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ロブスターおどり (The Lobster-Quadrille)

ここの拙訳は、柳瀬尚紀の訳した 「エビ踊り」 に負っている。
ちなみに 高橋康也・迪訳 『子供部屋のアリス』 12章も 「エビおどり」 となっており、柳瀬訳は これに依った可能性が大きい。
それまで章題は「海老のスクェア・ダンス」(福島正実訳)とか、そのまま「エビのカドリーユ」と訳されて来たが、原題の子ども心を引きつける愉快さは感じられない。「エビおどり」は何のへんてつもない単純な訳に見えるが、日本語として無理のない、考えられた訳である。
例えば「えびの おどり」とする翻案(横谷輝小柴 一)も存在するが、それでは、ひょうきんさが消えてしまう。
凡手には思い切って「の」の一字を略すことが難しいのだ。

また、柳瀬尚紀は知らなかったと思うが(大西も、かなり後になって知ったが)、最初の『不思議の国』 の翻案、永代静雄 の〈アリス物語〉でも 「海老踊り」 という訳になっている。


quadrille 「カドリーユ (カドリール)」は、基本的に 2組または4組のカップル(つまり 4人か 8人)で向かい合って四角をつくるように踊るダンス。
「方舞」とも訳される。また、その舞曲も 「カドリーユ」 と呼ぶ。
フランス起源で、quadrille の綴りも仏語と同じだが、方形に踊るのは英国の country dance(contra dance,contredance) 「カントリー・ダンス(コントラ・ダンス)」 の影響とされる。
square dance 「スクウェア・ダンス」 も カップル 4組で方形に踊るのが基本だが、これはカントリー・ダンス、カドリーユの影響を受けてアメリカで生まれたもの。
当然、男女のペアで踊るものだが、『不思議の国』 では、グリフォンやウミガメ・フーミ、アザラシ、(本物の)ウミガメ、サケらが、それぞれロブスターをパートナーに、対列をつくって踊ることになっている。

多田幸蔵は注釈書のコラムで、以下のように解説するが、そのままに受け取れない点も多い。

もともとはフランスの宮廷舞踊だろうが、バレエに登場する舞踊団を意味するようになり、のちバレエの古典的な型のひとつになった。 現在でも群舞を踊る下級のダンサーを 例えばオペラ座バレエ団では 「カドリーユ」 と称するが、一般にはバレエのようなショーダンスでなく、社交ダンスとして発展したものを指して用いられる。
Wikipedia(英語版)によれば、quadrille は馬術用語から派生し、本格的な英国への移入も19世紀初頭と捉えられているようだ。

ヨーロッパ全土に広まり、ワルツと並ぶ人気を得たのは 1815年のナポレオン戦争終了後。
オーストリアで大いに流行したのは 1840年の謝肉祭以降という (ヨハン・シュトラウス 1世に 「ウィーンの謝肉祭カドリーユ」 がある)。

P.L.トラヴァース『Mary Poppins』(1934.) 10章では、夜の動物園で動物たちが“カドリールのくさり輪おどり”〔林容吉訳〕を踊る。そこではペンギンとヒョウ、ライオンとブラジル・キジが仲良く手を取り合う。
Nursery_Quadrille


『子ども部屋のアリス』 12章で、キャロルはカドリールを踊る
グリフォンとウミガメ・フーミのイラストに、次のような説明をつ
けている。

That creature with a red head,and red claws,and green
scales,is the Gryphon. Now you know.
  And the other's the Mock Turtle. It's got a calf's-
head,because calf's- head is used to make Mock Turtle
Soup. Now you know.

「 あの赤い頭と赤い爪、緑のウロコをした動物が、グリフォン
だ。これで、わかったろ。
 そして、もう一匹がウミガメ・フーミで、仔牛の頭をもっている。
だって、ウミガメ風味のスープは 仔牛の頭からつくるものだか
らね。わかったかな。」


ウミガメ・フーミの頭と後足を、テニエルは、白い牛として彩色
したようだ。
純白でなくクリーム・イエローなのは、尾が前足の色と同じで
あることから考えて、カメの体色が作用したものか?
ロバート・サブダのポップアップ版で、“ウミガメモドキ”の顔を
肌色に塗っているのも、『子ども部屋』 の彩色を参考にしたた
めかも知れない。
首に巻いているのは マフラーか、あるいはタートル・ネックの
服とも見えるが、おそらくは首を接合したあとの包帯だろう。

それにしても、「スクウェア・ダンス」や「カドリーユ」が子どもに通じるくらいなら、当然 ロブスターも通じそうなものだが、『不思議の国』邦訳で Lobsterが 「ロブスター」 になったのは、意外に最近のこと。
八波直則(1963.)や飯島淳秀(1967.)の頃には日本の読者になじみやすい 「イセエビ(いせえび)」 としていたが、この翻訳伝統は とだえたと思っていたところ、矢川澄子(1990.)が引き継いだ。
この訳を用いたのは大正末年(1926.)の玉村羊子〈アリスの不思議国探険〉第拾回 「少女物語 伊勢鰕のダンス」(《少女の友》第十九巻十号)が最も早いようだ。
しかし、広義の 「ロブスター」 にはイセエビも含む ことがあるものの、ザリガニの仲間で 爪の丸いロブスターは、見た目がイセエビとは、そうとう異なる。
そこで 「うみざりがに=カドリール」 としたのはアンドレ・ブルトン編 『黒いユーモア選集 上』所収の村上光彦訳 (国文社〈セリ・シュルレアリスム〉1、1968.)。  そこには 10章のみサンプルとして採られているが、シュール派の首魁ブルトンがこの章を選んだことは興味ぶかい。
村上訳は、M=M・ファイエの仏訳を「参照」したと注記してあり、仏語からの重訳のように見える面もある。それならそれでフランス風に 「オマールえび」 といっても、十分通じただろうが。


蛇足だが、キャロルの仏訳では、アントナン・アルトーの 『鏡』 6章(ハンプティ・ダンプティ)が知られている。

しかし、与えた影響の大きさから言えば、まずドイツのマックス・エルンストを挙げるべきだろう。
1950年、エルンストは仏語版 『スナーク狩り』 にリトグラフ12枚を添え、1966年にはキャロルの 『記号論理学』 に挿画を入れて見せた。
1970年には 『ルイス・キャロルの魔法の角笛』 (リトグラフ36枚)を上梓している。 また 「アリスは魚たちへメッセージを送る」 という油彩作品(1964.)もあり、これはハンプティがアリスのために暗唱した詩がモチーフ。
エルンストは “好きな詩人” を訊かれ、キャロルとロートレアモンと答えたそうだが、キャロルを「詩人」として評価した先駆けではなかろうか。
キャロルのノンセンスは、今までの注にも見たように、それほど不条理なものではなく、シュルレアリストの描き出す世界とは隔たりがあるが、そのようにも “読める” ということは、可能性として肯定的に評価すべきだろう。

(最終更新 2018年11月24日)