「はあ、ありゃ、腕っすよ、だんな!」 (腕を「んんで」と、まのびして言う。)
(“Sure,it's an arm,yer honour!” ( He pronounced it“arrum.”) )
yer は you の、くずれた形。
“arrum ”と発音が間のびしているのは、アイルランド訛り。
キャロルの言葉遊びとしては単純なものだが、この部分には意外にも各翻訳者によって、かなりのヴァリエーションがある。
(あるいは 7章章題と同様、差別的なニュアンスをごまかそうとして、言葉が上滑りするのかも知れないが)。
まず、言葉遊びを訳さない姿勢を通している吉田健一訳から紹介すると、
「人間の腕でございます。たしかに。」(パットは、アイルランドからきたガチョウで、ひどいアイルランドなまりなのですが、アイルランドなまりというのは、どういうのかというと、たとえば人間の腕、armをarrum(というふうに発音します。)
ただし、使用人パットが “ガチョウ” かどうかは疑問(→次注参照)。
arrum の訳として最も多いのは、“うんで”である。
田中俊夫、八波直則、生野幸吉、芹生一、高杉一郎、宗方あゆむ、高山宏(1994.)等が用いている。
以下の引用は生野訳。
「腕にきまっておりやすよ、旦那さま!」(その発音は「うんで」と聞こえました)
「腕だって? このとんまめ! あんな大きさの腕を見たことがあるのか? みろ、窓いっぱいにふさがってるぞ!」
「そん通り、ふさがってやすよ、旦那さま。それにしたってやはり腕だど」
脇明子訳は“ウンデ”。
石川澄子訳
「あれァ腕でがす、旦那。」(パットは腕を「ンデ」といいました。)
「なに、腕だって、バカ! あんなでっかい腕がどこにある。見ろ、窓いっぱいじゃないか。」
「そうでがす、旦那。でも、あれァ腕でがす。」
酒寄進一(1995.)は“「んで」”としている。酒寄訳はドイツ語からの重訳のようであるが、実際には過去の翻訳を複数参照しており、石川訳に倣ったと思われる箇所も数カ所ある。
岩崎民平訳
「腕っこでさあ、へい」(腕を「うでっこ」といいました)
「腕だって? ばかな! あんな大きな腕があってたまるもんか。窓いっぱいじゃないか」
「違えねえ、窓いっぱいでさあ、へい。だが腕っこはやっぱり腕っこでがすよ」
多田幸蔵、原昌訳も“腕っこ”で、岩崎訳の影響が顕著と言えよう。
飯島淳秀訳(1967.)
「へえ、ありゃあ、うれでやんすよ、だんなさま。」
(パットは、うでのことを、うれといいました。)
北村太郎訳も “うれ” だが、これはおそらく偶然だろう。
「はい、腕でーす、だんな!」(「うで」を「うれ」と発音してる)
「腕だと? ばーか! あんな大きい腕、あるかってんだ。窓がふさがっとるじゃないかっ!」
「へーい、そのとおりで。でも、やっぱ、腕でーす」
中山知子訳
「ありゃあ、うでででさあ、だんなさま!」
「うでだって、ばかをいうな! あんな大きなうでがあってたまるかね? 窓わくいっぱいだぞ!」
「たしかにな、窓わくいっぱいでさあ、だんなさま。けど、こりゃあやっぱし、うででででさあ。」
引用の最後では「で」の数がひとつ増えている。こういう饒舌さは中山知子の特徴。
立原えりか訳(1983.)
「うびこでしょうが、だんなさん。」(腕を、うびこといいました。)
「腕だって? とんちきめが! あんな大きな腕があると思うのか? 見ろよ、窓が、腕でふさがっているんだぞ。」
「ちげえねえす。たしかに、ふさがってやすな。でも、やっぱし、やっぱしうびこだよ。」
1988版の文章では“(腕を、うびこと言ったのです。)”“ふさがってやんすな。”のように多少リズム感が出るよう、全体に修正している。
高橋宏訳(1987.)
「腕(にきまっておりますよ、旦那さま!」
(パットは腕をう〜でと言いました) 〔原文、う〜で、に傍点〕
追記。 石井睦美訳(2008.)は “うぅで”。高山宏訳(2015.)は “ううで”。
うえさきひろこ訳(1996.)
「もちろん腕でごぜえますだよ。だんな様」
(パットがいうと腕は“むで”ときこえた)
「腕やて。あほか、おまえは。あんなでっかい腕がどこにあんねん。窓をふさいでしもうとるんやで」
矢川澄子訳(1994.)
「ありゃてっきり、腕ですぜ、だんな!」(うで、というよりいでときこえたけどね) 〔原文、いで、に傍点〕
「腕だって、とんちきめ。あんなでかい腕があるかよ、窓枠いっぱいじゃないか!」
いで、という発音にも矢川訳のクセの強さが出ている。
追記。
村山由佳訳(2006.)
「へえ、ありゃ腕でがんすよ、だんなさま!」(なまっていて、「腕」が「うでぃ」って聞こえた)
「腕だとな、この間抜け! あんなサイズの腕があるものか。窓いっぱいのデカさじゃないか!」
楠本君恵訳は “腕ぇ”、久美里美訳は “うんでぇ”(いずれも 2006.)。
書きそびれていたが、70年代の翻訳を代表する福島正実訳は “うでえ”。
山形浩生訳(1999.)
「うでにきまってますがな、せんせい!」(でもはつおんは、「しぇんしぇえ」だったけど)
「うでだと、このばか。あんなでかいうでがあるか! 窓いっぱいほどもあるだろう!」 〔原文、字下げあり〕
訛りを yer honour の側で表現した(「先生」という訳には、やや違和感もあるが)。
(最終更新 2015年 5月 3日)