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目次
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1章
2章
3章
4章
5章
6章
7章
8章
9章
10章
11章
12章



 第1章 とびこんだウサギの穴

 アリスは、ほとほと、うんざりして来た。お姉さんとならんで岸辺にすわっていても、何もすることはなし――。ちら、ちらっと、お姉さんの読んでる本をのぞきこんでみたけど、そこにはイラストも、話しことばもない。 「それって、どんな、とりえがあるの?」アリスは、思ったよ。「絵も、せりふもない本なんて」って。
 そこで、アリスは胸のうちで、考えごと(に、ふけろうとした。といっても、あつい日だから、とてもねむいし、ぼんやりとね)。ヒナギクで花かざりをつくるのも楽しそうだけど、わざわざ起きあがって、花をつみにいくだけの、かいなんてあるのかなと、どっちつかずでいると、だしぬけに、赤い目をした白ウサギが、すぐそばを、かけぬけた。
 それだけなら、そんなにめずらしくもないし――ウサギが、こう言うのが聞こえてもアリスはそんなにとっぴなことと思わなかったんだ。「まずいぞ、まずいぞ! おくれてしまう!」(あとになって、よくよく考えて、これはおどろいておくべきだったなと気づいたんだけど、そのときにはまるで、ふつうのことに感じてた。)――でもそのウサギが、なんと時計をチョッキのポケットから取りだして、しばし見つめて、あわててかけてったのには、アリスも、がばと、はね起きた。そりゃ、はッとさせられるよ、生まれてはじめて見るんだもの、ウサギがポケットのついたチョッキを着てて、あまつさえ、時計を取りだすなんて。それで、ふしぎでたまらずに、あとを追ったアリスが原っぱをつっきると、植えこみのかげの、大きな巣穴に、ひょいッとウサギのとびこむのが、ちょうど目に入った。
 つづいて思わず、アリスも、とびこんでた。いったい、どうやったら、また外へ出られるかなんて、まるっきり考えてない。
 ウサギの穴が、まっすぐトンネルみたいに横にのびてたのは、ちょっとのうちで、その先は、いきなり、がくんと落ちこんでた。もう、いきなりだから、ふみとどまろうなんて、思うひまがない。気づいたら、やたら深い、井戸のようなところを落ちてる。
 井戸がやたらに深かったんだか、やたらにゆっくり落ちたんだか。アリスは落ちながらあたりを見まわして、次に何が起こるかなと、気にするよゆうがあったんだ。手はじめに、下をむいて、行きつく先を見きわめようとしたけど、暗すぎて何もわからない。――そこで、まわりに目をこらすと、かべはぎっしりと、食器戸だなや本だなでうまってるじゃないか。――そっちにもこっちにも地図や絵のかかってるのが見える。アリスは通りがかりに、たなからつぼをひとつ、つまんで降ろしてみた。ラベルには「オレンジ・マーマレード」と書いてあったけど、なんだ、がっかり、からっぽだ。――でも、つぼを投げすてたりして、下にいるだれかが死んでもいけないから、落ちるとちゅう、別の戸だなへ、なんとかつぼを押しこんどいた。
「そうだ!」アリスは、ひそかに考える。「こんなに落ちたんだから、もう階段から、ころげるくらい、へっちゃらよね。なんて度胸があるんだって、うちの人みんなから、思われるの! そうよ、屋根のてっぺんから落っこちたって、ぐうの音も出さないんだから」(そりゃ、出せないんだよ。)
 落ちて、落ちて、まだ落ちる。落ちていくのも、きりがない。「これだけ落ちて、何マイルかな?」声に出して、言ってみた。「ぜったい地球のまん中へんくらいまで、来てる。ていうことは、ううんと――。4千マイル(約6千キロ)落ちたってことよ、たぶんね……(なんたって、ほら、アリスは教室の授業で、こういったことをいろいろ習ってたし。学があるのをひけらかすには、あんまりいいチャンスでもなかったけどね、聞いてくれる人もないんじゃあ。それでも、くり返し声に出して、いい復習になったさ。)……うん、距離はちょうど、そんなもんとして。……でも、じゃあ緯度や経度で言うと、どこまで来たんだろ?」(アリスは緯度だの経度だの、どんなものか、これっぽっちも知らなかったけど、口にするのが、かっこいい、りっぱな言葉に思えたんだ。)
 すぐまたアリスは、ひとりごとをつづけた。「ずうっと落ちて地球をつきぬけちゃうのかな! おかしいよね、むこうへ出てみたら、まわりを歩いてる人たちとは頭が逆なのよ!   こういうのを対極の人とか、いうのよね……(これはどうも言葉が正しくないようだから、こんどは聞いてる人がなくって、ほッとした。)……でも、その人たちに、なんていう国なのか、聞かないわけにもいかないじゃない。すみません、奥さま、ここはニュージーランドです? それともオーストラリア? (そんなことをしゃべりながら、うやうやしくおじぎしようとした……空中を落下しながら、かがんでおじぎするなんてことをね! 君なら、やってのけられるかな?)でも、そんなこと聞いたら、なんて、もの知らずな小娘だって思われちゃう! だめよ、だめ、聞いたりしちゃ。――どこかきっと、目立つとこに書いてあるわよ」
 落ちて、落ちて、まだ落ちる。アリスは別にすることもないんで、すぐまた、しゃべりだしたんだ。「ダイナは、今夜わたしがいなくて、すごくさびしがるよね。(ダイナってのはネコ。)お茶の時間に、お皿にミルクを忘れないでくれればいいんだけど。ああ、ダイナ、いい子だから、わたしといっしょに落ちててくれたらな! こんな空中じゃあネズミがいなくて、不満だろうけど、ならコウモリをつかまえたらいいのよ。 だってほら、にたようなもんでしょ。でも、ネコってコウモリ、食べるのかな? もりもりって」このころにはアリスも、ちょっとねむくなりだしてたんで、ひとりごとも夢見ごこちに、「ねこがこう、もりもり? こうもりを、ねこ、もうりもり?」なんて、くり返し、ときたま「こうもり、ねこをもりもり?」とかも言ってたけど、どっちがどっちを食べるかなんて、聞かれてもアリスには答えられないんだから、どっちみち大差ないってわけ。 アリスはじぶんでも、うつらうつらしてるなとは思ったけど、夢でダイナと、お手々つないで散歩をしながら、大まじめに「ねえ、ダイナ、ほんとのこと教えて――。コウモリを食べたこと、ある?」と聞きかけたとき、だしぬけに、ぼすッ、ばふッ! つっこんだのは、柴と枯れ葉の山。落っこちるのも、ここまでだ。
 アリスは、けがひとつしてなくて、すぐさま、ぴょいと立ちあがり、――見あげても、頭の上は、まっ暗やみ、――目の前には、長い廊下があった。あの白ウサギが、かけてくのが、ちらちら見える。ぐずぐずしてる、ばあいじゃない。――風のようにアリスは走り出した。すると耳に、とびこんで来たのは、ウサギのせりふ。かどっこを曲がりぎわ、「こんなにおくれてしまうとは、まったく耳もヒゲも、あったもんじゃない!」アリスは、ぴたりとあとについて、そのかどを曲がったはずなのに、ウサギの姿は、もう消えている。――気づけばそこは、ほそ長い、入口の間で、低い天井から下がったランプが、ずらりと一列、ともされてたんだ。
 その部屋には、あっちもこっちもドアがあったけど、みんなカギがかかってる。――アリスは片っぱしから、まずこっち側のドア、引き返しながらむこう側と、ぜんぶしらべたあげく、ほそい部屋の中ほどを、とぼとぼと歩いてった。いったい、どうしたら外へ、ぬけられるんだろ。
 はた、と出くわしたのは、3本あしの小型のテーブルで、まるまる透きとおるガラスでできている。――その上には、ちっちゃな金のカギが、ぽつんとあるきりだ。まっ先にアリスの考えたのは、ひょっとしてこのカギが、部屋のドアのどれかに合うんじゃないかということだった。――でも、あらら! カギ穴が大きすぎるのか、カギが小さすぎるのか、なんにせよ、どのドアも、ひらかない。でも、もういっぺん、ぐるりと部屋をまわったら、さっきは気づかなかったのに、たけの低いカーテンがかかってる。めくってみると、高さ15インチ(40センチたらず)の小さなとびらがあった。――ためしに小さな金のカギをさしこんだら、やった、うれしい! ぴったりだ。
 アリスがとびらをあけてみると、ネズミの穴とちがわないくらいの、小さなぬけ道につながってた。ひざをついてのぞいたら、その道のむこうは庭園になっていて、このすばらしさといったら、お見せできなくて、ざんねんなほど。どんなにアリスは、あこがれたろう、こんな暗い部屋を出て、あの、色あざやかな花々が植わり、すずしげな噴水のあがってる中を散歩できたらって。でも戸口には、頭さえ、とおせない。「――それに、頭だけが、ぬけでるつもりでいたって」不幸な思いに、とらわれる。「肩がついてなきゃ、頭も使いものになんないでしょ。ああもう。どうにかして体を、たためないかな、望遠鏡の筒みたいに! できる気はするのよね。きっかけさえつかめたら」
 だって、そうさ。このところ、とっぴなことばかりつづくから、アリスは、ほんとにできないことなんて、ありっこないと思うようになってたんだ。
 とびらのそばで、じっとしてても、しょうがなさそうだから、アリスはテーブルのところへもどって来た。もしや、ひょっとして、別のカギでも見つからないかなと思って。でなきゃせめて、人体を望遠鏡式にちぢめる方法、とかいう本でもあれば。――でもこんど、見つかったのは小さなビン(「こんなの、さっきはぜったい、ここになかったのに」とアリス)。ビンの首には、紙のラベルがむすんであって、それには「のみたまえ」と、きれいに、大きな字で印刷されていた。
 飲みたまえ、とは、ずいぶんうまい話だけど、かしこいアリスは、そんなのにすぐ、がっついたりはしなかった。「だめよ。まず、よく見てみなくっちゃ。たしかめるのよ、『毒入り』って書いてないかどうか」
 なにしろアリスは、名作童話をいくつも読んでいて、その中で子どもたちが、やけどしたり、けものに食べられたり、気もちわるい、いろんな目にあうのは、いつだって人さまから言いつかった、かんたんな決まりごとを、思いだそうとさえしなかったせいなんだ。――たとえば、まっかに焼けた火かき棒でやけどするのは、あんまり長くにぎってるせいだ、とか。――指をナイフであんまりふかく切ると、ふつう血が出るもんだ、とか。――だからアリスは、きもに銘じてた。「毒入り」と表示のあるビンから、あんまり飲んでると、おそかれ早かれ、ほぼまちがいなく、体をこわすんだって。
 しかし、このビンには「毒入り」と書いていないから、アリスは思いきって口にしてみたんだけど、そしたらなんと、すてきな(実に、サクランボのタルトとカスタード・プリン、パイナップルに、七面鳥のローストや、タフィー・キャンディ、それに焼きたてのパンにバターをまぜたみたいな)風味だったから、さっさと飲みほしちゃった。
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「なんか、変な気分!」とアリス。「ぜったい、望遠鏡みたいに、ちぢんでくのよ」
 ほんとうに、そうだった。――いまや、たった10インチ(30センチほど)の身長しかなくなったアリスは、顔をかがやかせたんだ。ついにあの、きれいな庭にぬける、小さなとびらをとおるのに、ちょうどいい大きさになったと思って。けど、まず最初は、これ以上ちぢんでかないか、たしかめようと2、3分、ようすをみた。――こればかりは、ちょっと不安だったのさ。「だってほら、ひょっとして」アリスは、ひとりごちた。「最後には体がぜんぶ、なくなっちゃうかも知れないじゃない、ロウソクみたいにね。そしたら、わたし、どうなっちゃうの?」そこでアリスはロウソクが消えたあとの、炎はどんなものか、思いえがいてみた。思いだそうったって、そんなの見たことないもの。
 しばらくたって、もう何も起こらないとわかって、アリスはさっそく、庭へ入ってくことにしたんだけど――、ああ、悲劇でアリます! とびらまで行き着いてから、アリスは小さな金のカギを忘れてたことに気づいて、カギをとろうとテーブルまで引き返したら、手がとどかないことに気づいたんだ。ガラスごしにカギは、ありありと見えてるから、テーブルのあしに、けんめいによじのぼろうとしたけど、つるつるすべるだけ――さんざんやって、くたびれて、おや、かわいそうに、へたりこんで泣きだしちゃった。
「さあ、そんな、めそめそしてたら、どうにもなんないでしょ!」アリスは、ちょっときびしめに、じぶんに言い聞かせたんだ。「いますぐ、泣くのを、やめるのよ!」
 アリスはしょっちゅう、じぶんにむかって、すごくいいアドバイスをしてあげる(めったに聞き入れないけどね)。ときには、あんまりこっぴどく、じぶんをしかりすぎて、目に涙さえ、にじんで来るほどさ。――いまでも思いだすのは、じぶん相手のクロッケーの試合中、じぶんにいんちきをしたからって、じぶんに平手うちをくわそうとしたことだ。この子はほんとに変わってて、一人で二役を演じるのが大好きなんだ。
「でも、いまは二役なんて」あわれ、アリスは考えた。「やってらんないわよ! だってもう、わたし、まともな一人前の大きさだって、ないんだもん!」
 そのうち、テーブルの下に、小さなガラスの箱のあるのが目にとまった。――あけてみると、クッキーが入ってて、それにはきれいに、ほしブドウで「たべてくレ」と書いてあったんだ。「いいわ、食べたげる」とアリス。「いまより、大きくなったら、カギに手がとどくし――小さくなったら、とびらをくぐれるもの。――どうころんだって、お庭に出られるんなら、別にどっちでも、かまわないでしょ!」
 ちょっとだけかじってみて、はらはらしながら、ひとりごと。
「どっちかな? どっちかな?」頭のてっぺんにのせた手で、どっちになるか、わかるはず。――それが、おどろいたことに、あいも変わらず、もとのままのサイズ。たしかにふつうはクッキーを食べたって、このとおり、何も起きやしない。――けどアリスには、とっぴなことばかり起きるのが、当たり前になってしまってたから、ありきたりの人生なんて、まるでさえない、つまらないものに思えたのさ。
 で、アリスはお菓子のしまつにとりかかり、さっさと、たいらげちゃったんだ。
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 第2章 涙で びっしょり

「変すぎ、すぎるわよ!」と、アリスの悲鳴(あんまりおどろいたんで、正しい言葉づかいを、ど忘れしてしまったんだ)。
「こんどは望遠鏡をのばしてるみたい。いままでにないくらい、大きな望遠鏡よ! お別れね、あんよたち!」(というのも、足もとを見下ろせば、足は、はるかに遠ざかっていて、ほとんど見えなくなりかけてた。)
「なんてかわいそうな、あんよたち。この先、だれがあなたたちに、くつやくつ下をはかせてくれるんだろね? わたしには、できっこないわ! あんな遠くて、はなればなれじゃ、あなたたちのめんどうまで、みきれないもの。――じぶんたちだけで、なんとかうまいこと、やってきなさいよね。……けど、あの子たちには、しんせつにしとかないと」アリスは、考えた。「わたしが行きたいほうへ、歩いてくれなくなるかも! ううんと、そうだ。毎年クリスマスに、あたらしいブーツを、あげることにしよっと」
 で、どうしたら、やってのけられるか、計画をねるのだった。「配達してもらわなきゃ」と考えたけど、「――でもそれ、ふざけてると思われるよね、じぶんの足にプレゼント、おくるなんて! 見たら、あて先だって、妙だもの!

暖炉前 敷物上   
灰よけ格子の スグ となり  
アリスの右足どの   
(アリスより、愛をこめて。)
  


んもう、なんてばかなこと、しゃべってるの!」
 そのときちょうどアリスの頭が、部屋の天井に、ぶつかった。じつに背たけはもう、9フィートをちょっと越えるほど(3メートルぐらい)ある。で、さっそく小さな金のカギをひろいあげ、庭へのとびらに、いちもくさん。
 でも、おあいにく! ゆかに片ほほ、すりつけて、庭を片目でのぞきこむのが、せいいっぱいだったよ。――庭にぬけだせるなんて見こみは、ますます、なくなった。――アリスはへたりこんで、また泣きだしたんだ。
「アリスったら、はずかしいと思わないの」とアリス。「あなたみたいに、大きな子が」(そりゃ、もっともだ。)「そんなふうに、べそかいてばかりいて! いますぐ、泣きやむの、わかったわね!」けど、それでも涙を浴びるほど流しつづけたから、とうとうまわりに、深さ4インチほど(10センチあまり)の、大きな水たまりができて、部屋は半分、水びたし。
 しばらくたって、遠くで、かすかな、ぱたぱたという足音がしたから、何が来るのかと、いそいで涙をぬぐうと。あの白ウサギが、もどって来てたんだ。りっぱな身なりで、こっちの手にはヤギ革の白い手ぶくろをにぎり、そっちの手には大きな扇子をもって、――大あわてのかけ足で、こちらへ、ぶつぶつつぶやきながら、やって来る。「あああ、公爵夫人が! 公爵夫人を! お待たせしては、かんかんに、お怒りになるまいものぞ?」アリスは、とにかく必死の思いで、だれでもいいから、すがりたかった。――だから、ウサギがそばまで来ると、話しかけたんだ。おそるおそる、小声で「すみません、ちょっと……」
 ウサギは、びっくり仰天して、白手ぶくろと扇子を落っことし、あわてふためいて、暗がりへ逃げてった。
 アリスは扇子と手ぶくろをひろいあげると、部屋があんまりあついんで、扇子であおぎながら、ずっとしゃべりつづける。「うん、もう! 今日は、ヘンなことばっかり! きのうはいつもと何も変わらなかったのに。夜のうちに、わたしが変わっちゃったのかな? ええと、まってよ――。けさ起きたときは、おんなじわたしだったよね? ちょっとだけちがってたような気も、しなくもないけど。でも、おんなじじゃなかったとすると、次のなぞは『わたしはいったい何者?』ってことね。ああん、これってすごくややこしい問題よ!」で、アリスは、よく考えてみた。じぶんと同い年の、知ってる子を片っぱしからチェックして、その中のだれかとじぶんが、入れかわってやしないかと。
「エイダじゃないのは、たしかよね」とアリス、「エイダの髪は、とっても長い巻き毛だけど、わたしのはぜんぜん、巻いてなんかないもん。――それに、メイベルのはずも、ないよね。だって、わたしはどんなことでも知ってるけど、あの子ときたら、ほんと、ろくすっぽ、わかっちゃないんだから! だいいち、あの子はあの子、わたしはわたしだし、それに……ああもう、なにもかも、ややこしいったら! いままで知ってたこと、ぜんぶわかってるか、ためしてみなくっちゃ。ううんと――。し・ご・12、し・ろく・13、し・ひち……あん、もう! このぶんじゃ、ぜったい20までいけそうにない! でもいいわ、九九なんて、だいじじゃないもの。――社会科をやってみましょ。ロンドンはパリの首都で、パリはローマの首都で、ローマは……だめだ、こんなのぜんぶ、まちがってる、それはたしかよ! わたし、ほんとにメイベルになっちゃったんだ!  ためしに『かわいいなんとかが、なんとする』を、うたってみよう」そこでアリスは、先生の前で暗唱するときみたいに、ひざの上に手を組んで、そらんじはじめたんだけど、声はしゃがれて、なんだかおかしいし、うたの文句も、いつもとは、ちがって来るみたい――……。

  かわいいワニさん、なんとする
  きらきら  しっぽで  なんとする、
  ナイルの  水をば  ふりかけます、と
  くまなく  ひかる、金の  うろこ!

  にやりと、なんとも  うれしそう、
  おおきな  つめして  なんとする、
  お魚  だいすき、いらっしゃい、と
  ほほえみ  かける、おおきな  口!

「こんなうたじゃあ、なかったはずよ」かわいそうに、またも目に涙をいっぱいためて、しゃべりつづける。「やっぱり、メイベルになっちゃってる。てことは、あの、ちっぽけな、せまい家へ行って暮らさなきゃならなくて、あそぼうにも、おもちゃだってないようなもんだし、それに、ああん、勉強することが山ほど! いやよ、わたし、かくごを決めた――。もしメイベルになったんなら、このままずうっと、ここにいる! 上から顔を出して『いい子だから、あがってらっしゃい!』なんて言ったって、むだよ。見あげて言い返してやるだけ、『それより、だれなのよ、わたしは? 先にそれを教えてよ。それでもし、その子になりたかったら、あがってく。――いやだったら、ほかのだれかになるまで、ここでじっとしてる』……でも、ああん、もう!」こらえきれず、涙がこぼれる。 「だれか、顔を出してくれたらいいのに! ひとりぼっちで、ここにいるのはもう、うんざり!」
 なんて言いながら、手もとに目をやると、おどろいたことに、ウサギの小さな手ぶくろを片ほう、しゃべってるまに、はめてたんだ。「どうして、こんなの、はめられたんだろ?」と、考えて。「また小さくなってるんだ、ぜったい」
 立ちあがって、テーブルのところまで行き、背くらべしてみて、わかったのは、目下のところ身長が、どうやらせいぜい2フィート(60センチ)くらいしかなくて、しかもどんどん、ちぢんでいってるってことだ。――これは手にした扇子のせいだと、すぐに気づいたから、あわてて投げだして、すんでのところで、消えてなくならずにすんだのさ。
「命からがらって、このことだったのね!」とアリス。とつぜんの変わりようには、血の気も引いたけど、命がカラにならなくって、ほんとによかったわ、と思う。
「こんどこそ、お庭へ!」小さなとびらまで、まっしぐらに、かけもどったけど、――ああ、なんてこと! 小さなとびらはまた、しまってて、金のカギなら、もとどおり、ガラスのテーブルにのっている。「これじゃ、前より悪いわよ」と、不幸な少女は思った。「だって、いままでにないのよ、こんな小さかったことなんて、まるっきり! あんまりひどすぎるじゃない、こんなのって!」
 とかなんとか言ってるうちに、足がすべって、あッと思うと、ざぶん! しょっぱい水に、首まで、つかってた。とっさにうかんだ考えは、どういうわけだか海の中に落ちちゃったんだということで、「そうだとしたら、汽車で帰れるよね」と、ひとりごと。(アリスは前にいっぺん、リゾート地にいた経験があって、それでなんとなく決めこんでたんだ、 イギリスなら、どこの海岸へ行ったって、着替え用の馬車がいくつも海につっこみ、子どもたちは木のスコップで砂をほってるし、貸しロッジがずらりとならんでて、その裏手には鉄道の駅があるもんだって。)だけど、すぐにわかったのは、これはアリスが9フィートあったときにこぼした、涙の池だってことさ。
「あんなに泣かなきゃよかったのに!」と、池からあがるみちがないか、アリスは泳ぎまわって、さがしながら言う。「きっと泣きすぎた、ばちがあたって、じぶんの涙におぼれるんだ! そんなヘンなことってありなの、まったく! といっても、今日は何もかも、ヘンだけど」
 そのとき、ちょっとはなれたところで、池の水を、ばちゃばちゃやってる音がしたから、なんなのかたしかめようと、そっちへ泳いでった。――はじめは、セイウチかカバにちがいないと思ったけど、いま、じぶんがどんなに小さいか思いだして、すぐにそれが、ただのハツカネズミとわかった。アリスと同じく、すべって池に落ちたんだ。
「よし、このネズミと話してみたら」アリスは考えた。「なんとかならないかな? ここじゃ、なんだって、ふつうじゃないんだから、たぶんネズミだって、しゃべれるはずよ。――とにかく、やってみて損はなし」そこで、話しかけてみた――。
「おお、ネズミよ、この池から出る方法を、ご存じ? 泳ぎまわるの、もういやになっちゃったの。おう、おう!」(アリスはこれが、ネズミと話す正しいやり方だと、こころえてたんだ。――こんなこと、やったことなんてないけれど、お兄さんのラテン語の文法書で、いつか見たことがある。「ネズミは、ネズミの、ネズミに、ネズミを、おおネズミよ!」ってね。)ネズミは、少々もの問いたげにアリスを見つめ、片目をぱちくり、ウインクしたみたいだけど、何も言わない。
「たぶん、英語がわからないんだ」とアリスは思った。
「――おおかた、征服王ウィリアムといっしょに渡って来た、フランスのネズミってとこね」(なにしろ、アリスの歴史の知識だと、どのくらいむかしに事件が起きたかまでは、ちょっとあやふやなんだ。)そこで、あらためて、こう切りだした――。
「ウ(どこに)(いる)(わたしの)シャッ(ねこ)?」 フランス語の練習帳の、最初にのってる一文だ。
 ネズミは、いきなり水からはねあがり、おそろしさに体じゅう、ぶるぶるふるわせてる。
「あ、ごめんなさい!」小さな動物の心をきずつけてしまったのではと、いそいでアリスはあやまった。「あなたがネコを好きじゃないの、すっかり忘れてた」
「ネコを好きでないって!」ネズミは、カッとなってキーキー声をはりあげた。「あんたがわたしだったら、どうです、あんたネコを好きになった?」
「そうね、なってないかもね」アリスは、なだめるような口ぶりで、「――気を悪くしないで。けど、うちのダイナを見せてあげたいな。もう、見ただけで、あなたもネコ好きになるわ。とってもかわいくて、おとなしいんだから」アリスは、のん気に泳ぎながら、なかばひとりごとのように、つづけた。 「暖炉のそばにおすわりして、気もちよさそうに、のどを鳴らすの。前足をなめて、顔をあらったり……抱きあげると、とってもやわらかくて、いい感じよ。……それに、ネズミとりにかけては天下一品……あ、ごめんなさい!」ネズミが体じゅうの毛を逆立ててるから、いそいであやまったけど、こんどこそ、ほんとにきげんを損ねたにちがいない。「いやなら、この話は、もうよしましょ、わたしたち」
「わたしたち、と来るとはね!」ネズミはしっぽの先までふるわせて、わめく。「まるで、わたしまで、そんな話をしたがってたみたいじゃないか! わが一族は、むかしからネコが大きらいなんだよ。――ずるくて、いやしい、くだらない連中さ! けして、その名を口にしないでくれ!」
「もう言わない、ほんとよ!」アリスは大あわてで話題を変えようとした。「じゃあ、あなた、あれは好きでしょ、ほら、あの、犬は?」ネズミが答えないので、アリスは、せっせと話しつづけた――。「うちの近所に、とってもかわいい小犬がいるの、見せてあげたいな! 小さな目をうるませて、テリアって、ほら、すっごく長い茶色の毛が、カールしてるでしょ! ものを投げてやったら、くわえて来るし、ちんちんして、ごはんをおねだりしたり、いろんなことを……ちょっと思いだせないくらい、なんでもするの。……農家で飼われてるんだけどね、とても役に立つから、100ポンドの値うちはあるって! ドブネズミなんか、みなごろしだって言うし、……あ、まずい!」アリスは、なげきの声をあげた。「また、怒らせちゃったみたい!」 というのも、ネズミはアリスから必死に遠ざかろうとして、大きな水しぶきを立てていたんだ。
 そこで、うしろから、ものやわらかに呼びかけた。「ネズミさん! もどって来て。ネコも犬もきらいなら、その話は、もうしないわ!」ネズミはこれを聞くと、まわれ右して、ゆっくり泳いでもどってくれた。――その顔は、まっ青で(怒ってるんだ、とアリスは思った。)ふるえる声で、ぼそぼそと、「とにかく岸へあがるんだ。そこで、過去のできごとを話したげる。そしたら、ネコや犬のきらいなわけが、あんたにもわかるだろうさ」
 先へ進むべき時が来たようだ。なにしろ池は、はまりこんだ鳥や動物たちで、かなり、ごったがえしてた――。アヒルやドードー鳥、オウムにワシの子もいて、ほかにもめずらしい生きものが数匹。アリスのあとにつづき、一同そろって岸へとむかうのだった。

 
 第3章 政治家レースと長い話

 岸辺に勢ぞろいした一行は、いかにもあやしい風体で、……鳥たちは、びしょぬれの羽を引きずり、動物たちの毛は、べったり体に、はりついて、みんな、ぽたぽたしずくをたらして、不きげんで、落ちつかないようす。
 いちばんの問題は、もちろん、どうやって体を乾かすかだ。――そのことを相談して、数分もたつころには、アリスは、ごくあたりまえに、みんなとうちとけてしゃべっていた。まるで、小さなころから知ってたみたいに。じっさいアリスと、えんえんと言いあいになったオウムなんて、とうとう、すねてしまい、「年上のあたしのほうが、ものをよく知ってるんですからね」と、くり返すばかり。オウムが何才かわからないから、そんなの、なっとくできないけど、年令を教えるのは、きっぱりことわるんじゃ、これはもう、お話にならない。
 ついに、ネズミが、声をあげた。ここでは、なんだか、えらそうに見える。「諸君、すわって聞いてくれ! 君らを、たちどころに乾かしてしんぜよう!」すぐさま全員、ネズミをとりかこんで、大きな輪になって、しゃがんだ。アリスの目も、ネズミにくぎづけ、かたずをのんで見まもる。早いとこ、乾かさなきゃ、きっと、ひどいカゼをひいちゃうから。
「こほん!」とネズミは、もったいぶってみせる。「よろしいですかな? ただいまから、わたしの知るうちでも、とびきり無味乾燥な話をします。どなたさまも、ご静粛に!『征服王ウィリアムは、その主張を教皇に支持されており、ほどなくイングランド人を屈服させた。人々は統率者を求めたし、年来、地位強奪や領土征服は慣行と化していた。エドウィン・モルケア兄弟、すなわちマーシアとノーサンブリアの両伯が……』」
「うわッ!」と言って、オウムは身ぶるいした。
「なんでしょう?」ネズミは顔つきをとがらせたけど、言葉だけはていねいだ。「おっしゃったのは、あなたかな?」
「あたし、ちがいます!」オウムは、あわてて言う。
「何やら、おっしゃってたようだが」とネズミ。「つづけますよ。『エドウィン・モルケア兄弟、すなわちマーシアとノーサンブリアの両伯が、王に推挙を表明、――愛国的なカンタベリー大司教スティガンドさえも、それを見てとって……』」
何を見てとったんだい?」アヒルが口をはさむ。
それを見てとったんです」ネズミは少し、むッとして答えた。「――もちろん『それ』がなんなのかくらい、わかってるでしょうが」
おれが見つけて、とるものなら、『それ』は、わかりきってるけどね」とアヒル。「たいていカエルかミミズだよ。問題は大司教が何を見つけたか、だな」
 ネズミは、この質問をほっといて、先をいそいだ。「『……それを見てとって、王族のエセリックエドガーを伴いウィリアムのもとへ赴いて、戴冠の運びとなった。ウィリアムの動向は当初、穏便だった。だが配下の横暴なノルマン人は……』ねえ、どんなぐあいだい?」アリスのほうをむいて聞いてくる。
「びしょびしょのまんまよ」とアリスは、ゆううつそうに、「――ちっとも乾かないみたい」
「かくなるうえは」とドードーが立ち、しかつめらしく言った。「本会の休止を提議し、可及的速やかに採択にふすべきは、よりエネルギッシュな改善策……」
「わかる言葉をしゃべってよ!」子ワシが言う。「そんな長い文句、半分もわかんないし、ほんとはおじさんだって、わかってないんでしょ」と、子ワシは下をむいて、笑みをかくした。――くすくす、聞こえる声で笑う鳥もいる。
「わがはいの言わんとしていたのは」ドードーは、ぷりぷりとして、「われわれから、うるおいをなくすには、政治家レースをするに越したことはない、ということだ」
「政治家レースって、なんなの?」とアリス。――別に、そんなに知りたくもなかったけど、ドードーは、だれかが聞いて来るはずだと思って、待ってるのに、ほかのだれも、何も言う気にならないようだからね。
「ええとだな」とドードー。「やってみるに越したことはない」(さて、君も、冬の日なんかに、ためしてみたいと思うかも知れないから、ドードーがどんなふうにやってのけたか話しておこう。)
 まずはレースのコース決めで、円形みたいのを引く(「ゆがんでたって、かまわない」とドードー)。それから一同、コースにそって、こっちやそっちで位置につく。「用意、スタート!」なんて合図はなく、好きなときに走りだし、好きなときに休む。だから、いつレースが終わりなのか、かんたんにはわからない。それでも、30分ほど走って、みんながすっかり乾いたころ、ドードーがいきなり、声をあげた。「レース終了!」全員がドードーをとりまいて、息をはずませながら、たずねる。「で、だれが勝ったの?」
 この質問には、ずいぶん考えなくては、答えられなかった。ドードーは、つったったまま、長いこと、おでこに1本、指をあてていた(シェイクスピアの肖像で、よく見かけるポーズだよ)。ほかのみんなは、だまって、ずっと待っている。ようやくドードーが口をひらいた。「みんなが優勝だ、みんな賞品をもらうんだ」
「けど、だれが賞品をくれるの?」そろって、いっせいに、たずねる。
「そりゃ、もちろん、この子さ」と、ドードーはアリスを指さした。――たちまち一同が、うるさくアリスにまとわりつき、「賞品! 賞品!」と、わめきたてる。
 アリスはどうしようもなく、あきらめてポケットに手をつっこむと、砂糖をまぶしたドライフルーツの箱を引っぱりだし(さいわい、塩水は、中までしみてない)、賞品として配った。ちょうど、みんなにひとつづつ、ゆきわたるだけある。
「でも、この子も賞品をもらわなきゃ、だめだろ」とネズミ。
「もちろんだとも」ドードーは、まじめくさって答え、アリスのほうに、むきなおって、「ポケットには、ほかに何か入ってないかい?」
「指ぬきが、ひとつきり」悲しげにアリスは言った。
「それをこっちへ、よこしなさい」とドードー。
 またもや、みんながアリスをとりまき、ドードーは、おごそかに、こう言いながら指ぬきをささげた。「どうかこの、エレガントな指ぬきをお納めください」――この短いあいさつが終わると、全員が拍手した。
 アリスには、なにもかもずいぶん、こっけいに思えたけど、みんな、まじめな顔をしてるから、笑うわけにもいかない。――といって、お礼も何も、けんとうがつかないから、おじぎだけして、なるべく、かしこまった顔で、指ぬきを受けとった。
 こんどは、ドライフルーツを食べるばんだ。――これがまた、ちょっとしたさわぎになり、大きな鳥は、食べた気がしない、と不平を言うし、小さな鳥は、のどにつまらせて、背中をたたいてもらわなきゃならなかった。それもやっと一段落すると、みんなは、また輪になってすわり、ネズミに何かもっと話してよと、せがんだ。
「あなたの過去のこと、話してくれるって言ってなかった?」とアリス。「どうして、きらいなのか……ほら、ネ×とイ×のことよ」ささやき声で、つけくわえる。また怒らせやしないかと、それなりに気を使って。
「話せば長い、しっぽり悲しい、身のうえさ」と、ネズミはアリスのほうをむいて、ため息をつく。
「たしかに、長いしっぽではあるけど」アリスは、しっぽをいぶかしげに、ながめながら言った。「 それって、そんなに悲しいこと?」そしてネズミがしゃべっているあいだ、ずっと頭をひねってたから、ネズミの話もこんなふうに聞こえた――……。

     狂犬フューリー、
     その家で、ネズミ
        に出くわし
        言ったんだ。
        「いっしょに
           出るとこ出よ
          うかい。おれ
             がきさまを
           うったえる。
            さあこい、
           いやとは言
           わせない。
          どうでも
         裁きをう
          けさせる。
         なにしろ
       けさはひま
      だから、たい
     くつしのぎ
     というわけ
          さ」そこで
          ネズミは
          ドラ犬に、
         「だんなさん、
           そりゃむだ
         ってもの。
          判事も
           いない
          弁護士
          もなし、
         そんな
       裁判やっ
      たって」
     「判事は
     おれさ、
    弁護士も」
    そこは
        フューリー
         ぬけめ
          がない。
           「なんでも
             ぜんぶ
            ひきう
            けて、
           つみを
         かぶせて
        きさ
      まは
    死刑」

「ちゃんと聞いてないね!」ネズミはアリスを、しかるように言った。「何を考えてんだ?」
「ごめんなさい」と、アリスは身をすくめて、「――たしか、5ばん目にねじれてるところまで、来たのよね?」
「ねじれてるもんか! 何かこんがらがってるぞ」ネズミは、かんかんに怒って、わめく。
「こんがらがってるの!」いつだって何かの役に立ちたいと思ってるアリスは、心配そうに、まわりを見ながら、「わたしが、ほどくの手伝ってあげる!」
「そんなの、してもらわないで、けっこう」ネズミは立ちあがって、ぷいと歩きだした。「ばかばかしいこと言って、コケにしよって!」
「そんなつもりじゃなかったの!」アリスは言いわけした。「でも、あなたって、すぐ怒るんだもん!」
 ネズミは返事のかわりに、ひと声うなっただけ。
「おねがい、もどって来て。おしまいまで、お話をして!」うしろから、呼びかける。――ほかのみんなも、声をそろえ、「そうだよ、もどりなよ!」
 けどネズミは、いらだたしげに首をふったきり、さっさと足早に行ってしまったんだ。
「行っちゃったのは、ざんねんね!」ネズミの姿が見えなくなってしまうや、オウムが、ため息をついた。すると、このときとばかりに、親ガニが、子ガニをさとす。「そら、娘や、すぐカッとなるのはよくないね。ならぬかんにん、するのがかにだよ!」
「母さんは、よけいなことばっかり!」子ガニは、軽くつっぱねた。「いそのカキだって、あいた口がふさがらないわよ!」

「ダイナがここにいてくれたらな、ほんとに!」アリスは別に、だれに話しかけるでもなく、大きな声を出した。「あの子ならすぐ、つれもどしてくれるのに!」
「そのダイナって、だれなの? なんだか、聞いたら、まずいことのような気もするけど」と、オウム。
 アリスは、夢中になって、答えた。いつだって、ペットの話がしたくってしょうがないんだから――。「ダイナって、うちのネコなの。ネズミをつかまえる名人よ、すごいんだから! ああ、見せてあげられたらな、鳥を追っかけるとこ! だって、小鳥なんか、見つけたなって思うと、もう、ぱくり!」
 この話には、一同、大さわぎになった。そそくさ逃げだした鳥もいる。――年とったカササギは、念入りに羽にかくれるようにして、「いくらなんでも、帰らんとな。――夜風が、のどに悪いわい!」と、置きぜりふ。カナリアは、気が気でない声で、子どもたちを呼びつける。「さあ、帰りましょ! いい子はもう、寝る時間よ!」みんな、あれこれ口実をつくって、いなくなり、アリスはまもなく、とりのこされた。
「ダイナのことなんて、もちだすんじゃなかった!」アリスは、しょんぼり、つぶやいた。「穴の底の国じゃ、だれもダイナを、好きじゃないみたい。ほんとに世界一のネコなのに! かわいいダイナ! またいつか、おまえに会えるのかな?」そして、かわいそうに、また泣きだした。すっかりさびしさに、うちひしがれて。けれど、少しすると、また遠くで、ぱたぱたと、かすかな足音が聞こえるから、はッと顔をあげて目をこらした。もしやネズミが思いなおし、身のうえ話をおしまいまでしようと、もどって来てくれたんじゃないかって。

 
 第4章 ウサギが  けしかけた、小さなビル

 それはあの白ウサギで、落としものでもしたんだか、あたりをきょろきょろ見まわしながら、ゆっくり引き返して来る。――ぶつぶつ、ひとりごとを言うのが聞こえた。「公爵夫人! 公爵夫人に! ああ、神も仏も、手も足も、毛皮もヒゲもあるものか! 夫人に処刑されるのは、まちがいなしだ。イタチがイタチで、なくなることでもないかぎり! いったいどこで、落としたりできたんだろう!」
 とっさに、あの扇子とヤギ革の白手ぶくろのことだろうと思ったアリスは、お人よしにも、さがしはじめたけど、どこにも見あたらない。――何もかも、池で泳いでたあいだに、ようすがちがってしまったらしく、あの広い部屋も、ガラスのテーブルや小さなとびらといっしょに、あとかたもなく消えてたんだ。
 ウサギはさっそく、アリスがあたりをさがしまわってるのに気づいて、こわい声でどなりつけた。「なんだ、メアリー・アン。こんなとこで何してる? さっさと家に帰って、手ぶくろと扇子をとって来い! ほら、いそいで!」
 アリスは、おそれをなして、まちがいですなんて言おうともせず、ウサギの指さすほうへ、すぐ、かけだした。
「メイドさんと、まちがえられちゃった」アリスは走りながら、ひとりごと。「わたしがだれだか見やぶったら、びっくりすることになるわ! でも扇子と手ぶくろは、もってったげたほうがいいな。……そりゃまあ、見つかればのことだけど」なんて言ってるうちに、しゃれた小さな家の前に出てたんだ。ドアには、ぴかぴかの真ちゅうの表札がかかり 「ウサギ・シロ−」と名前がほってある。ノックもせずに、中に入って、階段をかけのぼったけど、びくびくものだよ、ほんもののメアリー・アンに出くわしたら、扇子と手ぶくろを見つける前に、外へつまみ出されるんじゃないかって。
「やな感じだな」と、アリスはつぶやいた。「ウサギのお使い、するなんて! そのうちに、ダイナのご用を、おおせつかるかもね!」
 そうしたら、どんなことになるやら、思いえがいてみた。「『アリスさま! すぐここへいらして、散歩のしたくをなさいな!』『すぐ行くわ、ばあや! でも、ダイナがもどって来るまで、ネズミの穴を見はってなきゃならないの、ネズミが逃げないようにね』 てなこと言っても」アリスは、つづける。「そんなふうに人を使いだしたら、うちじゃダイナを、おいとかないよね!」
 このころまでには、きれいに片づいた小部屋に、入りこんでた。窓ぎわにテーブルがひとつ。その上には (思ってたのが的中。)扇子がひとつと、小ぶりな白手ぶくろが2、3組、のっている。――その扇子と、手ぶくろをひとそろい、つかんで部屋を出ようとしたそのとき、ふと、鏡台のわきに、ちょこんと立ってるビンに目がとまった。今回は「のみたまえ」と書いたラベルはないけど、かまわずコルクのせんをぬいて、口をつける。「きっと何かおもしろいことが起きるのよ」と、ひとりごと。「何か食べたり、飲んだりすると、決まってそうだもん。――これを飲むと、どうなるか、いまにわかるわ。また大きくなれるんだったら、いいんだけど。だって、こんなちびでいるのも、いいかげん、うんざり!」
 ほんとうに、そうなった。それも、思ってたより、ずっと速く。――ビンの半分も飲まないうちに、頭は天井につっかえて、首の骨が折れないように、かがんでなきゃならなくなったんだ。あわてて、ビンを置いて言う。「もう、じゅうぶんよ。……これより、大きくならないで。……いまだって、ドアから出られないってのに。……あんなにいっぱい、飲むんじゃなかった!」
 おやおや。くやんでみても、もうおそい! アリスはぐんぐん大きく、大きくなって、たちまち、ひざをつくようになり、――あッというまに、それでも、きゅうくつになった。ためしに片ひじをドアに押しつけ、もう片ほうの腕を頭にまいて、どんなものかと寝そべってみる。でも、まだまだ大きくなるから、最後の手段に、片腕を窓からつき出し、片足を煙突につっこんでぼやいた。「これ以上、何が起きたって、どうしようもないわよね。わたし、これから、どうなるの?」
 ありがたいことに、小さな魔法のビンの力も そこまでで、ぴたりと大きくならなくなった。――とはいえ、居ごこちは最悪だし、部屋からは2度とぬけだせそうにもないとなると、めいってしまっても、むりはない。
「うちにいたころのが、ずっとよかったわ」と、不幸なアリス。「しょっちゅう、のびたりちぢんだりしなかったし、ネズミやウサギに、指図されなくてすんだもの。ウサギの穴になんか、とびこまなきゃよかったかな。……だけど……だけど、いっぷう変わってて、いいよね、こういう生活も! いったい、わたし、どうなっちゃったっていうの! おとぎ話を読んでたころは、こんなこと、ありっこないって思ってたけど、いまじゃ、その世界の、まっただ中! わたしのことを、書いた本があったっていいな。あって、とうぜんよ! 大きくなったら、じぶんで書こう。……でも、とっくに大きくなってるのよね」さらに、しょげた声で言った。「――少なくとも、ここじゃもう、大きくなりようもないし」
「でも、それだと」アリスは思った。「わたし、いまからぜんぜん年をとらないのかな? それはそれで悪くないよね……ぜったい、おばあさんにならずにすむし。……でも、それだと……いつまでたっても、勉強してなきゃなんない! やだ、そんなのまっぴら!」
「もう、アリスったら、ばかね!」アリスは、じぶんで受け答え。「どうやったら、こんなとこで勉強できるのよ? ほら、あなたの体があるだけでやっとなのに、教科書を広げる場所なんて、少しもないでしょ!」
 そんなふうに、こっちになり、そっちになりして、しゃべりつづけ、一人二役で、うまく会話してたけど、しばらくして、外から声がするから、口をつぐんで耳をすませた。
「メアリー・アン! メアリー・アン!」と呼んでいる。「とっとと手ぶくろをもって来ないか!」そして、ぱたぱたと階段をのぼる足音。アリスはウサギが、じぶんをさがしに来たんだとわかると、がたついてしまい、つられて家も、ぐらついた。 いまじゃウサギの千倍もあるから、こわがるわけなんてないのを、すっかり忘れてたんだ。
 やがてウサギは、前まで来て、ドアをあけようとした。――でも、ドアは内びらきで、アリスのひじがつっかえてるから、やるだけ、むだなことだ。ウサギのひとりごとが聞こえた。「ならば、外へまわって、窓から入ろう」
そんなこと、させない!」とばかりに、アリスは、ウサギの気配が、窓のま下まで来るのを待ちうけて、いきなり腕をのばすと、つかみかかった。くうを切っただけで、何もつかまらなかったけど、小さな悲鳴と、落ちていく音、そして、がちゃんとガラスの割れる音がした。そこから考えて、いちばんありそうなのは、家庭用のキュウリの温室か何か、そんなものにウサギは落っこちた、ということだ。
 つづいて、どなりちらす声がする……ウサギだ……「パット! パット! どこにいる?」すると、これまで聞いたことない声が、「はあ、ここにおりますです! リンゴを掘ってんすよ、だんな!」
「なんだ、リンゴを掘ってる、だと!」ウサギは、いらついた声で言う。「こっちだ! 早いところ、これから、ひっぱりだしてくれ!」(またもや、ガラスの割れる音。)
「ところでパット、窓のとこの、あれは、なんだかわかるか?」
「はあ、ありゃ、腕っすよ、だんな!」(腕を「んんで」と、まのびして言う。)
「腕だと、この、ぼけなす! あんな大きさのが、あるってのか? 見ろ、窓をふさいでしまってるぞ!」
「はあ、そうすね、だんな。――でも、ありゃ、やっぱ、腕っすわ」
「ま、とにかく。あそこにあると、じゃまだ。――さっさと、とっぱらって来い!」
 このあと、長いこと、しずかになった。アリスには、ひそひそ声が、ぽつぽつ聞こえるだけ。こんなふうに――「はあ、そりゃいやです、だんな、まっぴらのぴらで!」「やれと言ったら、やれ。この、いくじなし!」
 しまいにアリスは、また手を広げ、もういっぺん、ひっつかむまねをした。こんどは小さい悲鳴がふたつ、それからガラスの割れる音だ。 「ずいぶんたくさん、キュウリの温室があるのね!」とアリスは思った。「次は何をするつもりかな? 窓からわたしを、ひっぱりだそうってんなら、ぜひ、やってみせてよ! ここにいるのは、わたしだって、もうたくさんだもの!」
 しばらくのあいだ待っていたけど、なんの物音もしない。――やっと、ごろごろ、小さな荷車を引く音と、おおぜい、がやがやしゃべってる声がして、――アリスが聞き取れたせりふは……もうひとつのはしごは、どこだ?……えッ、おいらのもってんのは、これだけで。もうひとつはビルが。……ビル! こっちへもって来んか、おい!……ここだよ、このすみに、ふたつ立てかけんだ。……いや、まず、つなげてからだ。……でもまだ半分も、とどかないです。……なあに、だいじょうぶだ。気にするな。……ほら、ビル! このロープをもってろ。……屋根が、もつかな?……気をつけろよ、そのかわら、ぐらついてるぞ。……うわ、落ちてくる! 頭、打つなよ!(がらがら、がしゃんと、大きな音)……いまのは、だれがやったんだ?……ビルだよ、どうせ。……だれが、煙突を降りてくことにする?……おいらは、ごめんだ! おまえがやれよ!……そんなの、おれだって、やだよ。……ビルに行かせるとしよう。……おい、ビル! ご主人さまのおおせだ。煙突に入れってさ!
「へー! それじゃビルってのが、煙突から降りて来るわけだ?」アリスは、ひとりごちる。「あいつらったら、なんでもかんでもビルに、つけいっちゃって! ビルのようには、なりたくないな、どうあっても。――この暖炉の中は、せまいことはせまいけど、――ちょっと、うごかすくらいならできるよね!」
 煙突の足を、できるだけ引っこめて待ちかまえてると、やがて小さな動物が(どんなのかは、けんとうつかないけど)、がさごそと煙突をはい降りて、アリスにせまって来る。――そこで、ひとこと「これが、ビルね」と言うなり、びしッと、けりあげ、あとは、どうなるかと、ようすをみた。
 まず、耳に入ったのは、「ビルが、とんでくぞ!」という、いっせいに、わき起こる声。それからウサギだけの声で……「垣根のあたりにいるやつ、受けとめてやれ!」
 少しのあいだ、しずかになり、それからまた、がやがやと、ざわついた声。……頭をもちあげてやれ。……そら、気つけのブランデーだ。……むせ返らさんようにな。……どうだった、兄弟? 何があったんだ? ぜんぶ話してくれ。
 ようやくのこと、消えいりそうだけど、かん高い声がした(ビルね、とアリスは思う。)「いや、なんやよう、わからへん。……もう、ええて。――ようなったわ。……わても、えらい、あわ食ってしもて、どう話したらええか。……はっきりしとんのは、なんやこう、びっくり箱あけたみたいなんが来よった、と思たら、もうロケット花火みたいに空、とんでるんや!」
「ほんとに、そんなふうだったぜ、兄弟!」と、口々に言う。
「家ごと焼きはらうしか、あるまい!」とのウサギの声に、アリスは、めいっぱい大声を、はりあげた。「そんなことしたら、ダイナをけしかけてやる!」
 たちまち、死んだように、しずまり返る。アリスは、ひそかに思った。「お次は、どうでるかな? ちょっと知恵がまわるなら、屋根をひっぺがすよね」
 1分か2分するとまた、ざわついて来た。ウサギの言うのが聞こえる。「手押し車1台ぶんでいい、とりあえずはな」
「手押し車1台ぶんって、何を?」 でも、いぶかしんでる、ひまなんてない。たちまち小石が雨あられと、窓からばらばら、とびこんで来て、顔にぶつかるのさえある。「こんなこと、やめさせないと」 アリスはつぶやくと、それから、大声でさけんだ。「まだ、やるってのなら、かくごなさい!」 おかげでまた、しんと、しずまる。
 アリスが、ふと見ると、あれれ、床にちらばった小石はみんな、クッキーに変わってくじゃないか。と、うまい考えが、ひらめいた。「このクッキーをひとつ食べたら、きっと体の大きさが、どうにかなるはず。――もう、とても大きくなれそうにないから、小さくなるに決まってるわ、たぶん」
 そこでクッキーを、ぱくりとのみこむと、うれしいことに、たちまち、ちぢみはじめるのがわかった。ドアをとおれるだけの大きさになるが早いか、その家から、かけでる。外には、小さな動物や鳥たちが、かなり集まっていた。その輪の中で、小さなトカゲのビルは、かわいそうに、2匹のモルモットにささえてもらい、ビンから何か飲まされている。アリスが姿を見せるや、みんなが、わッと押しよせて来た。――必死でふりきって、まもなく、もうだいじょうぶと思ったのは、深い森の中。
「まず1ばんに、しなきゃならないのは」その森をぶらぶらしつつ、アリスは、ひとりごと。「もとの、ちゃんとした大きさに、もどることだな。――2ばん目に、あの、すてきな庭へ行く道を、見つけるの。なかなかの名案ね」
 たしかに、みごとな計画のように聞こえる。すっきりとして、わかりやすい。――ただひとつの欠点は、どう手をつけていいのやら、これっぽっちも思いつかないことさ。――で、心ぼそげに、木々のあいだを、すかして見ていると、頭のま上で、キャンとほえる声がしたんで、あわてふためいて見あげると。
 巨大な小犬が、まんまるい大きな目で、アリスを見おろしていた。前足をそろそろとのばして、アリスにさわろうとする。「よしよし、いい子だからね」あやすように言って、なんとか口笛を吹いてみた。――でも、小犬がおなかをすかせてるんじゃないかと思うと、こわくて、びくびくしどおし。だとすると、どんなになだめすかしたって、ぺろりと飲みこまれちゃうだろう。
 じぶんでも何してるか、わからないうちに、アリスは小枝の切れはしをひろって、小犬のほうへ、さしだしてた。――小犬はすぐ、キャンとうれしそうに鳴いて、ひとっとび、小枝に食らいついて、ふりまわすつもりでいる。 ――それをよけて、アリスは大きなアザミのかげへ。ふみつぶされたら、たいへんだ。――反対側から顔を出したとたん、また小犬がむかって来て、いきおいあまって、ごろりと、ひっくり返っちゃう。――まるで荷車を引く馬と、じゃれてるみたい、とアリスは思った。いまにもぺしゃんこにされそうで、またアザミのうしろへ、まわりこむ。 ――それから小犬はなんども枝切れに、ちょっかいを出して来た。毎回、少しだけとびかかっては、大きくとびすさり、声をからして、ほえたてるんだ。そのうちとうとう、むこうのほうで、ハッハと、舌をたらしたまま、しゃがみこみ、大きな目もとろんと、半分とじてしまった。
 逃げるなら、いましかないと、アリスは、とっさにかけだして、息が切れて、へとへとになるまで走りつづけた。やがて小犬のほえる声も、遠くかすかになる。
「だけど、とっても、かわいい小犬だったな!」とアリス。キンポウゲにもたれかかり、葉の1枚をうちわにしてる。「たくさん芸をしこんであげたかったけど。もし……もし、それができるくらいの大きさだったらよ! ああんもう! うっかり忘れるとこだった、また大きくならなきゃなんないのに! ううんと。……どうすれば、やってのけられるかな? 何か食べるか、何か飲むかすれば、いいんだろうけど。――でも『何』を? それが大問題よ」
 たしかに「何か」が、大問題だ。まわりの花やら草の葉を見まわしてみたけど、こんな場所では、これといって飲んだり食べたりできそうなものも、見あたらない。そばにはただ、アリスの背たけくらいの、大きなキノコが生えていた。――かさの下や、右左、うしろ側を、ひととおり見わたすと、かさの上まで、たしかめてみてもいいような気がして来た。
 つま先立ちで背のびして、かさのふちから、のぞいてみたとたん、ばちっと目があってしまったのは、大きなアオムシ。腕組みをして、かさのてっぺんにいすわり、しずかに長い水ギセルを、くゆらしている。アリスにも、ほかのものにも、てんでおかまいなしといったふう。

 
 第5章 教えを たれる アオムシ

 アオムシとアリスは、しばらくだまったまま、おたがいに見つめあっていた。――そのうちやっとアオムシが、水ギセルを吸うのをやめて、どうでもよさそうな、ねむたげな声で、話しかけたんだ。
あんた、何者?」と。
 こんなふうに口火を切られたら、あとがつづかない。アリスは、もじもじと、答えた。
「わたし……わたしも、あんまりわからないの、いまは。……けさ、起きたときは、わたしがだれだったか、わたしにもどうやら、わかってたんだけど、……それからわたし、なんべんも変わっちゃってるんだし」
「そいつは、何のことだよ?」アオムシは、手きびしかった。「わかるように言えよ、じぶんの話を!」
じぶんじゃ、わかるように言えないの、ごめんなさい」とアリス。「だってほら、わたしがわたしじゃないんだもん、わかるでしょ」
「わかるかよ」とアオムシ。
「悪いんだけど、これ以上はっきりとは、させられないんです」アリスは、あくまで礼儀をまもって答える。「だいいち、じぶんでも、なっとくできないんだし、――1日のうちに、ころころ大きさが変わったら、まごつくでしょ」
「別に」とアオムシ。
「それは、たぶん、まだそんな目にあったことがないからよ」とアリス。「でも、あなただって、サナギに……ほら、いつの日か……なるんだし、それからチョウチョになったりしたら、ちょっとはヘンな気分がするんじゃない?」
「ちっとも」とアオムシ。
「そうね、ひょっとしたら、あなたの感じ方は、ちがうのかもね」とアリス。「――でも、すごくヘンな感じがするものよ、わたしの体験だと」
「あんたの、だって!」アオムシは、ばかにしたように言った。「だから、あんたは何者さ?」
 これで、ふりだしに逆もどりというわけ。アリスは、アオムシのあまりの寸評に、少しいらいらしてたから、胸をそらし、あらたまった口調で言った。「先にあなたが何者か、教えてくれるべきじゃないの」
「なんで?」とアオムシ。
 これまた、答えるには、ややこしい。――うまい理由も考えつかないし、アオムシもいよいよふきげんそうなので、アリスは背をむけ、行きかけた。
「もどれよ!」アオムシが、呼びとめる。「だいじな話が、あるんだよ!」
 これは、たしかに脈があるみたい。アリスはくるりと、引き返した。
「ぷりぷりすんな」アオムシが言う。
「それだけ、なの?」にえくり返る、はらわたを、アリスは、ぐぐッとおさえた。
「だけじゃない」とアオムシ。
 アリスは、ほかにすることもなし、待ってみたっていいか、と思った。ひょっとして何か、いいことが聞けないともかぎらないし。しばらくのあいだ、アオムシはだまったまんま、ぷかぷかやっていた。――でも、ようやく、腕組みをとき、水ギセルを口から、はなして言う。「で、あんたは、じぶんが変わっちまったってんだな?」
「そうじゃないかと思って」とアリス。「前みたいに、ものを思いだせないし。……それに10分と、同じ大きさでいられないの!」
「思いだせないって、どんなものが?」
「それが、『かわいいミツバチ、なんとする』を暗唱してみたんだけど、ぜんぜんちがっちゃったの!」アリスは、ひどく落ちこんで答えた。
「じゃ、『父なるウィリアム』をやってみな」
 アリスは、両手を組んで、暗唱しはじめる ……。

  「ウィリアム  親父、ふけた  なあ。
    めっきり  白髪も、ふえた  のに――
   寝ても  さめても、逆立ち  たあ……
    だいじょうぶ  かよ、年  なのに」

  「せがれ  よ、わしも、若い  ころ  にゃ、
    おつむに  悪いか、気に  したわい――
    そんなの  からっぽと  知れた  日にゃ、
         いくら  やろうが、かまうまい」


  「もう、いい年  だろ、くどい  けど。
      太りっぷりも、ふつう  じゃない
   とんぼを切って、戸をくぐるけど……
    なんで、そんな  の、できるんだい」

  親父は  ごましお頭を  ふり、したり顔  して、
   「いつまでも、この  軟膏で、しなやかな
     身の  こなし。1シリングで、おまけ  して……
      ふた箱に  しとくが、買わん  かな



   「その年だ。あごも  弱って、あぶら身  より
     かたい  もの  なぞ、かめねえ  はずだよ。
      ガチョウを  骨ごと、くちばしも  ぺろり……
        どうすりゃ、やって  のけられんだよ」

   「若い  ころ  には、裁判ざた  が  好き。
      かみさんと、たびたび  論戦の  おり

         あご  には、筋肉もりもり  つき、
          いまに  なっても、この  とおり」


   「いい年  こいてんだ。前ほど  は、
     目だって、見える  はずが  ねえ。
    鼻先に、ウナギを  立てる  とは
       よくも、見事に  できる  ねえ」

   「ごたく  を  聞いてりゃ、なまいき  な!
           ほとけの  顔も、3度まで  だ。
     つきあい  きれん。どっかへ  行きな。
     さもなきゃ、階段を  け落とす  までだ!」



「そりゃ、おかしいよ」とアオムシ。
どこかおかしい、みたいね」アリスは、おずおずと言った。「――ところどころ、ことばをとりちがえちゃって」
「最初ッから最後まで、まちがってるさ」アオムシは、きっぱりと言いはなち、――そこで会話は、とぎれた。
 しばらくして、アオムシが、口をひらく。
「どんな大きさに、なりたいんだ?」と、聞いた。
「ううん、特にこれっていう大きさはないの」アリスは、あわてて答える。「――ただ、ころころ変わるのなんて、だれだって、いやじゃない」
「いやじゃないね」とアオムシ。
 アリスは口をつぐんだ。――生まれてこのかた、こんなにぽんぽん、逆ねじを食らったことはないから、じぶんでも、むしゃくしゃして来るのがわかる。
「いまのままで、いいわけ?」とアオムシ。
「いえ、その、おかまいなければ、ほんの少し大きくなりたいんです」とアリス。「――3インチ(8センチ)しかないんじゃ、みじめだもの」
「ちょうどいい背たけじゃないか!」アオムシは、腹立たしげに言いつつ、ぴんと体をのばして立った(きっかり3インチしかなかったんだ)。
「でも、そんな大きさに、慣れてないの!」せつなげに、アリスは言いわけする。そして「虫や動物が、こんなに 怒りっぽくなきゃいいのに!」って、ひそかに思ったんだ。
「すぐに慣れるだろうさ」と、アオムシは言うと、――水ギセルを口にくわえ、また、ふかしはじめた。
 こんどは、アオムシがもういっぺん、しゃべる気になるまでと、しんぼう強く待った。1、2分のうちに、アオムシはキセルを口からはなしては、1、2回、あくびして、ぶるッと体をふるわせた。そうしてキノコから降りて、のたのたと草むらへ、はって行きながら、ひとこと、ぼそりと、もらす。「片っぽだと大きくなれる、もう片っぽだと小さくなれる」
「片っぽって何の? もう片っぽって、何の?」アリスは心の中で考えた。
「キノコのさ」アオムシは、まるでアリスが声に出して聞いたみたいに答え、――あッと思ったら、消えていた。
 アリスは、ふたつのはじっこを見わけようとして、しばらくキノコをしげしげと、穴のあくほど、見つめてた。――でも、キノコはまんまるだから、これは実にやっかいね、と考えこんでしまう。 けっきょく、アリスは両腕を、うんと広げてキノコにまわすと、両手の先で、かさのふちを、ひとかけらずつ、もぎとった。
「さてと。どっちが、どっちかな?」と、つぶやいて、きき目やいかにと、右手のほうのかけらを少しかじってみた。とたんに、がつんと一発、あごを下からなぐられたような感じ――。あごが、足にぶつかったんだ!
 この、とつぜんの変わりようには血の気も引いたけど、まごまごしてるひまなんて、ないみたい。体はどんどん、ちぢんでいってるから、もう片ほうのかけらを、いそいで口にしようとする。あごは、しっかと足に食いこんでて、口をあけようにも、あけようがない。――それでもなんとか、こじあけて、左手のかけらをひと口、飲みこめた。
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「よかった。やっと、首がうごく!」うれしそうな声を出したのも、つかのま、その声は悲鳴に変わった。ふと気づくと、肩がどこにも、なかったんだ。――見おろしたら、ただ、はてしなく長い首が、ひょろりと茎がのびるみたいに、はるか下のほうの、緑の海原から、つき出ている。
「なによ、あの緑のものって、まさか?」とアリス。「それより、わたしの肩は、どこに行っちゃったのよ? それに、ああん、わたしの腕も、なんで、まいごになっちゃたの?」言いながら手をふりまわしてみたけど、何が起こるわけでもなくて、ずっとむこうで青葉が、かすかにゆれただけ。
 じぶんの頭に手をやるなんて、できっこなさそうだから、頭をそっちへ降ろしてみることにした。すると、うれしいことに、どっちむきにでも、首はらくらく、まげられて、まるでヘビみたい。首をうまいぐあい、上品にくねくね、折りたたんでいって、木の葉の中につっこもうとしてみると、それはやっぱり、さっきまでうろついてた森の、木々のこずえにまちがいない。そのせつな、シュッと風を切る音に、あわてて首を引きもどす――。大きなハトが、顔にとびかかり、つばさで、もうれつにアリスをはたくんだ。
「ヘビめ!」金切り声で、さけぶハト。
「ヘビじゃないってば!」アリスは、むッとした。「ほっといてよ!」
「もういっぺん言ってやる、ヘビはヘビよ」くり返したものの、ハトはがくりと声を落としてた。さらに、むせび泣くようにして、「打てる手はみんな打ったのに、何もかも、むだだなんて!」
「何を言ってるんだか、ちっともわからないわよ」とアリス。
「木の根っこも、ためしてみた。川の堤も、生け垣もためしてみたのに」ハトは、アリスのことなどほったらかしで、しゃべりつづけ、「――ヘビどもと来た日にゃ! ほどほどにしとこうって気がないんだから!」
 アリスは、ますます、こんがらがって来たけど、とりあえずハトがしゃべり終わるまでは、何を言ってもしょうがないと思った。
「タマゴをかえすだけでも、ひと苦労だってのに、――昼も夜も、ヘビを見はってなきゃならないなんて! この3週間てもの、まんじりともしちゃいないんだよ!」
「それはどうも、お困りでしょうね」アリスは、ようやく話がのみこめて来た。
やっとこさ、森でいちばん高い木をえらんで」ますます声も、かん高く、たたみかける。「やっとこさ、のがれたと思ったとたん、空からにょろにょろ、お出ましかい! ケッ、このヘビめ!」
「だから、ヘビじゃないんだってば!」とアリス。「わたしは……そのう……」
「ふん! 何者だってんだい!」とハト。「でっちあげようたって、お見とおしだよ!」
「わたし……わたしは、女の子よ」ちょっと口をにごしたのは、この日、何度も変身したのが頭にあったからだ。
「ずいぶん見えすいた話だね!」てんから、ばかにして言った。「あたしも、けっこうおおぜい、女の子を見て来たけど、そんな首のは、いやしない! だめだめ! あんたはヘビさ。――かくしても、むだ。お次は、タマゴなんか食べたこともないです、とでも言うつもりだろ!」
「タマゴなら食べたことあるわよ、もちろん」アリスは、とても正直な子なんだ。「けど、女の子だってね、ヘビに負けないくらい、タマゴを食べるじゃない」
「またウソばっかり」とハト。「――でも、もし、ほんととしたらよ、女の子ってのはヘビの一種だ。――そうとしか言えないね」
 これは、あまりの新説なので、アリスが1分か2分、あっけにとられてると、ハトはそのすきをついて、「あんたはタマゴをさがしてる、そのことはわかりきってんだ。――だとすりゃ、あんたが女の子だろうと、ヘビだろうと、たいしてちがわないだろ?」
わたしにとっては大ちがいよ」アリスは、あわてて言った。「――それに、あいにく、タマゴはさがしてません。――もし、さがしてたって、あなたのはほしくないわ。――生タマゴはきらいなの」
「そうかい、なら、行っちまいな!」ふてくされたように言いながら、ハトは巣へもどって腰をすえた。アリスは木立のあいだに、だましだまし、首をしずめていった。なにしろ、しょっちゅう枝にもつれちゃうから、そのたんびに休んで、ほどかなきゃならない。しばらくして、まだ両手にキノコのかけらをもってたのを思いだし、こんどは実に用心ぶかく、まずいっぽうのかけら、それからもういっぽうのかけらと、少しずつかじっていった。のびすぎたり、ちぢみすぎたりしながら、とうとうふだんの背たけにもどることに成功したんだ。
 もっともらしい大きさになったのは、ひさしぶりだったから、はじめは、ずいぶんおかしな気がした。――でも、しばらくするとそれにも慣れて、いつもどおり、ひとりごとをはじめる。「よし、これで計画の半分は終了、と! こんなに変わってばかりだと、目がまわっちゃうな! 1分後にはどうなってるか、わからないんだもん! だけど、もうほんとの大きさにもどれたんだから、――次は、あのきれいなお庭へ入ることね。……さて、どんなふうにしたもんかな?」言ってるうちに、いきなり、ひらけたところへ出た。そこには高さ4フィート(1メートル20センチ)ほどの、小さな家がある。「どんな人が住んでるにしたって」アリスは考えた。「この背たけで出くわしちゃ、まずいよね。――びっくりして腰をぬかしちゃうもの!」そこで右手のかけらを、ちょびっとずつかじり、身長が9インチ(20センチくらい)になってから、思いきってその家へ近づいてった。

 
 第6章 ブタに  コショウ

 1分か2分くらい、アリスはその家をながめて、立ちつくし、さて、これからどうしたもんかなと、まよってると、だしぬけに、制服姿の召使いが森から、かけて来て……(制服を着てるから、召使いだろうとアリスは考えたけど、 ――顔だけを見て決めるんだったら、サカナと呼んでたろうね。)……ドアをこぶしで、どんどん、とたたいた。ドアをあけたのは、これも制服姿の召使いだけど、こちらは丸顔、大きな目玉で、カエルみたい。 ――ふたりとも巻き毛のかつらで、むかしふうに髪粉をふりかけてるのにアリスは気づいた。いったいどういうことなのか、知りたくて、もうたまらず、しのび足で、森からちょっと出て、耳をすませた。
 サカナ召使いは、わきに たばさんでいた、身のたけほどもある大きな手紙を出して見せ、これを相手に手渡しながら、あらたまった口調で言う。「公爵夫人へ、王妃さまクイーンよりクロッケー試合のご招待でござる」カエル召使いも、同じくあらたまった口調で、少しだけ言葉をならべかえ、くり返した。「王妃さまクイーンより、公爵夫人へクロッケー試合のご招待でござるな」
 いっしょにふかぶか、おじぎをすると、ふたりの巻き毛が、もつれてからまりあう。
 アリスはこれを見て、大笑いしてしまい、召使いたちに聞こえたらたいへんと、森の中へかけこんだ。――で、次にのぞいたときには、サカナ召使いは帰ったあとで、カエルのほうだけ、玄関わきにすわりこみ、ぽかんと空を見あげてる。
 アリスはおそるおそる戸口へ行って、ドアをノックした。
「ノックなんぞしたって、むださ」と召使い。「理由はふたつある。第1に、わたしがおまえさんとおんなじ、ドアの外にいるからだ。第2に、家の中は、えらいさわぎになっていて、だれも耳なぞ、かさんからだ」たしかに中は、そりゃもう、とんでもない大さわぎの最中で……ひっきりなしにわめく声に、くしゃみの連発、そのあいまにも、皿や湯わかしの、こっぱみじんにくだける、はでな音がする。
「それじゃ、教えて」とアリス。「どうしたら入れてもらえるの?」
「ノックにも、少しは意味があるかも知れん」アリスのほうは見もしないで、しゃべってる。「わたしらのあいだに、ドアがあるならな。たとえばだ、おまえさんが中にいて、ドアをノックしたとすれば、わたしはおまえさんを、外へ出してやれるだろ」しゃべりながらずっと、召使いは空をむいたままだった。ほんとに失礼ねと、アリスは思ったけど、「でも、しかたないかもね」とも思った。「――頭のまるでてっぺんに、目がついてるんだもん。けど、それにしたって、たずねたことくらい、答えてくれたってよさそうなのに。……どうしたら、入れてもらえるの?」アリスは声に出して、くり返した。
「わたしは、ここにすわってるよ」召使いは、ぽつりともらした。「あしたまでは……」
 このとき、さッと家のドアがあいて、大きな皿が、召使いの頭めがけて、まっすぐとんで来た。――あやうく召使いの鼻先をかすめ、うしろの木にあたって、くだけちる。
「……あるいは、あさってまで、かな」召使いは、口ぶりも変わらず、まるで、なんにもなかったかのようだ。
「どうしたら、わたしを、入れてもらえるの?」もっと声を大きくして、たずねた。
「そもそも入れてもらえるもんなのか、おまえさん?」と召使い。「そいつが、まずは問題じゃないか」
 それはまあ、そうなんだけど、――そんなふうに言われちゃ、おもしろくない。「ほんと、ろくなもんじゃないわ」アリスはひとりで、ぶつぶつ。「みんなそろって、へりくつならべて。こっちの頭がヘンになりそう!」
 召使いは、このときとばかり、さっきと言葉を少しかえて、くり返した。「わたしは、ここにすわってるよ。そのときどきで、いたりいなかったりだが、いつの日もいつの日も」
「だけど、わたしは、どうしたらいいの?」
「おまえさんの好きにするさ」召使いは、口笛を吹きはじめた。
「ああん、こんな人と話すだけ、むだ」アリスは、あきれはてて言う。「――まるっきりの、大ばかよ!」そこで、じぶんでドアをあけて、中に入る。
 入ってすぐのところが、大きな台所になっていて、すみからすみまで、もうもうと、けむってる。――まん中の3脚イスに腰かけて、公爵夫人が赤んぼうをあやしてた。――女の料理人が、炉のうえに身をかがめて、火にかけた大なべをかきまぜてる。なべにはスープがいっぱいのようだった。
「あのスープ、ぜったい、コショウがききすぎてるわ!」アリスは、どうにかこうにか、くしゃみをこらえて、つぶやく。
 なるほど、そこらじゅう、コショウが立ちこめてた。公爵夫人でさえ、ときたま、くしゃみする。――赤んぼうともなれば、くしゃみとわめくのと、かわるがわる、ひっきりなしにやっていた。台所で、くしゃみをしないつわものは、料理人と、大きなネコの両名のみ。そのネコは、炉ばたに寝そべって、耳までさける口で、にやにや笑ってる。
「あの、よかったら教えてくれません?」アリスはじぶんのほうから口をきくのが作法にかなってるかどうか、心もとなくて、ちょっとおずおずと、たずねた。「おたくのネコは、どうしてあんなふうに笑うんですか」
「あれはチェシャーの猫です」と公爵夫人。「だからよ。むやみに、にやついてるのを、チェシャ猫のように笑うって、むかしから言うでしょ。このブタ!」
 おしまいのせりふが、急に乱暴になったので、アリスはとびあがってしまった。――でもそれは、赤んぼうにむけて言ったもので、じぶんに言ったんじゃないと、すぐにわかったから、アリスはまた気をとりなおして、つづけた。……
「知らなかったわ、チェシャ猫がいつも笑ってるなんて。――ほんとのところ、ネコが笑えるってことも知らなかったんです」
「やつらはみんな、笑える」と公爵夫人。「――たいていのやつは笑ってるよ」
「わたし、そんなことをしてるネコは知りませんが」アリスは、言葉をかわしあえるようになって、とてもうれしかったから、あくまで、ていねいに言った。
「それは、あなたがものを知らないの」と公爵夫人。「――それだけのことよ」
 アリスも、こんなふうに言われちゃ、いっこうにおもしろくないので、何か別の話題をもちだしたほうがいいなと思った。話のタネを決めようとしていると、料理人がスープの大なべを火からおろし、とつぜん手あたりしだいに、そこいらのものをすべて、公爵夫人と赤んぼうめがけ、投げつけはじめたんだ。……まっ先に、とんで来たのは火かき棒。――つづいて、シチューなべ、小皿に大皿と、雨あられ。公爵夫人はと言えば、じぶんに当たったって、そ知らぬ顔をしてる。――赤んぼうのほうは、ずっと大声で泣きわめいてるから、ものがぶつかって痛いんだかどうだか、まるでわからない。
おねがい、ちょっとは気を使ってよ!」アリスはこわさのあまり、とんだり、しゃがんだりしながら、悲鳴をあげる。「ほら、ぼうやのだいじな鼻が、とんでっちゃう!」ものすごく大きなシチューなべが、赤んぼうをかすめて、あやうく鼻をもって行きそうになったんだ。
「みんなが他人に、よけいな気を使わなけりゃ」公爵夫人は、しゃがれ声で不平を言った。「この世界も、ずいぶん回転が早くなるんだがね」
「それはどうかと、思いますけど」アリスは学のあるところを、かいま見せるチャンスが来たと思って、はりきった。「ちょっと考えてみてよ、そんなに早くなったら昼と夜が、どうなっちゃうか! ほら、地球が24時間かかってまわる、その……」
「おの、と言えばこそ」と公爵夫人。「この子の首を、斧でちょん切れ!」
 アリスは、料理人が感づいて、言われたとおりにするつもりがあるのか気になって、ちらりとそっちをうかがった。――でも料理人は、スープをかきまぜるのにいそがしくて、聞いちゃいないみたいだから、先をつづける――。「24時間、だったかな、――それとも12時間? わたしは……」
「ああ、あたしゃ、うんざりだよ」と公爵夫人。「数字ってやつは大の苦手でね」
 そう言うと、また赤んぼうをあやしはじめ、子守歌らしきもので、あやすにはあやすんだけど、ひとくさり歌うごとに、赤んぼうを手あらく、ゆさぶるんだ――……。

 かわいい  ぼうやは  どやしつけて、
      くしゃみ  するなら  ぶったたけ――
    いらいら  させると  わかってて、
    わざと  からかってやがる  だけ。

 コーラス
(料理人と赤んぼうが声を合わせ)――……
  うぉう、  うぉう、  うぉー!

 夫人は2ばんを歌いながら、赤んぼうを手あらく放り投げては、受けとめるのをくり返したから、かわいそうに赤ちゃんは泣きわめき、アリスは歌詞も、聞き取れないほどだった ……。

 あたしだって  ぼうやに  どなりつけ、
    くしゃみ  するなら  ぶったたくさ
   コショウは、ぼうやに  うってつけ
    たっぷり  味あわせて  あげるさ!

 コーラス
  うぉう、  うぉう、  うぉー!

「そら! おのぞみなら、ちょっとあやしてごらん!」公爵夫人は、そう言いながら、アリスにむかって赤んぼうを投げてよこした。「あたくしは、お妃さまとのクロッケー遊びに行かなきゃならないから、したくもしないとね」と、いそいそ部屋から出ていく。料理人は、夫人の背中へむけて、フライパンを投げつけたけど、おしくも、はずした。
 赤んぼうはつかまえてるのが、ひと苦労だ。なにしろヘンなかっこうの子で、手足を四方につっぱってたから、「ヒトデそっくり」とアリスは思ったよ。あわれなちびすけは、抱きとめてると蒸気エンジンのように鼻息もあらく、くの字に体を折りまげたり、またそり返ったり。というわけで、はじめの1、2分は、かかえてるのがやっとだった。
 そのうち、うまいあやし方(ヒモを結ぶみたいに体をねじって、右の耳と左の足を、しっかり、ばらばらにならないように、にぎっておくんだ。)がわかると、さっそく、赤んぼうを外へつれ出した。「この子を、いっしょにつれてかないと。1日か2日のうちにきっと、あの人たちに殺されちゃう。ここへおきざりにするのは、人殺しとおんなじじゃない?」終わりのほうをアリスが声高に言うと、ちびすけが答えるように、ぶいぶい、うなった(このころには、くしゃみも止まってた)。「鼻を鳴らしちゃだめ。そういうたいどをとるのは、よくないのよ」
 赤んぼうは、またぶいぶい言う。アリスはどうしたのかと、とても心配になって、顔をのぞきこんだ。ところが、いやに前むきの鼻で、どう見ても、ふつうの人間というより動物のものだし、――目も、赤んぼうにしちゃ、やたらと小さくなってるし、――そんなこんなで、アリスにはこの子の見てくれが、まるで気にくわない。「でも、ひょっとして、泣いてたせいかも」と考えて、涙が出てやしないか、もういっぺん、目をのぞきこんでみた。
 いや、涙なんて、かけらもない。「いい、ぼうや。ブタになるつもりだったら」アリスは、真顔になって言う。「もう、かまってあげないから。いいわね!」かわいそうなちびすけは、またすすり泣いた(それとも鼻を鳴らしたんだか、どっちだか、わからない)。それから、しばらくのあいだは、だまったまま歩きつづけた。
「さてと、この子を家につれてって、どうすりゃいいんだろ?」アリスがちょうど、そんなふうに考えはじめたとき、またもぶうぶう言う。あんまりはげしい声なので、少しびっくりして顔をのぞいた。こんどこそ、まちがえようがない――。まさしく、まぎれもないブタだったから、アリスはこれ以上、こんなものを抱いてくのは、ばかばかしいと思った。
 そこで、ちびちゃんを下に降ろしてやると、おとなしく、とことこ森へ入ってったから、やっと、せいせいした。「あのまま育ってたら」と、アリスはひとりごと。「とうてい見られたもんじゃない子どもになったわね。――でもブタにしては、ちょっと、いかしてるわよ」そこでじぶんの知ってるなかで、ブタになったほうがよさそうな子どもたちのことを考えはじめた。「あの子たちをブタに変える、いい方法がわかりさえしたら……」なんて、つぶやきかけたとき、アリスはほんの数ヤード先(1ヤードは約90センチ)の木の枝に、チェシャ猫のいるのを見て、びくッとした。
 猫はアリスを見て、にッとしただけだった。気立てはいいみたい、とアリスは思う。――でも、つめはとても長いし、歯もぎっしりはえてるから、
ここはどうしても、あいさつなしでは、すまされまいと思った。
「チェシャーの、にゃんこちゃん」アリスが、ちょっとびくびくして話しかけたのは、はたしてそんな呼び方が気に入るか、ぜんぜんわからなかったからだ。――だけど、猫は、にまッと笑っただけ。「しめしめ、いまのところ、ごきげんね」と思って、先をつづけた。「ちょっとおたずねしますけど、ここからは、どっちへ行けばいいんでしょう?」
「そいつはまったく、あんたの、行きたいところしだいさ」猫が言う。
「別に、どこっていうのはないんだけど……」とアリス。
「それなら、どっちへ行ったってかまわない」
「……ええ、どこかに行きつきさえすればね」アリスは、言葉をくわえた。
「そりゃもちろん、どこかには、つくだろう」と猫。「どんどん歩いて行きさえすれば」
 アリスは、それもそうだと思ったので、別の聞き方をしてみた。「このへんには、どんな人が住んでるの?」
そっちのほうには」猫は、右手をくるりとふって「ぼうし屋が住んでるよ。布地をあつかうだけに性格もキレてる。――それから、あっちのほうには」こんどは左手をふって「三月ウサギが住んでる。ぼちぼち春になると、あらわれるやつさ。好きなほうを、たずねればいい。――どっちにしろ、くるってる」
「くるってるとこへなんか、行きたくないわ」アリスは、こぼした。
「そりゃあ、しかたがない」と猫。「ここじゃ、だれでも、くるってるんだから。おれも、あんたも、くるってる」
「わたしが、くるってるって、どうしてわかるの?」
「決まってるさ。さもなきゃ、ここへ来るはずがない」
 まるっきり、へりくつだ――と思ったけど、アリスは話を進めた。――「じゃあ、あなたがくるってるってのは、どうしてわかるの?」
「まず第1に」と猫。「犬は、くるってない。これは、あんたも認めるね」
「そうでしょうね」とアリス。
「よし、そこでだ」猫は言いつのる。「犬は怒るとうなり、うれしいとしっぽをふるだろう。ところがおれは、うれしいとうなり、怒るとしっぽをふる。すなわち、おれはくるってる」
わたしなら、うなるとは言わずに、のどを鳴らすって言うけど」
「好きなように言えばいいさ」と猫。「きょうは、お妃とクロッケー遊びをするのかい」
「ぜひ、やってみたいけど、招待をうけてないし」とアリス。
「そこで会おう」猫はそう言うと、ふッと消えた。アリスはこのことに、それほど、おどろかなかった。ヘンな出来事には、もう慣れっこだったんだ。猫のいた場所をじッとながめてると、いきなりまた、そいつがあらわれた。
「それはそうと、赤んぼうはどうなった?」と猫。「つい、聞き忘れるとこだった」
「ブタの子になっちゃったわ」アリスは、猫がまるで、ふつうにもどって来たかのように、落ちつきはらって答えた。
「そんなこったろうと思った」と猫は言うと、消えうせた。
 アリスはまた出て来ないかと、期待半分、ちょっとだけ待ってたけど、あらわれない。1、2分してから、三月ウサギが住んでると言ってたほうへ、歩いてく。「ぼうし屋さんなら、見たことあるし」と、アリスのひとりごと。「――三月ウサギのほうが、よっぽど、おもしろそう。それにたぶん、いまは5月だから、あれくるっちゃいないでしょ。……少なくとも、3月ほどにはね」などと言いながら、見あげると、また猫が木の枝にすわってた。
「ブタの子だっけ、ブドウだったっけ?」
「ブタって言ったのよ」アリスは答える。
「――けど、そんなに、ぱッぱと出たり消えたりしないでくれない。――ほんとに目がまわっちゃう」
「わかったよ」と猫は言って、――こんどは、ほんとにだんだんと、まずはしっぽの先から、最後は、にやにや笑いという順に消えてったけど、体がすっかりなくなったあとも、笑いだけはしばらく、のこってた。

「へー! にやけてない猫がいるだけなら、めずらしくないけど」アリスは思った。「――にやけてるだけで猫がいないなんて! こんな、とびきりふしぎなものを見るの、生まれてはじめてよ!」
 いくらも歩かないうちに、三月ウサギの家が見えて来た。2本の煙突は耳の形をし、屋根は毛皮でふいてあるから、あの家に、まちがいない。かなり大きな家なんで、左手のキノコのかけらを少しかじって、2フィート(60センチ)くらいの背たけになってから、やっと家に近づく気になった。――でも、まだちょっと、おっかなびっくりで、ひそかにつぶやいた。「ものすごく、あれくるってたら、どうしよう! ぼうし屋を見に行ったほうがよかったかな」

 
 第7章 くるった  お茶会

 家の前の木かげにはテーブルが出されていて、三月ウサギとぼうし屋が、お茶を飲んでいた。――あいだにヤマネが、はさまってすわり、ぐっすりねむってる。双方がヤマネにひじをついて、クッションがわりにし、頭ごしにしゃべってた。「あれじゃヤマネが、くるしそう」アリスは思う。「――でも、ねむってるから、平気なのかな」
 テーブルは大きかったけど、みんな、すみっこにかたまってた。「空いてない! 空いてない!」アリスが近づいたと見て、どなりつける。
「席なら、いっぱい空いてるじゃない!」アリスは むかついて、テーブルのはしっこの、大きなひじかけイスに、どすんと腰かけた。
「ワインでも、いかが」三月ウサギが、もてなすように言う。
 アリスはテーブルを見まわしたけど、あるのはお茶だけだ。「ワインなんて、どこにもないわよ」と、言ってやる。
「あるもんか」と三月ウサギ。
「ないものをすすめるなんて、ちょっと失礼じゃない」アリスは、腹を立てた。
「まねかれてもないのに席につくのも、ちょっと失礼だろ」と三月ウサギ。
「知らなかったのよ、あなたたちだけのテーブルだなんて」とアリス。「――席は3人ぶんより、ずっとたくさん用意してあるじゃない」
「あんたは、髪を切らなきゃな」ぼうし屋は、さっきからアリスをじろじろ、おもしろがるように見てたんだけど、最初のごあいさつが、それだった。
「人のすることに、文句をつけちゃいけないって、教わらなかったの」アリスは、やや、きつめに言った。「とっても無作法よ」
 これを聞いたぼうし屋は、目を大きく見ひらいて――でも、口に出したせりふは、こんなの。「カラスと机は、そっくりなんだって。どうしてかな?」
「ようし、やっとおもしろくなりそう!」とアリスは思った。「なぞなぞをするなら、まかせて。……それ、きっと、とけるわ」と声に出して、言う。
「答えが見つかるだろう、と言ってるつもりかい?」と三月ウサギ。
「そういうことね」とアリス。
「だったら、そう言えよ。言うつもりのことを、しゃべらなきゃ」三月ウサギは、たたみかける。
「そうしてるわよ」アリスは、あわてて答えた。「――とにかく……少なくとも、わたしがしゃべってるのは、言うつもりのことよ。……それって、おんなじことでしょ」
「おんなじわけがない!」と、ぼうし屋。「だったら、おまえさん、まるで『わたしは食べるものを見る』と、『わたしは見るものを食べる』は、おんなじだって言ってるようなもんだぞ!」
「こういうことにも、なるわけだ」三月ウサギが、あとをうけて、「『好きなものを手に入れる』は、『手に入れるものが好きだ』とおんなじだってね」
「こういうふうにも言えるよね」つづいてヤマネも、寝ごとのように、つぶやく。「『ぼくは、ねむるとき息をする』ってのは『息をするときねむる』のと、いっしょだって」
「おまえにとっちゃ、いっしょだろ」と、ぼうし屋。ここで話は、ぷっつりとぎれ、一同しばらく、だまってすわってた。そのあいだアリスは、カラスと机について思いつけるだけのことは考えてみたけど、たいした知恵も浮かばない。
 ぼうし屋が、まず、口をひらいた。「きょうは何日だっけ?」アリスのほうをむいて言う。――懐中時計をポケットから取りだし、不安そうに見つめては、ときどきふって、耳にあてたりしている。
 アリスは、ちょっと考えてみてから、言った。「4日よ」
「2日も、ずれてる!」と、ぼうし屋は、ため息をつく。「だから言ったろうが。機械にさすのに、バターはよくないってな!」うらめしそうに三月ウサギを、にらむ。
最高級のバターだったんだ」すまなそうに、答えた。
「ああ。だが、パンくずまで入っちまったんだな」ぼうし屋は、ぐちぐちと、「――バターをぬりこむのに、おまえさんがパン切りナイフを使わんでくれたら」
 三月ウサギは時計を手に取って、うかない顔でながめる。――それから紅茶の入ったカップに、ちょいと時計をつけてから、もういっぺん、ながめる。――でも最初のひとことより、いいせりふを何も思いつかない。「最高級のバターだったんだけどね」
 アリスもいくらか気になって、三月ウサギの肩ごしに、のぞきこんでた。「おかしな時計ね!」と、言ってやる。「日づけはわかっても、何時かはわからないのね!」
「それのどこがおかしい?」ぼうし屋は、ぶつくさと言う。「それじゃ、あんたの時計の針だと、何年かわかるってのか?」
「そんなはずないでしょ」この問いに答えるのは、わけもない。「――だって、ずうっと長い時間、おんなじ年をさしたままになるもの」
わしの時計の場合も、まさにそれだ」と、ぼうし屋。
 頭がこんがらがって、いやになる。ぼうし屋の言うことなんて、ちっとも意味がないようにアリスには思えたけど、それでも、れっきとした言葉ではある。「どうもよく、のみこめないんですけど」なるたけ、ていねいに聞いた。
「ヤマネがまた、ねむってるぞ」ぼうし屋は、あつい紅茶を、ヤマネの鼻づらにちろちろ、そそいだ。
 ヤマネは、こらえかねて首をふるったけど、目はつぶったまんまで、しゃべった。「そうだよ、そうだよ。ぼくもいま、そう言おうとしてたんだ」
「なぞなぞはもう、とけたかい?」ぼうし屋が、またアリスにむかって言う。
「いいえ。お手あげ」とアリス。「答えは、なあに?」
「わしにも、さっぱり、けんとうがつかん」と、ぼうし屋。
「おれもだ」と三月ウサギ。
 アリスはあきれて、ため息をついた。「もっと、ましな過ごしかたが、ありそうなもんよ。答えのない、なぞなぞで時間をつぶすよりも」
「あんたが、わしくらい時のひとを知ってれば」と、ぼうし屋。「つぶすだなんて、失礼なことは言えまいな、あのかたに対して」
「何のことだか、わからないけど」とアリス。
「わからないだろうとも!」ぼうし屋は、ばかにするように、あごをしゃくり、「どうせ時のひとと、つきあってみたこともないんだろが!」
「たぶん、ないでしょうね」アリスは、しんちょうに答えた。「――でも音楽を習ってると、ぼうをふったり何かたたいたりして、時をきざむ必要はあるわ」
「はあん! それでわかった」と、ぼうし屋。「たたかれたり、きざまれたりじゃ、たまらんよ。いいか、あのひととは、仲よくしておくにかぎる。そうすりゃ、時計だって、まずあんたの思いどおりに、してくれるんだ。たとえば、朝の9時、授業のはじまる時間だとする。――時のひとに、ちょっと耳うちするだけでいい。またたくまに時計の針が、ぐるぐるまわる! そら、もう1時半、お昼ごはんの時間だ」
(「だといいんだがなあ」三月ウサギが、ひそかにつぶやく。)
「ほんと、そうなったら、すてきね」アリスは、思いにふけって言った。「――でも、そしたら、わたし……おなかがすかないんじゃないかな」
「はじめのうちは、そうかも知れん」と、ぼうし屋。「――だが、好きなだけ1時半にしておけるんだ」
「そんなふうに、あなたはやってのけられるの?」アリスが聞く。
 ぼうし屋は、悲しみにしずんで首をふった。「できんのだ! この3月に、仲たがいしちまった。……こいつが、いかれる寸前のことさ(……と、ティー・スプーンで三月ウサギをさした)。ハートの王妃クイーンが、大音楽会をもよおされた席で、わしは歌わねばならんかった。

  ちまちま  とぶよ
  おそらの  コウモリ

 この歌はご存じかな、もしかして?」
「なんか、にたようなのは聞いたことあるけど」とアリス。
「その先は、ほら」ぼうし屋は、つづきを歌う。
「こんなのだ――……

  はばたきながら
  みんなを  みてる
  ちまちま  とぶよ………

 このときヤマネは、身ぶるいすると、ねむったまま歌いだした。「ちまちま、ちまちま……」いつまでも歌いつづけるから、両側からつねって、やめさせる。
「さて、1ばんの歌詞が終わるか終わらんうちに」と、ぼうし屋。「お妃さまが、どなりちらしたのさ。『聞いておれん。この男、めちゃくちゃに時をきざんでおるな! ほとんど犯罪じゃ。こやつの首を、はねよ!』」
「ひどい、なんてざんこくなの!」アリスは、さけんだ。
「それからというもの」ぼうし屋は、悲しみにくれたようすで、「あのひとは、わしのたのみを、まるで聞いちゃくれん! いまじゃあ、いつだって6時なのさ
 ぱッと、ひらめいたアリスが、たずねる。「そのせいで、こんなにたくさん、お茶の道具がならんでるのね?」
「そういうことさ」ぼうし屋は、ため息をついた。「――いつでもお茶の時間なんで、カップをあらうひまもない」
「すると、順ぐりに、席をうつっていくわけなの?」とアリス。
「そのとおり」と、ぼうし屋。「――カップを使っちまったらな」
「でも、ひとめぐりして、ふりだしに、もどって来たら、どうなるの?」アリスは思いきって、たずねてみた。
「そろそろ話題を変えようよ」三月ウサギが、あくびまじりに口を出す。「あきちまったよ、その話は。ここはひとつ、このおじょうさんに、お話をしてもらうってのはどうだい」
「悪いけど、わたし、お話なんて知らないし」アリスは、この申し入れに、あたふたして言った。
「じゃあ、ヤマネに、やらせよう!」と、声をそろえて、「目をさませ、こいつめ!」両側から、同時にヤマネを、つねった。
 ヤマネは、とろとろ目をあける。「ねむっちゃいないよ」かすれた声で、ぼそぼそと、しゃべる。「あんたたちの話してたことは、ちゃんと、もらさず聞いてたさ」
「お話をするんだよ!」と三月ウサギ。
「そうよ、おねがい!」アリスも、たのんだ。
「さっさとやらんとな」と、ぼうし屋。「でなきゃ、話し終わらんうちに、ねむっちまうだろ」
「むかしむかし、3人のおさない姉妹が、おりました」ヤマネは、大いそぎで話しはじめた。「――その名もエルシー、レイシー、ティリーといったとさ。――3人は井戸の底にすんで……」
「何を食べて、生きてたの?」食べることや飲むことに、いつでも大いに関心のある、アリスが言う。
「甘いみつを食べてました」ヤマネは1分か2分、考えて言った。
「そんなこと、むりなんじゃない」アリスは、おだやかに、さとす。「病気になっちゃうわよ」
「それで3人とも」とヤマネ。「――重い病でしたとさ」
 アリスは、そんなとんでもない生活ってどんなものか、ちょっと思いうかべてみようとしたけど、頭がぐちゃぐちゃになってしまう。――そこで、聞いてみた――。「でも、どうして井戸の底にすんでたの?」
「もっとたくさん、お茶を飲みなよ」三月ウサギが、やけに熱心にアリスに、すすめる。
「わたしはまだ、なんにも、もらってないわ」アリスは、気をわるくして答える。「――だから、もっとたくさん飲むってわけにはいかないの」
「それは、もっと少なく飲むってわけにはいかないというつもりだな」と、ぼうし屋。「ゼロより、もっとたくさん飲むってのは、わけのないことだ」
「だれもあなたに意見なんか、聞いてないわよ」とアリス。
「おや? 人のすることに、文句をつけちゃ、いけないんだろ?」ぼうし屋が、勝ちほこったように聞いた。
 アリスは返す言葉もなくて、じぶんでお茶と、バターのついたパンに手をのばし、それからヤマネにむきなおって、もういっぺん、たずねる。「どうして井戸の底にすんでたの?」
 ヤマネは、また1分か2分考えてから、こう言った。「みつがわく井戸だったんだ」
「そんなの、あるわけないでしょ!」アリスは、いいかげん頭に来てた。でも、ぼうし屋と三月ウサギが「しーッ! しーッ!」と言うし、ヤマネも腹を立てている。「おとなしくしてられないんなら、話のつづきは、あんたがやりなよ」
「ごめんなさい、つづけて!」アリスは、ひどく、しおらしくなった。「もう口出しはしないから。きっとどこかに、そんなのもなくはないよね」
「そんなものない、とはなんだ!」ヤマネは、しかりとばすように言った。
それでも、話はつづけてくれるらしい。「そこでこの、おさない3人姉妹は……姉妹は、手習いで、かきだしたんだ、いつものようにね……」
「何の絵を、かきはじめたの?」アリスは、あっさり約束を忘れてる。
「みつを、かいだしてたのさ」こんどは、ぜんぜん考えたりせず言った。

「きれいなカップがほしいな」ぼうし屋が、横から口をはさむ。「みんな、ひとつずつ、席をずらそうや」
 言いながら、ぼうし屋が席をうつると、ヤマネがあとにすわり、――三月ウサギは、ヤマネのいた席にうつり、そしてアリスは、しぶしぶながら三月ウサギのいた席にすわる。席がえで、いくらか得をしたのは、ぼうし屋ぐらいで、――アリスはずいぶん損をした。三月ウサギが、ミルク入れを、お皿にひっくり返したばっかりだったんだ。

 アリスは、またヤマネを怒らせたくはなかったから、うんと用心して、こう切りだした。「どうも、わからないんだけど。3人は、みつをどこから、くみだしたの?」
「決まってる。井戸から井戸水がくめるように」と、ぼうし屋。「――みつの井戸から、みつがくめるのさ。……そうだろが、えッ? あほたれ」
 最後のせりふには気づかなかったふりをして、アリスはヤマネにむかって言った。「だけど、その人たちは井戸の底にいたんでしょ」
「もちろん、みンな、そこにいたよ」とヤマネ。「水底みなそこにね」

 この答えにアリスはかわいそうに、こんがらがっちゃって、とうぶんは口をはさまず、ヤマネのしゃべるにまかせた。
「3人姉妹は、かきだしたもんだよ」ヤマネは、話しつづけながらも、あくびをしたり目をこすったり――どうも、ひどくねむくなったらしい。「そう、ありとあらゆるものを、かきだした……頭文字がマかネのものすべてを……」
「なんでよ? マかネでなきゃ、だめなの?」とアリス。
「マかネが、なんで、だめなんだ?」と三月ウサギ。
 アリスは、だまった。
 ヤマネはこのときもう目をつぶり、うとうとしだしてたけど、――ぼうし屋につねられると、きゃッと小さくさけんで目をさまし、話をつづけた――。
「……マかネではじまるもの、例えばネズミトリ、それにマンゲツ、そしてネンゲツ、そうだな、マズハソンナトコ……ほら、“マァこれくらいでいいだろう”って意味で使うだろ。……今までに、ソンナトコをかいたりしたのを、見たことあるかい?」
「ほんとにあなたの言うことときたら」アリスはひどく、とまどいながら、「考えられないことばっかり……」
「考えもないのに、しゃべるなよ」と、ぼうし屋。

 この失礼な言いぐさには、がまんできず、――アリスはあいそもつきて、ぷいと立って歩きだした。――とたんに、ヤマネはねむりこむし、ぼうし屋も三月ウサギも、アリスが行ってしまっても、おかまいなし。もしや呼びとめてくれるんじゃないかと、ちら、ちらっとふり返ってみたのに。――最後に目にしたときには、ぼうし屋と三月ウサギが、ヤマネをティー・ポットに押しこもうとしてた。
「とにかくあんなとこへは、もう行かないんだから!」アリスは森の中に、道をさがしながら、すすんだ。「あんな、あほらしいお茶会に出たのは、生まれてはじめてよ!」
 ちょうど、こう言ったとき、ふと、1本の木にとびらがついていて、そこからずっと中へ入れそうなのに気づいた。「これは、ふしぎ!」とアリスは思う。「でも、きょうはふしぎなことばっかりだもの。さっそく入ってみるとするかな」そこで、中へ入ってった。
 気づけばそこは、かって知ったる、ほそ長い部屋で、小さなガラスのテーブルも、すぐそばにあった。「さあ、こんどは、うまくやってのけよっと」アリスはつぶやいて、まずあの小さな金のカギを取り、庭に通じるとびらをあけた。それからキノコを少しずつかじり(かけらをポケットに、とっておいてたんだ)、背たけを1フィート(30センチ)くらいにちぢめると、小さな廊下をぬけてって、――そして、とうとう……着いたんだ、色とりどりの花が咲き、すずしげな噴水のあがってる、あのうつくしい庭園に。

 
 第8章 妃殿下のクロッケー場

 大きなバラの木が、庭の入り口近くにあった――。咲いてるバラは白かったけど、庭師が3人がかりで、せっせと赤くぬっている。ふしぎなことをするもんだと思って、アリスは見物しようと、そばまでよって行くと、ちょうど庭師のひとりが、こう言うのが聞こえた。「おい、気をつけろ、5のやろう! こっちへペンキを、はねさせるな」
「しかたねえだろ」5は、むくれたように言う。「7のやろうがひじをつつくんだから」
 これには7が顔をあげて、「よく言うよ! 5ってやつは、いつでも人のせいにする」
てめえはだまってな!」と5。「ついきのうも、お妃さまが言ってたぜ。てめえなんざ打ち首で上等だってな」
「なにを、やらかした?」はじめに口をきいた庭師が言った。
おまえにゃ関係ないだろ、2の字!」と7。
「いいや、関係あるさ!」と5。「おれから教えといてやる。……料理人のとこへ、タマネギとまちがえてチューリップの球根をもってっちまったろ」
 7はペンキのはけを地面にたたきつけ、「うぬぬ。いんねんばかり……」と言いかけたそのとき、ふと、じぶんたちを見つめて立ってるアリスに目がとまり、ぴたりと口をつぐんだ。――ほかのふたりもふりむいて、そろって、ふかぶかとおじぎした。
「ちょっと、うかがっていい?」アリスは、ためらいがちに、「どうしてバラなんて、ぬってるの?」
 5と7は、だまったまま、2のほうを見た。2は声をひそめて、「いや、実はね、おじょうさん。この木は赤いバラでなきゃならなかったのに、うっかりして白いのを植えちまった。――で、お妃さまに知れると、おれたちは首を切られちまうんだよ。それでだね、みんな必死になって、お妃さまのお出でにならないうちにと、……」このとき、庭のむこうに心配そうに目をやっていた5が、さけんだ。「お妃さまだ! お妃さまだ!」たちまちに3人の札庭師は、ぺたりと地面に、はいつくばる。おおぜいの足音がして、アリスは王妃さま見たさに、ふり返った。
 最初にやって来たのは、10人の兵士で、こんぼうクラブをもっていた――。みんな、3人の庭師と同じような、たて長の平べったい体で、四すみに手と足がついている。――つづいて10人の廷臣たち――。全身をダイヤで、かざりたてていて、2列になって歩いて来るのは、兵士と同じだ。このあとは王家の子どもたち――。10人の、かわいい王子さまが、とんだりはねたり楽しそうに、ふたりづつ手を取りあって、――みんなハート形のかざりをつけていた。次にはお客人で、たいていは王さまか女王さまだけど、その列の中にアリスが発見したのは、あの白ウサギ――。そわそわ、せかせかした物腰でしゃべりつつ、話しかけられれば、いちいち笑みをふりまいて、アリスには気づかずにとおりすぎてった。さらにつづいて、ハートのジャック。深紅のビロードのクッションに、王冠をのせて、ささげもってる。 ――そして大行列のしんがりは、ハートの王さまキング王妃さまクイーン
 アリスは、あの庭師たちのように、ひれふしたほうがいいか、ちょっとだけまよったけど、行列だからって、そんなことする規則だとは聞いたおぼえがない。――「だいいち、なんのための行列なのよ」アリスは思う。「みんなで顔をふせて、だれにも見られないんだとしたら?」だからアリスは立ったまんまで待っていた。
 行列が、アリスの前までさしかかると、みんな立ちどまってアリスを見つめる。王妃さまは、きびしい口調でおっしゃった。「こやつは何者じゃ?」おたずねになったのはハートのジャックだったけど、お返事には、ただおじぎして、ほほ笑むばかり。
「おろか者め!」王妃さまは、がまんならんとばかりに胸をそらせた。――それから、アリスのほうへむきなおり、言葉をつづける。「そこの子ども、名は、なんと言う?」
「おそれながら、アリスと申します、妃殿下」つつしんで答えたものの、――ひそかに心の中で、つけくわえた。「なによ、みんなそろったって、たかがトランプひと組でしかないじゃない。こわがることなんて、ないわ!」
「して、この者たちは、だれじゃ?」王妃さまはバラの木のまわりでひれふしている、3人の庭師を指さした。――だって、ほら、地面に顔をふせてると、背中のもようは、ほかのカードと変わらないから、王妃さまには3人が、庭師か兵士か廷臣か、それとも、じぶんの子どもたちか、見わけなんてつかなかったんだ。
「知るはずないでしょ?」と口にして、アリスはじぶんの大胆さにおどろいた。「わたしには関係ないもの」
 王妃さまは、まっ赤になって、もうかんかん、じろッと、けだもののような目つきでにらんだあと、金切り声で「首をはねておしまい! 首を……」
「ばかみたい!」アリスが大声で、きっぱりと言ったので、王妃さまは言葉をのんだ。

 王さまは、お妃の腕に手をかけ、おずおずと、「まあ、大目に見てやれ――。まだ、ほんの子どもじゃないか!」
 王妃さまは、怒ってそっぽをむくと、ジャックに言った。「あの者たちを、ひっくり返せ!」
 ジャックは、細心の注意をはらいつつ、片足の先で、やってのけた。
「立て!」王妃さまは、金切り声で言った。とたんに3人の庭師は、ぱッととび起きて、王さま、王妃さま、王子さま、だれにもかれにも、おじぎしはじめた。
「そんなことは、よさぬか!」王妃さまが、さけぶ。「目がまわるじゃろうが」それから、バラの木に顔をむけ、言葉をついだ。「おまえたち、ここで何をしておったのか?」
「おそれながら、妃殿下」2がかしこまって、片ひざをついた。「わたくしどもは、なんとかして……」
「もはや見とどけたぞ!」さっきからバラの木を、つぶさにしらべてた王妃さまが言う。「この者どもの首をはねよ!」そして一行は進んでったけど、兵士が3人、処刑のためにあとにのこされ、ついてない庭師たちは、アリスのもとへ、すがりついたんだ。
「首を切らせたり、しない!」アリスは、そばにあった大きな植木ばちの中に、庭師たちをかくしてやった。3人の兵士たちは、しばらくのあいだ庭師をさがして、うろついてたけど、そのうちおとなしく、ほかのみんなのあとを追ってった。
「あやつらの首は、はねたか?」王妃さまが大声でたずねた。
「すでに首は、あるべきところに、ございません、妃殿下!」兵士たちも大声で答える。
「よくやった!」王妃さまは、さけんだ。「そなた、クロッケーはできるか?」
 兵士たちは、だまって、アリスを見た。その質問は、あきらかにアリスにむけられたものだったから。
「はい!」アリスも大声をあげる。
「では、ついて来い!」王妃さまは、どなった。そこでアリスも、次はどうなるやらと、どきどきしながら、行列にくわわった。
「まこと……まことに、よいお天気で!」わきから、おどおどした声がする。となりを歩いてたのは白ウサギで、心ぼそげにアリスの顔をのぞきこんでた。
「ほんとにね」とアリス。「どこにいるの、公爵夫人は?」
「しーッ! しーッ!」あわてたように小声で言う。びくびくと肩ごしに、うしろをうかがってから、つま先立ちになり、アリスの耳もとへ口をよせると、ささやいた。「夫人は、死刑の宣告をうけたのです」
「なんでなの?」とアリス。
「『なんて気の毒な!』って言ったのかい?」ウサギが、たずねる。
「まさか」とアリス。「気の毒だなんて、まるで思わないもん。『なんでなの?』って聞いたのよ」
「妃殿下の横づらを、はりとばして……」ウサギがしゃべりかけると、アリスは思わず、きゃはッと笑ってしまう。「だめですよ、しーッ!」ウサギは、おっかなびっくり、ささやく。「妃殿下に聞こえます! 実を言うと、あのかたは少し遅刻されまして、妃殿下がおっしゃるには……」
「位置につけえ!」王妃さまが、かみなりのような声でさけぶと、人々は四方八方にかけまわり、ぶつかりあって、ころんだりした。でも1、2分もすると、みんな位置につき終わり、試合がはじまった。
 アリスはこんな妙ちきりんな、クロッケーの球技場を見るのは、生まれてはじめてだと思ったよ――。そこらじゅうが、でこぼこだらけだし、――ボールは生きたハリネズミで、ボールを打つマケット(木づち)は生きたフラミンゴ。兵士たちが、体を弓なりに曲げ、四つんばいになって、ボールをくぐらすアーチのかわりなんだ。
 アリスが、何よりまず、てこずったのは、フラミンゴのあつかい方だ――。フラミンゴの足をぶらぶらさせたまま、こわきにかかえこむまでは、うまくいったんだけど、でも首をぴんと、まっすぐにのばしておき、いざ、頭でハリネズミを打とうとすると、フラミンゴはいつも、くるッと首をひねり、アリスの顔をじいッと見る。それがいかにも、困ったような顔つきだから、ついつい、ふきだしてしまう。――で、頭を下げさせ、また打とうとすると、ハリネズミがまるめてた体をのばし、こそこそはって逃げてしまうんだから、しゃくにさわるったらない。――そればかりか、ハリネズミを打とうとするほうには、決まってでこぼこがあるし、腰を折ってる兵士たちは、しょっちゅう起きあがって、グラウンドのほかの場所へ歩いて行ってしまうしで、アリスはすぐに、これはつくづく、やりづらいゲームだと思わざるをえなかったんだ。
 プレイヤーは、だれも順ばんを待たず、いっせいにやりだすものだから、ひっきりなしに口げんかしたり、ハリネズミの取りあいになる。王妃さまも、たちまちのうちに、すさまじいかんしゃくを起こして、じだんだをふんでは、どなりちらしてる。1分おきくらいに、「あの男の首を切れ!」とか「あの女の首を切れ!」とか。
 アリスはもう、気が気じゃない。――たしかに、まだ王妃さまと、けんかはしてないけど、こんなようすじゃ、いつそうなるか知れたもんじゃない。「そしたら、わたし、どうすりゃいいの? ここの人たちって、首を切るのが、すごく好きなんだもん。――ひとりでも生きのこってるってのが、ふしぎよ!」
 どこかに逃げ道があって、こっそりぬけだせないかなと考えながら、きょろきょろしていると、空に何か、ふしぎなものが、あらわれたのに気づいた――。はじめは、なんなのか首をひねったけど、しばらくながめてると、それが、にやにや笑いだとわかった。
「チェシャ猫だわ。――よし、これで、おしゃべりの相手ができた」と、アリスはつぶやいた。
「やあ、元気にしてるかい?」猫は、話せるだけの口ができると、すぐに言った。
 アリスは、目があらわれるまで待ってから、うなずく。「話しかけるのは、むだね」と思う。「耳が出て来なくちゃ。せめて片ほうだけでも」そう思ってるうちに、顔がぜんぶ、あらわれた。アリスは、話の聞き手ができて大よろこび、フラミンゴを下に降ろし、試合の説明にかかる。猫は、これだけ見えれば、もうじゅうぶんと思ったらしく、それ以上は姿をあらわさなかった。
「ぜんぜん、みんな、まともな勝負をしないのよ」アリスは、ぐちをこぼしはじめた。「みんな、ひどい大げんかで、じぶんでじぶんの声も聞こえないくらいだし……ちゃんとしたルールだって、ないみたい。――あったとしても、だれも、まもってないし…… それに、あなたには想像つかないでしょうけど、みんながみんな生きてれば、とまどうことばかりなの。――たとえばね、わたしが次にハリネズミをくぐらせないといけないアーチが、グラウンドのむこうはじを歩いてるでしょ。……それに、お妃さまのハリネズミに、もうちょっとで命中するとこだったのに、わたしのがころがって来るのを見て、とっとこ、逃げてくんだから!」
「お妃のことは好きかい?」猫が、声をひそめて、たずねる。
「ちっとも」とアリス。――「だって、あの人ったら、とっても……」と言いかけたとき、王妃さまがアリスのすぐうしろで、聞き耳を立ててるのに気づいたから、こう言うことにした。「……お強いから、おしまいまで試合しなくても、勝負は見えてるんですもの」
 王妃さまは、ほほ笑んで、歩み去る。
「そちは、だれと話しておる?」王さまがアリスに近づき、めずらしそうに猫の顔を見ながら、たずねた。
「わたしのお友だちで……チェシャ猫です」とアリス。「――ご紹介いたします」
「なんとも気に入らん顔つきじゃな」と王さま。「――ではあるが、のぞむなら、わが手にキスすることをゆるすぞ」
「おことわりだね」猫が言う。
「無礼を申すな。それに、そのように余をじろじろ見るでない!」王さまはそう言いつつ、アリスのうしろにかくれたんだ。
「猫は王さまを見てもかまわない」とアリス。「何かの本に、そう書いてました。どこで読んだか忘れたけど」
「ううむ。消し去らねばならん」王さまはやけにきっぱりと言って、――ちょうど、そこをとおりかかった王妃さまに声をかけた。「なあ、おまえ、この猫をどうにかしてくれんかな!」
 王妃さまにとって、おさばきのつけ方は、ことの大小にかかわらず、ただひとつ。「そやつの首をはねよ!」ふりむきもせず、そう言った。
「余が、じきじきに首切り役人をつれてまいろう」王さまは、はりきって言い、かけだしてく。
 もどってゲームの進行ぐあいを見たほうがよさそうだと、アリスが思ったのは、遠くのほうで、怒りくるった王妃さまの金切り声がするからだ。すでに3人のプレイヤーが、じぶんの順ばんをまちがえたかどで、死刑の宣告をうけるのを、耳にしてた。ゲームは、ひどくごたごたしてて、じぶんのばんかどうかさえ、わからないんだから、まったく見るのもいやになる。アリスは、じぶんのハリネズミを、さがしに出かけた。
 アリスのハリネズミは、ほかのと、けんかのまっ最中で、相手にぶつけて打ちとるには絶好のチャンスと思える。――ただ困ったことに、アリスのフラミンゴは、庭の反対側へ行ってしまってて、なんとか木にとびあがろうと、もがいてた。
 フラミンゴをつかまえて、もどって来たころには、ハリネズミはけんかをすませて、2匹ともいなくなってた。――「でも、どうってことないわ」とアリスは思う。「グラウンドのこっち側は、アーチだってみんな、いなくなってるんだもの」こんどはフラミンゴに逃げられないように、わきにしっかりかかえて、アリスは、お友だちと、もう少しおしゃべりしようと、もどって行った。
 チェシャ猫のところまで来て、おどろいたのは、まわりに、かなりの人だかりがしてることだ。――首切り役人と王さまと王妃さまとが口論になっていて、3人がいっせいにしゃべってるほかは、みんな、だまりこくって、ひどく心配そうに見まもってる。
 アリスが姿を見せるとすぐ、3人そろって、白黒つけてくれと、つめよって、それぞれの言いぶんをくり返したけど、3人がいっぺんにしゃべるもんだから、何を言ってるか、はっきり聞き分けるのもたいへんだった。
 首切り役人の言いぶんは、こうだ。切りはなす胴体がないことには、首を切るわけにいかない。――そんな仕事は、これまでやったためしもなし、今さらこの年にもなって、やるつもりはない。
 王さまの言いぶんは、こう。首があるからには、首は切れるはずだ。たわけたことを申すな。
 王妃さまの言いぶんは、たったいま、なんとかしなければ、ここにいる者、全員死刑。(一同が暗く、不安そうにしていたのは、この最後のせりふのせいだった。)
 アリスは、こう言うよりほか、思いつかなかった。「あの猫は公爵夫人のです――。飼い主に聞くべきよ」
「あやつは牢におる」王妃さまは首切り役人に言った。「ここへ、つれてまいれ」役人が、矢のように、すっとんで行った。
 役人がいなくなったとたん、猫の首は、すうッとぼやけてゆき、公爵夫人がつれて来られたときには、すっかり消えてなくなってた。――王さまと首切り役人は、あっちこっち必死にかけずりまわって猫をさがし、ほかの者は試合にもどるのだった。

 
 第9章 ウミガメ・フーミに、いわくあり

「まあ、なつかしいおじょうちゃん、またお目にかかれて、あたくしがどんなにうれしいか、あなたにわかるかしら!」そう言って公爵夫人は、親しげにアリスの腕を取り、ふたりはいっしょに歩きだした。
 アリスは、夫人がごきげんだから、すっかりうれしくなって、さっき台所で会ったとき、あんなに乱暴だったのは、単にコショウのせいだったんだと思った。

わたしが公爵夫人だとしたら」とアリスは(別に、なりたくもなさそうだったけど)、つぶやいた。「お台所にはぜったい、コショウをおかないわ。コショウぬきでも、ちゃんとスープはつくれるもの。きっと、みんなをカッとさせるのは、辛すぎるコショウなのよ」新しい法則を発見したと思ったアリスは、調子にのって、つづけた。「すねちゃうのはお酢のせいで、 ……すぐ人にかみつくのはカミツレ草の苦いお薬のせい。……それに……それに、子どもを甘い、やさしい気もちにさせるのは、ねじりぼうアメや何かのせいよ。みんな、そこんとこを、わかっててさえ、くれたらな――。そしたら、あんなにお菓子を、かくそうとしないのにね……」
 アリスはこのとき、公爵夫人のことをすっかり忘れてたから、すぐ耳もとで声がしたのには、どきッとした。「何か考えごとね、おじょうちゃん。それで、おしゃべりも忘れてる。そういうときの教訓があるんだけど、ちょっといま、出て来ないわね、でも、すぐに思いだしますからね」
「別に教訓なんて、ないんじゃない?」アリスは思いきって言った。
「チッ、チッ、チ。わかってないのね、この子は」と公爵夫人。「何ごとにも教訓はあるの。あなたに、見つけられさえすればね」しゃべりながら、夫人はアリスのわきへ、ぎゅうと体を押しつけて来る。
 そんなにぴったりくっつかれたら、気もち悪かった――。第1に、なにしろ公爵夫人はすさまじくみにくかったし、第2に、夫人はアリスの肩に、ちょうどあごがのるくらいの背たけで、そのあごというのが、おそろしく、とんがってる。でも失礼になってはいけないと、なるたけ、がまんしてた。
「試合は、さっきよりは、うまくいってるみたいね」アリスは、まをもたそうとして、言った。
「いかにもね」と公爵夫人。――「そして、その教訓は、こうよ。『ああ、あれも愛、これも愛、みんなの愛が世界をうごかすの!』
「だれかさんが言ってた」アリスが、つぶやいた。「よけいな気は使わずに、他人のことは、ほっといたほうが、世界は早く回転するって」
「ああ、そうね! ほとんど、おんなじような意味よ」と言って、夫人はとがった小さなあごを、アリスの肩に、食いこませて来る。「そういうときは、こう考えるのよ。 『意味だって3日も大事にしてやりゃ、おんを忘れないってのに』
「教訓を見つけるのが、よっぽど好きなのね!」アリスは、こっそり考えた。
「なぜ、その腰に腕をまわして抱きしめてくれないのって、ふしぎに思ってるようね」公爵夫人は、そう言って、ちょっと、まをおいた。「――そのわけはね、あなたのフラミンゴの性格がきつくないか、心配だからよ。ちょっと、ためしてみましょうかね」
「つつくかも知れませんよ」アリスは、ちっとも、ためしてもらいたくなかったから、そんなふうに答えておいた。
「まったくだね」と公爵夫人。「いつも、ぴりぴりしてて、つんつんして来る。フラミンゴもマスタードと、いっしょだよ。導かれる教訓は『鳥の鳴く音は、いずこも同じ』」
「でも、マスタードは鳥じゃないわ」アリスは言ってやる。
「ほんと、いつもおまえの言うとおり」と公爵夫人。「――えらいねえ、ものの言い方がはっきりしてて!」
「マスタードは鉱物よ、たぶん」とアリス。
「もちろん、そうよ」と公爵夫人。アリスの言うことには、なんでもよろこんで賛成するらしい。「――この近くに大きなマスタードの山があるの。そこで教訓は『人生、山あれば谷あり』あたくしが山をあてれば、そのぶん、あなたはどん底になるってこと」
「あッ、そうだ」教訓なんて、そっちのけだったアリスが、さけんだ。「マスタードは植物よ。そんなふうに見えないけど、植物だわ」
「まったく同感だね」と公爵夫人。「――そして、その教訓は『見た目を、ちゃんとなさい』……あるいは、もっと平たく言えば……『決してあなたじしんがほかの者にそう見えるかも知れないものすなわちあなたがそうであったかそうであったかも知れないものでありあなたがかつてそうであったものがほかの者にはことなると見えたものにほかならないものとことならないなどと思ってはならない』」
「紙にでも書いてくれるなら」アリスは、礼儀ただしかった。「もっとよくわかるんでしょうけど、――口で言われても、とてもついてけないわ」
「こんなこと、なんでもないのよ、まだ本気を出しちゃないんだから」公爵夫人は、うきうきと答える。
「それより長くなんて、お手をわずらわすのは、えんりょします」とアリス。
「おや、わずらわすだなんて!」と公爵夫人。「いままでに言ったことはみんな、あなたにプレゼントしましょう」
「安あがりのプレゼントね!」とアリスは思う。「おたんじょう日にこんなプレゼントをくれる人がなくて、よかった!」でも、さすがに声に出しては言えない。
「また、考えごと?」聞きながら、とがった小さなあごで、さらにぐりぐりする。
「わたしにも、考える権利はあるわ」アリスが、ぴしゃりと言ったのは、少しうっとうしくなりはじめてたからだ。
「その権利というのは、あたかも」と公爵夫人。「ブタだって空をとんでいいってのと、いっしょだね。
で、その、キョ……」
 ここで、アリスが、実におどろいたのは、公爵夫人お気に入りの『教訓』という言葉のとちゅうなのに声がとぎれ、つないでた腕も、ふるえはじめたってことだ。アリスが見あげると、ふたりの前には王妃さまが、腕組みして、立ちはだかり、そのこわい顔は、あらしを思わせた。
「お日がらもよろしく、妃殿下」公爵夫人は、小さな、かぼそい声で話しかける。
「よいか、はっきり告げておく」王妃さまは、足をふみならしながら、どなった。「――そちか、そちの首か、ふたつにひとつ、とんで消えるのだ。ちょっとくらいの時間もあたえんから、どっちか選べ!」
 公爵夫人は、あッというまに、とんで逃げるほうを選んだよ。
「さあ、試合にもどるとしよう」王妃さまがアリスに言った。――で、おそろしさのあまりアリスは口もきけず、とぼとぼと王妃のあとについて、球技場へ引き返したんだ。
 ほかの客たちは、王妃さまのいないのをさいわい、木かげで休んでた。――けれど、王妃さまを目にしたとたん、あわててゲームにもどる。王妃さまは、1秒でも、もたもたすれば命はないぞと、ひとこと注意しただけだ。
 試合のあいだじゅうずっと、王妃さまは、ほかのプレイヤーと、たえずもめまくり、「この男の首をはねよ!」とか「この女の首をはねよ!」とか、わめいてた。宣告をうけた人々を、引ったてていく兵士たちは、とうぜんアーチの役をやめなきゃいけないから、30分かそこらもすると、アーチはのこらずなくなって、とうとう王さま、王妃さまと、アリスのほかは、みんな引っぱられて、処刑を待つ身とあいなった。
 そこで王妃さまはゲームをやめ、ふうと息をついて、アリスに言った。「ウミガメ・フーミには、もう会ったかい?」
「いいえ」とアリス。「ウミガメ・フーミって、どういうものかも、知りません」
「そいつから、海亀風味のスープをつくるんじゃ」
「見たことも、聞いたこともないです」

「ならば、ついて来い」と王妃さま。「あやつに、生い立ちの話をさせてやろう」
 ふたりがいっしょに歩きだすとすぐ、王さまが小声で、客人みんなに「すべて、ゆるしてつかわす」と言ってるのが、アリスには聞こえた。「そうよ、それでいいのよ!」と、こっそり、つぶやく。だって、王妃さまが命じた死刑の数の多さに、すっかりいやな気分になってたんだ。
 ふたりはすぐに、グリフォンに出くわした。ひなたでぐっすり、ねむりこけてる。(グリフォンがどんなだか、ご存じないかたは、イラストを見てね。)「起きぬか、なまけもの!」王妃さまが言った。「このおじょうさんを、ウミガメ・フーミのところへ案内して、あれの身のうえ話を聞かせてやれ。わたしはもどって、命じておいた死刑に立ちあわねばならん」――そう言うと、アリスをひとりグリフォンのところへおきざりにして、すたすた行ってしまった。アリスはこの怪物の見てくれが、とうてい好きになれなかったけど、およそのところ、この怪物といっしょにいても、あの野蛮な王妃さまのあとについてくのと、危険性は変わらない。――だから、そのまま、じっとしてた。
 グリフォンは起きあがって、目をこすり、――それから、王妃さまの姿が消えるまで、見送って、―― くくッと笑った。「おかしいよな!」なかば、ひとりごとだったけど、なかばはアリスにむけて言う。
何がおかしいの?」とアリス。
「そりゃ、あいつさ」とグリフォン。「みんな、あいつの空想なんだ。――つまり、処刑になんざ、だれも、されないのさ。ほら、ついて来いよ!」
「ここでは、みんな『ついて来い』て言うのね」アリスは、ゆっくりあとから、したがいながら思った。「こんなに命令されてばっかりなのは、生まれてはじめてよ、まったく!」
 たいして行かないうちに、遠くの、せまい岩だなに、ぽつりとさびしく、すわってるウミガメ・フーミが見えて来る。近づいてくと、胸もはりさけんばかりに、ふかいため息をついてるのが聞こえた。アリスは、とてもかわいそうになって「何が、悲しいの?」とグリフォンに聞いた。 グリフォンは、前とほとんど同じせりふで答えた。「みんな、あいつの空想なんだ。――つまり、悲しいことなんざ、なんにも、ないのさ。ほら、ついて来いよ!」
 そばまでやって来ると、ウミガメ・フーミは、涙をいっぱいにためた大きな目で、アリスとグリフォンを見たけど、何も言わない。
「こちらの、じょうちゃんがだな」とグリフォン。「おまえの身のうえを聞きたいんだとさ」

「お聞かせするよ」ウミガメ・フーミは、ひくい、うつろな声で言った。「どっちも、そこへすわって。でも、ぼくが話し終わるまで、ひとことも、しゃべっちゃいけないよ」
 で、腰をおろした。数分のあいだ、だれひとり、しゃべらない。「お話がはじまらないんじゃ、いつまでたっても、終わるわけないじゃない」アリスは、ひそかに思ったけど、しんぼうして待っていた。
「むかし」ウミガメ・フーミは、ふかくため息をつき、やっと話しはじめる。「ぼくも本物のウミガメだった」
 ここまで言ったきり、また実に長い、沈黙がつづいた。それをとぎれさせるものは、ときどきグリフォンが「ひゃッくるるぅ」とほえるのと、ひっきりなしのウミガメ・フーミの重苦しい、すすり泣きだけ。アリスは、すんでに立ちあがって「どうもありがと、おもしろいお話を聞かせていただいて」と言いそうになる。でも、いくらなんでも、まだ話の先があるはずだろうと思って、おとなしくすわってたんだ。
「ぼくらも、ちっちゃいころには」ウミガメ・フーミが、ようやく、つづきを話しだした。まだときたま、ちょっとすすりあげてたけど、前よりは落ちついてる。「海の中の学校へ、かよったんだ。先生は年よりのウミガメだったけど、……ぼくらは、オカガメと呼んでたもんさ……」
「なんで、オカガメなんて呼んでたの? ウミガメなのに」アリスは、たずねる。
「先生をオカガメと呼んでたのは、おかめ、だったからさ」ウミガメ・フーミは、怒って言った。「ほんとに、あんたって、ぼんくらだね!」
「そんな、わかりきったこと聞いて、はずかしくないのかよ」とグリフォンまで言う。――それから、だまってすわったまま、両方から、じいッと見つめるもんで、アリスはかわいそうに、穴があったら入りたい気もちになった。そのうちに、グリフォンがウミガメ・フーミに言った。「先をつづけろよ、兄弟! 明日の朝になっちまうぜ!」そこで、こんなふうに、話をつづけた――……。
「そう。ぼくらは海の学校にかよってた。あんたは本気にしないかも知れないが……」
「本気にしない、なんて言ってないでしょ!」アリスが口をはさむ。
「今、言ったろ」とウミガメ・フーミ。
「だまってな!」とグリフォンが、アリスが何もしゃべらないうちに、言葉をかぶせる。
「ぼくらは、最高の教育をうけたんです。……なにしろ毎日、学校にかよって……」
わたしだって、毎日学校にかよったわ」とアリス。「そんなに、じまんするほどのこと、ないわよ」

「特別科目も、あった?」ちょっと心配そうに、たずねる。
「うん。フランス語と音楽を習った」
「そのあと、せんたくも?」とウミガメ・フーミ。
「習うもんですか!」アリスは、むッとして言った。
「ははあ! それなら、あんたのは、ほんとにいい学校じゃなかったんだよ」すっかり安心した口ぶりだ。「それに引きかえ、ぼくらのとこじゃ、月謝ぶくろのはじに、こうあった。『フランス語、音楽、せんたくにつき別負担』ってね」

「せんたくなんて、あんまり必要なかったんじゃない?」とアリス。「海の中に住んでるんだから」
「ぼくには習うだけの、よゆうがなかった」ため息まじりに言う。「必修科目しか、とれなかったんだ」
「それ、どんなのがあったの?」アリスが、たずねた。
「のみ方とすすり方(読み方と綴り方)だよ、もちろん、はじめのうちはね」ウミガメ・フーミは答える。「――そのうち、いろんな計算を、めぐらせはじめるのさ。……あれもやりタシこれもやりタシ、ひとの気をヒク、心はカケル、そして最後にワラワレる
「こころはカケル、なんて聞いたことないけど」アリスは思いきって、たずねた。「どういうこと?」
 グリフォンはおどろいて、ばんざいのかっこうをする。「心が欠けるのも、知らないだって!」と、いきなり声をあげたんだ。「でも、心をこめるって、どんなことか、そいつはわかってるんだろう?」
「ええ」と言ったものの、自信がなくて――「何か、を……せっせと、やる、んでしょ……やさしい、気もちで」
「ふむ。だったら」グリフォンは、たたみかける。「それで、心を欠くが、わからなけりゃ、おまえさん、いよいよマヌケだぞ」
 アリスは、それ以上、質問する気力もなくなった。――そこでウミガメ・フーミのほうをむいて言う。「ほかに、どんなことを習ったの?」
「そうだな、クラスが変わるってこと」ウミガメ・フーミは答えつつ、科目をヒレおり数えてた。「――大むかしと今とでは、くらスがちがう。それとか、あちこちの海産品のことだろ。 ――それに、へをこいた。……へこき(絵かき)の先生がいたけど、アナゴのじいさんでね、週に一回やって来るんだ。そのひとから教わったのは、まず、こくだけこく、したいだけ(下絵だけ)こくこと。いいのがこけたところでアグラ(油絵)をかいて悶絶さ
「どうやって、あぐらなんかかいてたの?」とアリス。
「そりゃあね、やってみせたりはできないよ、ぼくには」とウミガメ・フーミ。「ぼくは体が固すぎる。それにグリフォン君は、習ってもいないし」
「そのひま、なかったんだ」とグリフォン――。「だが、古典の先生のとこには、かよったぜ。 こむずかしいったらなかった、そいつ、がちがちの じいさんガニで」
「ぼくはあの先生には、つかなかった」ウミガメ・フーミが、ため息をつく。
「あのひとは、どうも、こてんこてんに、チンプンカンプンを教えてたってね」
「そうそう、そうだったよ」グリフォンまでも、ため息をついて言った。――そして2匹そろって、手で顔をおおってしまった。
「授業は1日に何時間だったの?」アリスは、いそいで話題を変えようとして、言う。
「最初の日は10時間だったよ」とウミガメ・フーミ。「――次の日は9時間と、そんなふうに、へっていく」
「すごく、ふしぎな時間割ね!」アリスは声をあげた。
「だから時間割って言うわけさ」と、グリフォン。「―― 日ごとに割り引いていくからな
 こんなこと、アリスには初耳だったんで、ちょっとよく考えてから、こう、たずねてみた。「それじゃ、11日目は、10割引でお休みになるわよね」
「もちろん、そうだったよ」とウミガメ・フーミ。
「じゃあ、12日目は、どうしてたの?」アリスは聞きたくてしょうがない。
「勉強の話なんて、もうたくさんだ」グリフォンが、きっぱりした口ぶりで割って入った。「遊びの話でもしようぜ」

 
 第10章 ロブスターおどり

 ウミガメ・フーミは、ふかいため息をついて、片ヒレで、ぐいと目をぬぐった。アリスを見つめて話そうとしたけど、1、2分は、すすりあげて、声もつまってしまう。「まるで、のどに骨でもささったみたいだな」グリフォンはそう言うと、――のりだして体をゆすったり、背中をぽんぽん、たたいてやったんだ。やっと声が出るようになったウミガメ・フーミは、涙を両ほほに伝わせながら、また話をつづけた――……。
「あんたは、海の底に、あんまり住んだことがないだろ?(「ないわね」とアリス。)……で、ひょっとすると、いっぺんもロブスターに紹介されたことがないんだろ?(アリスは「いっぺん、食べ……」と言いかけて、あわてて思いとどまり、こう言った。「ええ、いっぺんも」)……じゃあ、どんなにゆかいかは、けんとうもつかないよね、ロブスターとの社交ダンスが!」
「そりゃあ、そうね」とアリス。「どんなふうなダンスなの?」
「そうさな」とグリフォン。「まずは海岸にそって1列にならぶ……」
「2列だよ!」ウミガメ・フーミが、さけぶ。「アザラシ、ウミガメ、サケ、てな連中さ。――そこで、クラゲどもを追っぱらって……」
それがまた、けっこう、てまどるんだ」グリフォンが横から口を出す。
「……2歩、前へすすむ……」
「みんなのパートナーは、ロブスターだ!」グリフォンが、さけぶ。
「もちろんさ。――2歩すすみながら、ロブスターとむきあって……」
「パートナーをとっかえるのさ。で、同じ順序で、2歩下がる」グリフォンが、あとをうけた。
「それから。いいかい」ウミガメ・フーミがつづける。「ほうり投げるんだ……」
「ロブスターをな!」グリフォンが、宙にはねあがって、さけぶ。
「……なるたけ、はるか、沖あいまで……」
「泳いで、追っかけろ!」グリフォンは、金切り声をあげる。
「海の中で、とんぼ返りだあ!」ウミガメ・フーミも大声をあげ、めちゃくちゃに、はしゃぎまわる。
「また、ロブスターをとっかええる!」ありったけの声で、グリフォンがわめく。
「そして岸にもどる。……以上が、最初のふりつけ」ウミガメ・フーミは、急に声を落とす。 さっき、くるったようにとびはねてた2匹の生きものは、また、しょんぼりとしゃがみこみ、だまりこんで、アリスの顔を見つめた。
「さぞかし、すてきなダンスでしょうね」アリスは、ためらいながら言う。
「ちょっとだけ、やって見せようか」とウミガメ・フーミ。
「ぜひ見せて」とアリス。
「ようし、最初のふりをやろう!」ウミガメ・フーミが、グリフォンに言った。「ロブスターなしでも、まあ、やれるだろ。どっちが歌う?」
「ああ、そりゃおまえだ」とグリフォン。「おれは、歌詞を忘れちまった」
 そこで2匹は、まじめくさって、アリスのまわりをぐるぐると、おどりだし、ときどき近づきすぎては、アリスのつま先をふんづけたりしてた。前足をふって拍子も、とったりしつつ、ウミガメ・フーミは、こんな曲を、ゆるゆると、もの悲しく歌ったんだ――……。

  「も少し、いそいで  くれないか?」 カタツムリに タラが 言ったよ。
  「イルカ が  うしろに くっついて、 しっぽを ふんで くるん だよ。」
   見ろよ、  ロブスターも  ウミガメも、あんな  せっせと  はっている!
   いっしょに  ダンスを  おどろうよ……みんな、浜辺で  待っている」

   「どうだい、だめかい、やるかい、いやかい、
      どうだい、ダンスを  おどらない?
    どうだい、だめかい、やるかい、いやかい、
      どうだい、ダンスを  おどらない?」

  「こいつ ばかりは  どんな だか、やって みなけりゃ、わからないさ、
   ロブスター と、海の むこう まで、いっしょに とんでく  痛快さ!」
   カタツムリは  横目に  見ただけで 「海のむこうじゃ、遠すぎるよ!……
    さそって  くれて  うれしいが、いっしょの  ダンスは  ことわるよ」

   「やれない、むりだよ、いやだよ、できない、
      いやだよ、ダンスは  おどれない。
    やれない、むりだよ、いやだよ、できない、
      いやだよ、ダンスは  おどれない」

  「遠いのが、なんだってんだ?」 と言うのは、うろこを まとった 友。
  「むこうに  行ったら  行ったでさ、そのあとは  どうにでも なるとも。
    イギリスの岸を  はなれたら、そのぶん  近づくだろ、フランスに……
    青ざめるなよ、親友だろ、いっしょに  行こう、楽しい  ダンスに」

   「どうだい、だめかい、やるかい、いやかい、
      どうだい、ダンスを  おどらない?
    どうだい、だめかい、やるかい、いやかい、
      どうだい、ダンスを  おどらない?」



「ありがとう。見てて、すごく、おもしろかった」アリスは、とてもうれしかったんだ、ようやくダンスが終わったから。「――それにタラの歌も、いっぷう変わってて、大好きよ!」
「ああ、そのタラだけどね」とウミガメ・フーミ。「やつらは……って、タラのことはもちろん、知ってるよね?」
「うん」とアリス。「ちょいちょい出て来るから、知ってるわ、ばんご……」晩ごはんに、と言いかけて、あわてて口をつぐむ。
「バンゴって土地は、どこだか知らないけど」とウミガメ・フーミ。「――でも、そんなにちょいちょい会ってるなら、もちろん、やつらがどんなふうか、わかってるよね?」
「わかると思うわ」アリスは考え考え、答えた。「しっぽを口にくわえてて、……パン粉のころもをつけてるの」
「パン粉ってこた、ないだろ。――そんなの、海でゆすがれちゃうよ。でも、たしかにしっぽは口にくわえてる。――そのわけは……」ここでウミガメ・フーミは、あくびして目をとじた。「そのわけやらなんやらぜんぶ、教えてやってよ」と、グリフォンにたのむ。
「そのわけはだな」とグリフォン。「タラどもはロブスターといっしょに、ダンスに行きたがる。それで、海へほうり投げられた。それで、長いこと落ちてかなきゃならん。それで、しっぽをしっかり口にくわえこんだ。それで、ぬけなくなっちまった。これで、ぜんぶさ」
「ありがとう」とアリス。「すごく、おもしろかった。タラのこと、そんなによく知らなかったの」
「なんだったら、もっと教えてやれるぜ」とグリフォン。「タラは、何に使われると思う?」
「考えたこともないけど」とアリス。「なんに、するの?」
革のブーツやシューズをするんだ」グリフォンは、まじめくさって答える。
 アリスは、わけがわからない。「革のブーツやシューズをどうするっての!」けげんそうな声で、くり返す。
「じゃあ、おまえさんの革ぐつは、なんで、こする?」とグリフォン。「つまり、どうやってそんな、ぴかぴかに光らせるんだ?」
 アリスは足もとを見おろして、答えを出すまでに、ちょっと考えた。「くつずみをすりつけて、みがくんだと思うけど」
「土のように黒いすみ(墨)は海ではきらわれる」グリフォンは、重々しい声を出す。「だから、タラの白い腹でみがくんだ。これで、わかったろ」
「でも、海の中のくつなんて、どんなものなの?」アリスは、ふしぎでたまらずに、たずねた。
「ヒラメとタイ(平べったい)に決まってる」もどかしそうに、答える。「――そんなこと、どんな小エビだって、知ってるぜ」
「もしも、わたしがタラだったら」アリスは、さっきの歌が、まだ耳にのこってたんだ。「イルカにこう言ってあげたのに。『たのむから、はなれて! わたしたち、あなたとくっついてたくないの!』って」
「くっつかないではいられないんだよ」とウミガメ・フーミ。「りこうな魚はみんな、どこへ行くにも、イルカといっしょだ」
「それって、ほんとうなの?」アリスは、まったくおどろいた。
「当たり前だよ」とウミガメ・フーミ。「たとえば、魚がぼくのところへ来て、旅に出るつもりだと話したら、ぼくは言うだろう、『いっしょにイルカ?』ってね」
「『いっしょに行くか?』って意味?」とアリス。
「ぼくが言ったまんまの意味だよ」ウミガメ・フーミは、ぷりぷりして答える。と、グリフォンが言葉をついだ。「さて、こんどはおまえさんの冒険でも聞かせてくれよ」
「わたしの冒険をしゃべるったって……けさからのことなら話せるけど」アリスは、少しおずおずして、「――でも、きのうまでもどったら、もうだめなの。そのときは、ちがう子だったんだから」
「それぜんぶ、説明してよ」とウミガメ・フーミ。
「だめ、だめ! 冒険の話が先だ」グリフォンが、せっつくように言う。「説明なんてやつは、時間ばっかり食って、いやんなる」
 そこでアリスは、はじめて白ウサギに会ったところから、冒険談をはじめた。2匹の生きものが、両側から、ぴったりくっついて、目も口もまんまるにあけてたもんだから、最初は、ちょっとびくついた。――でも、しゃべってるうちに、だんだん度胸もつく。聞き手は、まるでおとなしかったけど、アオムシに『父なるウィリアム』を暗唱して、文句がぜんぶ、ちがってしまった場面まで来たそのときに、ウミガメ・フーミが、大きく、ため息をついた。「ふしぎなことも、あるもんだ!」
「これほどふしぎなことは、そうそうないぜ」グリフォンも言う。
「ぜんぶ、ちがっちゃうとはね!」念をおして言いつつ、考えこむ。「この子に何か、いま暗唱してもらいたいな。そう言ってやってよ」ウミガメ・フーミはグリフォンを見たけど、なんだか、そいつのほうがアリスより、えらいとでも思ってるみたいだ。
「起立して『これなるは、ものぐさの声』を暗唱しな」とグリフォン。
「ここの生きものって、人に命令したり、おさらいさせたりばっかり! これなら、すぐにでも学校にもどったほうが、ましよ」と思いはしたものの、立ちあがって、暗唱をはじめた。でも頭は、ロブスター・ダンスのことでいっぱいだったから、じぶんでも何を言ってるんだか、よくわからない。――だから、出て来た言葉は、いかにもヘンなものだった――……。

  これなる は  ロブスターの  声――入って  来るのさ、この  耳に。
 「てめえが  焦がし  すぎた んで、ぬらねば  ならぬ、砂糖を  髪に」
  アヒルが  まぶたで  するごとく、あいつは  その鼻を  もちいて
  ベルトも  しめりゃ、ボタンも  はめ、 つま先も  外へ  ひらいて。

  砂浜が  干あがって  いたら、ヒバリの  ごとく  舌も  すべり、
  サメ  なんぞ、なんでも ないと  大口を  たたいて  あざけり――
   だが、潮が  満ちたなら、あたりは  サメが  うようよ、
   やつは、 おろおろ、 びくびくして、 声も  ふるえるよ。

「ガキのころ、おれがおぼえてたのとは、ちがうな」とグリフォン。
「ふうむ。ぼくはこんなの、聞いたこともないけど」とウミガメ・フーミ。「――ばかばかしいというのも、あほらしいくらいだ」
 アリスは返す言葉もなく、――両手に顔をうずめて、また、しゃがみこんだ。ものごとが、いつかふつうにもどるなんて、ありうるんだろうかとなやみつつ。
「説明してもらいたいな」とウミガメ・フーミ。
「この子に説明は、むりさ」グリフォンが、すばやく、さえぎる。「詩のつづきをやれよ」
「でも、つま先ってのは、なんだ?」ウミガメ・フーミは、食いさがる。「どうやったら、鼻で、外へひらいたりできるんだっての」
「それは、ダンスの第1ポジションよ」とは言ったものの、――何もかもが、どうしようもなく、こんがらがってしまってて、アリスは話題を変えたくて、たまらない。
「つづきをやれってんだよ」グリフォンは、じれったそうに、くり返す。「――出だしの文句は『とおりかかった、やつの庭に』だぜ」アリスは命令にそむく元気もなく、どうせ、まちがいばかりになっちゃうと思いながらも、ふるえる声で、つづけた――……。

  とおり  かかった、やつの  庭に、片目だけ、こらして  見る、
  フクロウと  ヒョウと、パイの  分けあい、 いかに  している?
   ヒョウが  とったのは、パイ皮と、肉と、その  汁、
   フクロウは、もらえる  分け前が、皿だけと  知る。

  パイが  すっかり  なくなると、フクロウは、おなさけに  すがり、
  ありがたく  ちょうだい した  スプーンを、 ポケットに  しっかり
   ヒョウは  ナイフと  フォークを  とり、ほえるだろう。
   そして、この  ごちそうの  しめくくり  は、 フク……

「そんなまるで、つまらない詩をそらんじて、なんになるんだい」ウミガメ・フーミが口をはさむ。「やりながら説明してくれなきゃな。これほど、頭がしっちゃかめっちゃかになるものは、ぼくははじめてだ!」
「そうだな、やめにしたほうがよさそうだ」とグリフォンも言ったので、アリスは大よろこびで、やめにした。
「ロブスター社交ダンスの、次のふりつけを、してやろうか?」グリフォンは言葉をつぐ。「それともウミガメ・フーミに、別のを1曲、歌ってもらいたいか?」
「じゃ、曲にして。ウミガメ・フーミさんさえ、よかったら」アリスが、すごく、そっちにしてほしそうだったから、グリフォンは少し、つむじをまげて、「ふん! 好きずきがあるもんだ! おい、兄弟、『ウミガメ・スープ』を歌ってやれよ」
 ウミガメ・フーミは、ふかいため息をつくと、すすり泣きに、のどをつまらせながら、こんな曲を歌った――……。

  おいしい  スープは、とろり、みどり色
    あつあつの  ままで、待っていろ!
   こんな  ごちそう、だれだって、ほしい。
   夕ごはんのスープは、すごく  おいしい!
   夕ごはんのスープは、すごく  おいしい!
    おーいしー、すうーうぷ!
    おーいしー、すうーうぷ!
  すーうぷで、ゆー、ゆー、ゆうごはん、
    おいしい、おいしい  スープ!

  おいしい  スープ! ほかには  何も、
      食べる気  しない、魚も  鳥も。
  手に入る  なら、 さいふも  はたく。 2
   ペニーぶん  の、おいしい  スープに。
  1ペニーぶん  の、おいしい  スープに。

    おーいしー、すうーうぷ!
    おーいしー、すうーうぷ!
  すーうぷで、ゆー、ゆー、ゆうごはん、
    おいしい、おいしーい  スープ!

「コーラス部分を、もういっぺん!」グリフォンがさけび、ウミガメ・フーミがくり返しはじめたそのとき、「裁判がはじまるぞ!」という声が、遠くから響いて来た。
「ついて来いよ!」とグリフォンは声をあげると、アリスの手をとって、曲の終わるのも待たずに、かけて行く。
「なんの裁判なの?」アリスは走りながら、息をはずませて言う。――でもグリフォンは、ただ「ついて来いよ!」としか答えず、ますます足を速めたから、そよ風にのって追って来る、もの悲しい歌声も、しだいしだいに、かすかになった――……。

  すーうぷで、ゆー、ゆー、ゆうごはん、
    おいしい、おいしい  スープ!


 
 第11章 だれが  タルトを  ぬすんだか?

 アリスたちが来てみると、ハートの王さまと王妃さまが、玉座についていて、そのまわりは、たいへんな、こみあいぶり。……ありとあらゆる小鳥や、けもの。トランプの札も、ぜんぶ、そろってるのは言うまでもない。――ジャックは、くさりにつながれて前に引きだされ、両わきから兵士が見はってる。――王さまのかたわらには、あの白ウサギが、片手にラッパ、片手に羊皮紙の巻きものをたずさえ、ひかえていた。法廷のまん中にはテーブルがあって、タルトを盛った大皿がのっている。――とてもおいしそうなので、見てるだけで、おなかがぺこぺこになって来た。……「裁判なんかさっさと、すませちゃって、おやつに、くばってくれればいいのに!」と思う。でも、そんなことには、なりそうもない。――アリスは、ひまつぶしに、あたりをきょろきょろ、見まわしはじめた。
 法廷に入ったのは、初めてだけど、本で読んだことはある。たいていのものについては名前がわかるんで、アリスはすっかり、ごきげんだ。「あれが判事ね」と、ひとりごと。「大きな、かつらをかぶってるもの」
 ところで、その判事というのが、王さまだった。――かつらの上に王冠をのせてるんで(どんなふうか知りたい人は、イラストを見てね)、かぶりごこちも、ずいぶん悪そうだし、じっさい、にあってもいない。
「で、あれが陪審席ね」アリスは思った。「だから、あの12名の生きもの(というのは、ほら、鳥もいれば、けものもいるから、そうとしか呼びようがなかったんだ)が、たぶん陪審員よ」アリスは、このおしまいの単語を、2、3回ひそかに、くり返して、とくいになっていた――。だって、その意味を、ともかくも知ってる女の子なんて、同い年には、まず、いないとアリスは思ったし、それは、たしかにそのとおり。もっとも「裁判員」でも、じゅうぶん、なんだけどね。
 12名の裁判員はみんな、手もとの石板(むかしノート代わりに使った板)に、せっせと書きこんでいる。
「何を、やってるの?」アリスはグリフォンに、ささやいた。「まだ裁判がはじまってないのに、書き取ることなんて、何もないでしょ」
「じぶんの名前を書いてるのさ」グリフォンが、ささやき返す。「裁判の終わる前に、忘れちまったら困るからな」
「お笑いぐさね!」アリスは頭に来て、大きな声をあげ、――でも、あわてて口をつぐんだ。だって、白ウサギが「法廷ではお静かに!」とさけぶし、王さまもメガネをかけて、きょときょと、あたりを見まわし、しゃべってるのはだれか、つきとめようとするしでね。
 アリスの目には、まるで肩ごしにのぞいてるみたいに、裁判員たちが「お笑いぐさ!」と石板に書きつけるのが、よく見えた。そのなかの1名が「お笑い」の書き方がわからずに、となりのものに聞いてるところまで、ちゃんとわかる。「裁判が終わるまでに、石板はラクガキでうまっちゃうわよ!」とアリスは思う。
 裁判員のだれかが、チョークを使うのにキーキー、きしらせた。こういう音って、どうにも、がまんできない。アリスは法廷をぐるッとまわって、その裁判員のうしろに立つと、たちまち、すきを見てチョークを取りあげた。あまりの早わざに、ちっぽけであわれな裁判員は(それはトカゲの、ビルだった。)チョークがどうなってしまったか、さっぱりわからない。――そこらじゅうをさがしまわったあげく、それから先は、指で書かなきゃならなくなった。――でも、そんなことしても石板には、あとがのこらないんだから、むだもいいところ。
「進行係、告訴状を読みあげよ!」王さまが言った。
 これにより白ウサギは、3回ラッパを吹き鳴らし、さて、羊皮紙の巻きものをひもとくと、次のように読みあげた――……。

  ハートの  クイーン、夏の日  とっくり
   パイ生地  こねて、  一日  がかり――
  ハートの  ジャック、ぜんぶ  そっくり
     タルト  くすねて、逃げたばかり!

「評決にかかれ」王さまは、裁判員たちに言った。
「まだです、まだですよ!」白ウサギが、あわてて口をはさむ。「それまでにやることが、たくさんございます!」
「最初の証人を呼べ」と王さま。――そこで、白ウサギはラッパを3回、吹き鳴らし、「第1の証人!」と呼んだ。
 第1証人は、ぼうし屋だ。片手にティー・カップ、もういっぽうの手にバターのついたパンをもって入って来た。「おそれいります、陛下」と、ぼうし屋は、口をひらいた。「こんなものを持参いたしまして。――お召しをうけたおりに、まだお茶をすませておりませんで」
「すませておくべきじゃったな」と王さま。「いつから、はじめたのじゃ」
 ぼうし屋は、さっきヤマネと腕を組んで、あとから入って来てた三月ウサギを見た。「三月の14日、だったように思います」と、ぼうし屋。
「15日です」と、三月ウサギが言った。
「16日だよ」ヤマネが、つけくわえる。
「書きつけておけ」王さまが裁判員たちに言うと、――みんなは、みっつの日付をぜんぶ、いそいそと石板に書きつけ、たし算すると、答えを何シリング何ペンスと、はじきだした。
「まずは、おまえのぼうしを取れ」王さまが、ぼうし屋に言う。
「これは、てまえのでは、ないんです」
ぬすんだものか!」王さまが裁判員にむきなおって、さけぶと、みんなはさっそく、このことを書きとめた。
「売るために、もってるんでして」ぼうし屋は説明する。「てまえのぼうしなど、ひとつもないんで。ぼうし屋なもので」
 ここで王妃さまは、メガネをかけ、ぼうし屋をじろッとにらみつけたから、ぼうし屋は青くなって、そわそわしだした。
「証言をせよ」と王さま。「――びくびくせずにだ。さもなくば、この場で死刑とする!」
 これでは証人は、ちっとも、はげまされない。――ぼうし屋は、もぞもぞ左右の足をふみかえながら、王妃さまの顔色をうかがってた。そして、うろたえるあまり、パンでなくティー・カップを、がぶりとかみちぎったんだ。
 ちょうどこのとき、アリスは、すごく変な気もちがして、ずいぶん、とまどってるうちに、やっと理由がわかった――。また体が、大きくなりだしてたんだ。最初は席を立って法廷を出ようかと思ったけど、――でも、やっぱり考え直して、ゆとりのあるうちはずっと、ねばってようと決めた。
「そんなに、ぎゅうぎゅう押さないでよ」 となりにすわってた、ヤマネが言う。「息も、ろくにできない」
「どうしようもないのよ」アリスは、かなり弱気に、――「わたし、大きくなってんだもん」
「あんたにゃここで、大きくなる権利はない」とヤマネ。
「むちゃ言わないで」アリスは、こんどは強気に、――「あなただって、大きくなってるじゃない」
「そうさ。でも、ぼくはふつうに大きくなってんだ。――そんな、とんでもない速さじゃないよ」 こう言うとヤマネは、むすッと立ちあがり、法廷のむこう側に行っちゃったんだ。
 このあいだも ずっと王妃さまは、ぼうし屋を、にらみすえてたけど、ちょうどヤマネが席をうつってたときに、廷吏ていりのひとりに言いつけた。「この前の音楽会のときの、歌い手の名簿をもってまいれ!」とたんに、あわれ、ぼうし屋は、がたがたふるえすぎて、くつが両方とも、すっぽぬけてしまった。
「証言をせよ」王さまは、いらいらと、くり返す。「さもなくば、びくびくしようがすまいが、死刑とする!」
「陛下、てまえは、しがない者でして」ぼうし屋は、ふるえ声で、しゃべりはじめた。「お茶なぞは、はじめるどころか……まだ、たった1週間かそこらですのに……パンも、うすくなってきますし……ただ、ちまちまと、お茶……」
「ちまちま、とはどういうことじゃ?」と王さま。
「とにかく、から、はじめまして」ぼうし屋が答える。
「ちまちまが、から、はじまるのは当たり前じゃ!」王さまは、ぴしりと言った。「余をおろか者とでも思っとるのか? 先をつづけよ!」
「てまえは、しがない者なのでして」ぼうし屋は、つづけた。「それからはもう、たいていのものは、ちまちましておりました。……ただ、三月ウサギが言いますには……」
「言ってない!」三月ウサギが、大あわてで口をはさむ。
「言っただろ!」と、ぼうし屋。
「否定します!」と三月ウサギ。
「かの者は否定しておる」王さまは言った。「――そこのとこは、はぶくように」
「えー、ともかくも、ヤマネが言いますには……」ぼうし屋は、ヤマネも否定しやしないかと、おそるおそる、ふり返って見たけど、ヤマネは何も否定しなかった。ぐっすり、ねむりこけてたんだ。
「しかるのち」ぼうし屋は、つづけた。「わたくしは、もう少々パンを切りまして……」
「いったい、ヤマネは、なんて言ったんだ?」裁判員のひとりが、たずねる。
「記憶にございません」と、ぼうし屋。
「記憶しておれ」と、王さま。「さもなくば、死刑じゃ」
 ぼうし屋は、カップもパンも落っことし、片ひざをついて、あわれみを請いはじめた。
「陛下、てまえは、まったく、しがない者でして」
「まったく、する話がない者のまちがいであろう」と王さま。
 ここで1匹のモルモットが、かっさいの声をあげて、たちまち廷吏の禁圧をうけた。(これは、ちょっと使わない言葉だから、どうやったのかを、ざっと説明しておこう。役人は、大きなズダ袋をもっていて、口のところはヒモでしばるようになっている――。そこにモルモットを頭からつっこんで、役人がその上に、でんと腰かけたんだ。)
「見学できて、よかったわ」とアリスは思った。「よく新聞に、裁判の終わりのほうで『拍手しようとする者もいたが、廷吏の禁圧にあった』って書いてあるんだけど、いままでなんのことか、わからなかったのよね」
「おまえの知っておることが、それだけならばもうよい、下がれ」ぼうし屋に言う。
「これより下に、と言われても――このとおり、床にひざをついてまして」
「ならば、尻をついてすわれ」王さまが答えた。
 ここで、もう1匹のモルモットが、かっさいして、禁圧された。
「さあて、モルモットも、みんな片づいたし」とアリス。「これで裁判も、はかどるわね」
「よければ、茶をすませたいのですが」ぼうし屋は、歌い手のリストに目をとおす王妃さまを、不安げにうかがいながら言う。
「行ってよい」との王さまの言葉に、ぼうし屋は、くつもはかず、いそいで法廷を去ったんだ。
「……そして、外へ出たら、首をはねよ」という王妃さまの言葉は、廷吏のひとりにむけられ、――でも、役人が出口にも着かないうちに、ぼうし屋は、影も見えなくなってたのさ。
「次なる証人を呼べ!」と王さま。
 次の証人は、公爵夫人の料理人で、コショウ入れを手にしてた。入り口近くの人たちが、いっせいにくしゃみをはじめたから、アリスには来る前から、だれなのか、けんとうはついてたけど。
「証言をいたせ」と王さま。
「やだね」と料理人。
 王さまが困った顔をむけると、白ウサギは小声で、「陛下、この証人には反対尋問をすべきです」
「ふむ。すべきなら、わしが、すべきだな」王さまは、ゆううつそうに言ったあと、腕組みをし、目をつぶりそうになるくらい顔をしかめて、料理人をにらみ、すごみをきかせて言った。
「タルトは、何で作るんじゃ?」
「コショウだよ、たいていね」と料理人。
「みつだよ」と、そのうしろから、寝ぼけた声。
「あのヤマネを、ひっとらえよ!」王妃さまが、わめいた。「その首をちょん切れ! 法廷からつまみ出せ! 禁圧しろ! つねってやれ! ヒゲをむしるのだ!」
 ヤマネを追い出すのに、しばらく法廷中がてんやわんや。もとのように落ちついたころには、料理人は姿をくらませてた。
「かまわんでよい!」王さまは非常に、ほッとした ごようすで、「次なる証人を呼べ!」と言ってから、声をひそめて王妃さまに、「いや、ほんと、次の証人を、きびしく追求するときは、おまえがやってくれ。まゆをひそめすぎて、こめかみが痛むんじゃ!」
 アリスは、白ウサギが名簿を ぶきっちょにめくってるのを見て、こんどの証人ってどんなだろうと、知りたくて、うずうずしてた。「……だってまだ、たいした証拠があがってないんだもん」と、つぶやく。だから、アリスのおどろきを、思ってもみてほしい。白ウサギが、かん高い、ほそい声を、めいっぱい ふりしぼって読みあげた、その名は、「アリス!」

 
 第12章 アリスの申し立て

「はい!」アリスは大きな声で答えたけど、とっさのことでうろたえて、この数分で、じぶんがどんなに大きくなってるか、まるで忘れてた。大あわてで、ぱッと立ちあがった はずみに、スカートのすそで裁判員席を引っくり返しちゃったんだ。裁判員はみんな、下にむらがってる者たちの頭上に、もんどりうって落ち、そこらじゅう、のたくってるから、アリスの心には、先週うっかり倒しちゃった金魚ばちのことが、まざまざとよみがえった。
「あッ、どうかゆるして!」あたふたと声をあげると、いそぎにいそいで、裁判員をつまみあげにかかる。だって頭に、金魚の事件がこびりついてたから、なんとなく、すぐにひろい集めて、席にもどしてやらなきゃ、死んじゃうような気がしたんだ。
「裁判を続行するには」王さまが、うんと重々しい声で言う。「裁判員がもれなく、もとの席に正しく、つかねばならん……もれなくだ」やけに力をこめて、念をおしながら、アリスをじろりと見る。
 裁判員席を見ると、あわてたせいで、トカゲを逆さまにつっこんでたのがわかった。かわいそうに、ちびのビルは身うごきもならず、ものうげに、しっぽをふっている。アリスは、すぐにつまみ出して、ちゃんとすわらせてやった。「たいしたことでも、ないんだけどね」と、ひとりごと。「頭がうえでも、しっぽがうえでも、裁判にちっとも影響ないもの」
 裁判員たちは引っくり返されたショックから、ちょっと立ちなおり、石板やチョークも見つかって、みんなに手渡されると、さっそく事故のてんまつを、書きこむ仕事に精を出しはじめた。ただトカゲだけは、ひどくまいってしまったらしく、何をするでもなく口をぽっかりあけて、天井を見あげたまま、すわってた。
「この件について、何を知っておるか?」王さまが、アリスに聞いた。
「ぜんぜん」とアリス。
「ぜんぜんなんにも?」王さまは、なおも聞く。
「ぜんぜんなんにもよ」とアリス。
「これは、まったく重要である」王さまは、裁判員のほうをむいて言った。みんなが石板に書こうとしかけると、白ウサギが口をさしはさむ――。「陛下はむろん、要であると、おっしゃるつもりなのですな」言葉つきはうやうやしいけど、しかめっつらで王さまをにらんでる。
「むろん、要である、と申すつもりであった」王さまはあわてて言い、声をひそめて、つぶやいた。「重要……不要……不要……重要……」まるで、どっちの言葉の響きがいいか、ためしてるみたいだ。
 裁判員の中には「重要」と書くものもいれば、「不要」と書くものもいる。アリスは石板をのぞけるほど近くにいたんで、それがわかったんだ。――「別に、どうでもいいんだけどね」と、ひそかに思う。
 と、そのとき、さっきから手帳に、しきりに書きこみをしてた王さまが、「静粛に!」と声をあげ、その手帳を読みあげた。「第42条 身長1マイル以上の者はすべて、退廷すべきこと
 みんながアリスを見た。
わたし、1マイルもありません」とアリス。
「あるぞ」と王さま。
「2マイル近くある」と、つけたしたのは王妃さま。
「でも、とにかく、出て行きませんからね」とアリス。「――だいたい、ほんとの規則じゃ、ないじゃない――。たった今、でっちあげたのよ」
「これは手帳にある、いちばん古い規則じゃ」と王さま。
「だったら、第1条のはずでしょ」とアリス。
 王さまは青くなって、いそいで手帳をとじた。「評決にかかれ」と、裁判員に小さな、ふるえる声で言う。
「おそれながら陛下、まだ証拠物件がございます」白ウサギが、大あわてで、とびはねる。「――たったいま、こんな文書の、落ちてるのが見つかりまして」
「なんと書かれておる?」と王妃さま。
「まだ、あけておりません」と白ウサギ。「―― しかし手紙のようで。そこの被告人がしたため、……何者かに、あてたものかと」
「それはそうだろうて」と王さま。「何でもない者に、あてる手紙でなければな。そんなことは、めったにないしの」
「あて先は、だれなんです?」裁判員が聞く。
「それが、どこにも、あて先がない。――じっさい、紙のおもてには、何も書いてません」言いながら白ウサギは、紙切れをひろげた。「これは手紙じゃないですね、つまるところ――1篇の詩のようで」と、つけくわえる。
「筆跡は、被告のものですか?」別の裁判員が、たずねる。
「いや、ちがいます」と白ウサギ。「その点が、なんともヘンなところでして」(裁判員はみんな、なやましげな顔。)
「そやつが、だれかの筆跡をまねたに決まっておる」と王さま。(裁判員はみんな、また顔を明るくする。)
「おそれながら陛下」とジャックが言う。「じぶんはそれを書いてないし、書いたという証拠も、ございません。――最後のところに、サインも入ってない」
「おまえがサインをしなかったなら」と王さま。「ますますもって、あやしい。何か悪だくみをしてのことに相違あるまい。まっとうな者ならば、じぶんの名を書いたはずだ」
 ここで、やんやの拍手かっさい――。この日、初めて王さまが口にした、もっともらしいせりふだったんだ。
「これで有罪の証拠があがったな、はっきりと」と王妃さま。「――では、首を……」
「そんなの、証拠でもなんでもないわ!」とアリス。「だって、そこに何が書いてあるかも、わかってないのに!」
「読んでみよ」と王さま。
 白ウサギは、メガネをかけた。「どこから、はじめたもんでしょう、陛下」と、たずねる。
「初めのところから、はじめよ」王さまは、実におごそかに、おっしゃった。「そして、ずっと読んでいって終わりまで来る。――そこで、やめるのじゃ」
 法廷が、水を打ったようにしずまり返る中、白ウサギは、こんな詩句を読みあげた――……。

  やつらに  よれば、  わたしの  名を  君は、
    彼に  告げに、彼女の  ところへ  行った
  彼女は  わたしの  人がらを  請けおいは
      した  けれど、泳げは  しないと  言った。

  彼は、やつらに  伝えた、わたしが  行かぬと
    (われらも  知るとおり、それは  事実なんだ)
   もしも  彼女が、ごりおしでも  したと  すると、
      はたして、君は、 どうなって  しまう んだ?

  わたしは彼女に  ひとつ、やつらは彼に  ふたつ渡し、
   君は  われらに  みっつ、いや、もっと  くれたが
    それらは  ぜんぶ、彼から  君のもとへ、もどったし、
   いや、そもそも、わたしの  もの  だった んだが。

  もし、わたしか  彼女が  偶然のごとくに、
     この事件の  中に、巻きこまれでも  すると、
   彼は、われらが  そうであった  ごとくに、
   やつらを  解き放つのは、君に  まかせると。

  わたしの  気もち  では、君なんか  に
   (彼女が、かんの虫を  起こすまで  だったが)
  彼と、われわれ  と、それ  との  仲に
    割り  こまれたん  では、じゃまで  あったが。

  彼女が  やつらを  大好きだと、知られぬ  よう、
      彼には、ずっと、ひたかくし  に  して、
    ほかの  みんなにも、知らせぬ  ように  しよう、
    これは、わたしと  君との  秘密にして。

「これこそ、いままで聞いたうちで、もっとも重要な証拠物件じゃ」王さまは、もみ手をしながら言う。「では、これにより裁判員は……」
「だれでもいいから、その詩が説明できるってのなら」とアリス (ここ数分で、そうとうに体が大きくなってたから、王さまの話に割って入るくらい、ちっともこわくなかったんだ)。「6ペンスあげたっていいわよ。わたしには、ほんのちょっとの意味もないとしか思えないけど」
 裁判員はみんな、じぶんの石板に「アリスにはほんのちょっとの意味もないとしか思えない」と書きこんだけど、詩の説明をやってみようとするものは、まるでいない。
「これに何も意味がないとすれば」と王さま。「てまいらずで大助かりじゃ。何か、さがそうとせんでもいいからの。しかしまだ、わからんが」王さまは詩をひざのうえに広げて、片目で見ながら、つづけた。「――やっぱり、いくらかは意味がとれるようじゃな。……『泳げはしないと言った。』とあるが……そちは泳げるのか、どうじゃ?」王さまはジャックのほうをむいて、聞く。
 ジャックは悲しげに、かぶりをふった。「そのように見えますか?」(たしかに、そうは見えない。体がボール紙だけで、できてるんだから。)
「そこまではよし、と」王さまは言ってから、――詩をずっと、ぶつぶつ口ずさんでいる――。「『われらも知るとおり、それは事実なんだ』……われらとは、裁判員じゃな、もちろん。……『彼女が、ごりおしでもしたとすると』……これは王妃のことにちがいない。……『君は、どうなってしまうんだ?』……まったく、どうなるやら!……『わたしは彼女にひとつ、やつらは彼にふたつ渡し』……ふむ。これはジャックが、タルトをどう、しまつしたかにちがいないの……」
「でも、つづきは『それらはぜんぶ、彼から君のもとへ、もどった』でしょ」と、アリス。
「だからかの? そこにあるのは」王さまは、とくいげに、テーブルの上のタルトを指した。これほど明らかなこともあるまい。さらにまた……『彼女が、かんの虫を起こすまでだったが』とある。……のう、そなた、かんの虫なぞ起こったことは、なかったな?」王さまが王妃さまに言う。
「あるものか!」王妃さまはかんかんに怒って、わめきながらインク・スタンドを、トカゲに投げつけた。(とばっちりばかりの、ちびのビルは、指で石板に字を書いても、あとがのこらないとわかって、やめてたんだけど、――あわててまた、書きだした。顔をしたたるインクがなくなってしまうまでは、それを使ってね。)
「すると、かんの虫というのは無視してよいわけじゃな」と、王さまは、にこやかに法廷を見まわした。もの音ひとつ、しなかった。
「いまのは、シャレじゃ」王さまがむっつりして、言いそえると、どッと笑う。「では、有罪か無罪かの評決にかかれ」王さまが、これを口にするのは、この日、およそ20回目だ。
「いかん、いかん!」と王妃さま。「まずは死刑の判決じゃ。……評決なんぞ、あとまわし」
「ばかばかしいにも、ほどがあるわ!」アリスが声をはりあげた。「判決を先にするなんて!」

「おだまりなさい!」王妃は、むらさき色になって怒る。
「だまらない!」とアリス。
「こやつの首を、はねよ!」王妃は、あらんかぎりの声を、ふりしぼった。だれひとり、うごかない。
「だれがあなたなんか、気にするっての?」とアリス(このときには、ふだんの大きさにまで、もどってたんだ)。「あなたたちみんな、ただのトランプのくせに!」
 そのとたん、カードはいっせいに宙にまいあがり、アリスの頭上から、とびかかって来た。――こわいやら、くやしいやらで、小さなさけび声をあげ、カードをたたき落とそうとして、
ふと気づいてみると、アリスは岸辺に、お姉さんのひざをまくらに、寝ころんでた。ひらひらと顔にふって来る落ち葉を、お姉さんがやさしくはらいのけてくれてる。
「ほら、起きて、アリス! ずいぶん長いこと、寝てたのね」
「わたし、とっても、ふしぎな夢を見ちゃった!」アリスはそう言って、君たちが、いままで読んで来た奇妙な冒険の数々を、思いだせるかぎり、お姉さんに語って聞かせた。――話が終わると、お姉さんはアリスにキスをしてから言った。「ほんとに、ふしぎな夢だったのね。――でも、もう走って行かないと。お茶におくれるわよ」それでアリスは起きあがると、かけてったんだけど、走りながらもずっと、とてもすてきな夢だったな、とばかり思ってた。




 でもお姉さんは、アリスが去ったあとも、すわったまま、ほおづえついて夕日を見つめながら、小さな妹と、そのすてきな冒険のことを考えていて、やがて、じぶんもまた、どうやら夢ごこちになりだした。その夢というのは――……。
 最初にあらわれたのは、ほかならぬ、おさないアリス――。さっきみたいにまた、姉さんのひざのうえで、かわいい両手をにぎり、らんらんとかがやく瞳で、見あげて来る。……その声の、響きさえ聞こえた。目をしょっちゅうつつきそうになる、ほつれ毛をはらおうと、ちょっと頭をふる、かわいいしぐさも、まぶたに浮かぶ。……そして、じっと耳をすましてると、というより、すましてるような気でいると、妹の夢にでて来た、奇妙な生きものたちで、そこらじゅうが、にぎわいはじめた。
 足もとに生えてる、のっぽの草が、さわさわ音を立てるのは、白ウサギがいそいでかけてったんだ。……おびえたネズミが、ぱちゃぱちゃと、すぐ横の池を、渡ってく。……三月ウサギと、そのお仲間が、いつまでもつづくお茶会で、ティー・カップを ちゃかちゃか、いわせてる音も、王妃さまが運の悪い客人に、死刑を宣告する金切り声も、お姉さんには聞こえてた。……さらには、ブタの赤ちゃんが公爵夫人のひざで、くしゃみするあいだ、まわりで大皿や小皿のくだけちる音も……グリフォンの鳴き声に、トカゲのチョークがきしる音、禁圧されたモルモットの、むぎゅッという うめきまでも、あたりに満ちあふれ、そこへ遠くですすり泣く、あわれなるウミガメ・フーミの声もまじりあう。
 こうして、お姉さんが目をとじて、すわってると、さながら、ふしぎの国にいるような気がする。ふたたび目をあければ、すべてつまらない現実にもどってしまうことは、よくわかってたけど。……草は、風に吹かれてるだけだろうし、池が波立つのもアシがそよいでるから。……ティー・カップのふれあう音は、ゆれるヒツジの鈴の音で、王妃の金切り声は、ヒツジ飼いの少年の声に変わるだろう。……赤んぼうのくしゃみや、グリフォンの鳴き声や、そのほかのあやしげな音もみんな消えて(お姉さんには、わかってる)、せわしない農家の庭先の、ざわめきがのこるんだ。……そして、遠くで鳴いてる牛の声が、はげしいウミガメ・フーミのすすり泣きに、とってかわるだろう。
 おしまいにお姉さんは、こんな小さな妹も、ゆくゆくは大人の女性になる、そのさまを心に思いえがいた。――そう、アリスは成長しても、子どものころの純で、やさしい気もちをなくさないだろう。まわりに小さな子を集めては、いろんな変わったお話で、その子たちの瞳をも、どんなにか、かがやかせるだろう。その中には、遠いむかしに見た、ふしぎの国の夢も、ひょっとして、まじってるんだろうか。子どもらと、たわいない憂いをわかち、あどけない笑いに、どんなにか、よろこんで、じぶんの子ども時代や、あの楽しかった夏の日々を、思いだすだろうって。

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