツ。(→参考 クリケットについて)
ただし、クリケット・グラウンドでクロッケーの試合をする、というようなことは、よくある。
高山宏 は 『新注 鏡の国のアリス』(1994.) あとがきで、Queen の訳語について 『不思議の国』 には王がいるのに 「女王」 とするのはおかしい、「王妃」 か 「おきさき」 とすべきだと指摘している。
その後 さくまゆみこ (1997.) や、こしばはじめ (小柴一。『よみきかせ ふしぎのくにのアリス』 2001.) が 「女王」 でなく 「クイーン」 と訳したのも高山説を意識したものか *。
もっとも高山氏自身が言っているとおり 「トランプの女王」 という表現は可能だし、『鏡の国』 の女王アリスとの整合性を取るためには 「女王」 という訳も悪くない。
拙訳も高山説を引き継いだが、ひとつの理由に、『不思議の国』 の翻訳において 『鏡』 との整合性はあまり気にしなくていい、と考えていることがある。『不思議』 執筆の時点で 『鏡』 はほとんど構想されてなかったわけだから、『鏡』 を翻訳するとなれば当然、前作を参照する必要があるが、その逆は重要でない
(Alice Liddell の回想によれば挿話の多くはキャロルにチェスを習っていた頃に生まれたもの、とはいうが)。
* 高山宏は “そのまま 「キング」 や 「クィーン」 でいくのも芸がない。” とも書いているが、2015年の自身の新訳では 「キング」 と 「クィーン」 を用いた。
また、高山氏は“バラにペンキを塗ってるトランプたちも、今まで、「二郎」 だの 「五郎」 「七兵衛」 だの訳されてきたけど、簡単に 「2」 「5」 「7」 という 「人名」(?) でいけばいいんだ……。” と考えてもいるが、このアラビア数字表記は 辻真先のリライト のほうが、ずっと先行している。
辻は 『アリスの国の殺人』 作中、『不思議の国』 をパロディ化した部分で “トランプから抜け出したような女王と、その亭主らしい男がしゃべっていました。カードそのままなら、王と王妃であるべきですが、〔中略〕 どう見ても女上位の王家だったのです。” とも書いているから、高山氏は案外、辻版アリスに目を通していたのかも知れない。
さらに言えば、古くは 長澤才助(1928.)、楠山正雄・西山敏夫(1950.)、
三島由紀夫(1952.)、藤原一生 らが、算用数字のみで 「人名」 としていた。
2015年の高山新訳では 「ファイヴ」 「セヴン」 「ツー」 を用いた。
(最終更新 2015年 5月 3日)