82頁上 《文学研究パンフレット 花袋とその周辺》二九号
→ 《文学研究パンフレット 花袋とその周辺》二九号(平成一〇年)
91頁上 其のまゝ外へ出てしまつた。 → 其まゝ外へ出てしまつた。
93頁上 ロオペル・アルノー → ロオベル・アルノー
96頁 田中純 「名作モデル物語T 田山花袋『蒲団』横山芳子」、《みどり》 学燈社、1958.7. → 1958.7.1.
97頁 横山よし子(=岡田美知代)「『蒲団』について」、《新潮》 新潮社、明治40.10.15. → 1907.10.15.
97頁 永代美知代 「『蒲団』、『縁』及び私」、《新潮》 新潮社、大正4.9.1. → 1915. 9.1.
97頁 同 「手記 私は「蒲団」のモデルだった」、《みどり》 学燈社、1958.10. → 1958.10.1.
12頁上、《少女の友》創刊時(明治41年)の尋常小学校を四年制としているが、明治40年には六年制となっている。
17頁下・22頁、丸山英観が〈万朝報〉に勤めていたという石川春江『国立国会図書館の児童書』の記載は誤り。
実際には〈東京毎日新聞〉に永代と同時期、勤めていた(千森幹子「『不思議の国のアリス』の翻訳者丸山英観再考―『不思
議の国のアリス』と山梨―」(山梨県立大学地域研究交流センター編 《やまなし地域女性史研究プロジェクト》 2007年度研究
報告書、2008.所収)参照)。
32・45頁ほか に引用した 「花袋の「蒲団」と私」 は 『自然主義文学』 (有精堂出版、1975.) を底本としたが、初出誌では促音が
小文字である等の異同がある。
45頁上、明治38年 5月当時の名簿の発見 により、永代が同志社神学校の生徒でなく普通学校の生徒であったことは確認された。
〔→「大塚英志の描く永代静雄」・「ウィキペディアの永代静雄」・「神学生問題と岸田美郎」の頁参照〕
永代が、周囲から将来、神職に就くことを要望され、自身でも かなりその気になっていたのは事実だろうが、「牧師 となることを
目指して同志社へ入った」 という説明は誤りであり、美知代との恋愛だけを理由に宗教を放棄 したわけでもない。
50頁上、長谷川二葉亭の 『浮草』 は装幀 における表題で、内題・奥付は 「うき草」。初出誌も後者なので、二葉亭自身が意図した
正確な表記は 「うき草」 である。
65頁下、丸山薄夜(英観) もダイナを 「玉」 と訳しているが、メアリー・アン は 「梅子さん」。
75頁下、及川八樓が 〈同志社新聞〉 の発行者であるのは内容を紹介した第六号、すなわち明治37年末まで。38年からは同志社
の機関新聞となり、号数も改めて第一号から打たれる (39年以降 〈同志社時報〉 と紙名が変わるが、この改題の際は号数が
継続されている)。
92頁下、薄田泣菫 『落葉』 は印刷では明治41年「二月二十日」発行だが、国会図書館所蔵本は「廿七日」と手書きで訂正する。
なお、本文は新字体とし、人名に関してのみ終戦後まで生きて本人が正字にこだわらなかった人物以外 旧字を用いたが、見落し
等で統一できなかった箇所がある (例えば 77頁下段では岡田 「實麿」 と 「実麿」 が混じっている)。
51頁上段の引用文も新字に直すべきところ。
巻末年譜 は小文字のため 人名も含め新字に統一したが、一部旧字が残っている (94頁中段 「日本文學講義/落窪物語」等)。
永代静雄も旧字なら「靜雄」とすべきところだが、単行本 『アリス物語』 表紙でも 『女皇クレオパトラ』 扉でも 略字の 「静雄」 で
あり、自筆のものは くずし字表記であることから、略字体を採用した。 (最終更新 2017年 6月 4日)