毛に覆われたネズミの顔が青ざめる、というのも考えてみると変だ。アニメーションの表現などに慣れた現代の読者は何となく読み過ごしてしまうが、
キャロルの時代においては、今以上におどけた表現と映ったかも知れない。
脇明子(1998.)は 「血の気がなく」と訳し不自然さをやわらげようとする(脇訳は細部まで一から考え直したあとが見え、個人的には好感をもつ)。
が、もちろん擬人法自体は別 に新しい手法でもないわけで、マンガ的な理解のほうが むしろ正しいだろう。
拙訳は、あっさり訳しておいた。
ここで キャロルはイラストを、ネズミが ネコとイヌ の話に恐れを
なして逃げる場面を描いたものと解している。
But why is the Mouse swimming away from Alice in such
a hurry? Well,the reason is,that Alice began talking about
cats and dogs : and a Mouse always hates talking about cats
and dogs!
やはり 『子ども部屋』 の 7章冒頭 には、カバの子どもと遊
んでいたら、その足でパンケーキみたいにぺちゃんこ につぶ
されてしまうだろう、 という表現が出てくることから考えても
( I don't suppose you would much enjoy playing with a
young Hippopotamus,would you? You would always be
expecting to be crushed as flat as a pancake under its
great heavy feet!)、キャロルのジョーク、なかんずくデス・
ジョーク は、アニメ的な感覚に先駆けたものであると言いう
るだろう。
これも現在では、特に注目することなく 読み過ごしてしまう
部分かと思うが、 as flat as a pancake 「平べったい」という
慣用表現を利用した、いかにもキャロル風のジョークだ。
『子ども部屋』 でのアリスは、『不思議の国』 では身につけてい
なかった青いリボンと、青い帯を まとっている。
これは、のちのディズニー映画の “青い服のアリス” の原型に
なった。
チェシャ猫を見上げるアリスの図や、王妃のクロッケー場の図を
見れば解るとおり、この描き足しには違和感がなく、カラー化 に
際しテニエル自身が手を入れたことを裏付けているが、このネズ
ミのシーンでは青いリボンを彩色のみで補っている。
青い靴下、bluestocking は、1750年頃、モンタギュー夫人がロン
ドンで主宰したサロン Blue Stocking Society 以来、
「女性文化
人、女流文学者」、また軽蔑的 に 「教養を鼻にかける女性」 の
代名詞だが (日本の雑誌 《青鞜》 も、これに由来する)、取り澄
ました表情のアリスを、ことさらに Alice look pretty と書いたこと
と、別に関係はあるまい。