「あのひとは、どうも、こてんこてんに、チンプンカンプンを教えてたってね」
(“He taught Laughing and Grief,they used to say.”)
直訳すれば 「彼は笑いと悲しみを教えると、皆がいつも言っていた」。 一見、意味深にも取れる表現だ。
しかし、Laughing and Grief( 「笑いと悲しみ」は、
Latin( and Greek( 「ラテン語とギリシャ語」のシャレ。
まるで詩句のようなキャロルの言語遊戯のスマートさは、誰にもマネできない。
宗宮喜代子 『アリスの論理』(NHK〈生活人新書〉、2006.) 102頁では、ここの Laughing と Grief を “にせウミガメ” がラテン語とギリシャ語を学んだという意味に解していいとすれば、
そうした古典語を教える学校は、私立の有名校か、公立でも いわゆるグラマースクールしかなく、実は “にせウミガメ” も名門校の生徒だったのではないかと考えている。
宗宮教授は、グリフォンがトリニティ・カレッジの紋章であることから、オックスフォードの OB かも知れない、と推定したうえで、
その同級生か同窓生の “にせウミガメ” も名門出身だろうと捉えているが、俗語を しゃべるグリフォンは、とてもオックスフォードに学んでいたとは思えない。
ウミガメ・フーミに至っては、特殊科目(課外授業)を習う経済的余裕はなかったと語り、必修科目(正課)の Drawling 等は 身体が硬すぎて実演できないと言い逃れ、
この古典の授業についても、あくまで伝聞の情報として、語っている。
常識的理解をすれば、ウミガメ・フーミの思い出は 「すべてが空想」だろう。
ニセモノだけに、経歴詐称というわけか。
ただ、アナゴの先生がラスキンの戯画であることからも、グリフォンとウミガメ・フーミの話は、オックスフォードの授業を茶化した面があるように見える。
むしろ その場合、野卑な育ちの 2匹づれが、オックスフォードという象牙の塔を、笑いのめすという構図になるだろう。
とはいえ、『不思議の国』が書かれた当時、ラスキンはオックスフォードの教授ではない。
ここは風刺的意味よりも、内輪ウケの要素が強いと思われる。
高杉一郎は、その訳書 (講談社)に、
イギリスの「いい」学校では、古典 ギリシア語とラテン語をかならず教えていました。
規則変化の多い このことばを ぎゅうぎゅうつめこまれるので、生徒たちはみな なきのなみだでした。
と、注釈しているが、「笑い」のほうを忘れては、いけないだろう。
ラテン語の学習が、特に高尚なイメージで語られてないことは、すでに 2章の注でも触れた。
また、Alice Liddell の父、Henry George Liddell は 『ギリシャ語辞典』の編纂で有名。